悪人に布施する

戦前戦後の時代に、伊藤久男という歌手がいました。昨年テレビドラマで名前を聞いて、懐かしさに何曲か歌を歌を聞いてみると、自分が知っていた晩年の声からは想像できない美しい声と、見事な技巧を持ち合わせた稀有な才能のバリトン歌手だったと知りました。それで、自分が知っていたのは「自分が知っている部分」だけでしかなかったと感じました。

 

興味を持って氏について調べて見ると、出演料を値切られた時など「頭に来たから、タダで良いと言った」という証言がありました。その証言をした人は「頭に来たから断るのでなく、頭に来たからタダにするという人は、非常に珍しいですね」と言っていました。

 

頭に来た時、相手に損害を与え、相手を不利にするのでなく、反対に相手に利益を与えたくなる気持ちが、私は理解できます。私自身、奇妙な習性があるからです。

 

独身の頃、生家から街にコンサートを聴きに行くと、帰りが終バスに間に合わなくて、タクシーを使わなければなりませんでした。地方の町ではタクシーは贅沢で、「小娘のくせに」と反感を買ったのか、行き先を告げても返事をしない運転手がいました。そういう時私は、急にチップをやらなければと思い、釣り銭をチップとして渡しました。そうすることで嫌な気分は消え、爽快な気分になりました。

 

それからも、日本でも外国でも、タクシーでも、ホテルでも、接客態度の悪い人に遭遇すると、チップを渡しました。人は物やお金をくれる人を「善い人」と考えるので、チップを渡すことで「善い人」に悪い態度をとったことを反省するのではないかと期待するからです。それは誰かから教わったのでもなく、誰かを見習ったのでもなく、その時々の気まぐれでもない心の反応に近い習性です。自分でも「変わっている」と感じましたが、そうしない選択はありませんでした。

 

二年前にオーサーレダッパダンマを訳した時、その中に「布施・寄付についての実践原則」という話があり、私がしていた「布施」は五番目の布施と分かりました。それによると、布施は、与える物で分けると、物施、赦施、法施があり、物施には、受け取る人の状態で五つの布施があるということでした。

 

一番は憐みで与え、動物や乞食や自立できない人に与えます。

二番目は尊敬で布施し、正しい実践者に尊敬のために布施します。

三番目は恩に布施し、両親や先生、恩人に布施します。

四番目は借りのある人に借りを返すために布施します。

五番目は善くない人への布施で、この部分はプッタタート比丘の言葉をそのまま引用します。

 

『五番目は、善くない人に与えます。たとえばヤクザなど、その人に心を入れ替えさせる方法を探すために与えます。わざわざ布施をするのは、その人に過ちを改めさせる一つの方便、一つの方法なので、私たちはヤクザな人にも布施をします。誰かが善くない受取人と呼んでも勝手ですが、別の角度から見ると、その人が誤りに気付けば、これも与えるべき良い受取人です。

 次にもう一種類の善くない受取人は、与えれば与えるほど怠け、与えれば与えるほど得をします。こういうのは善くない受取人ですが、彼らが社会の危険にならないために、私たちが与えることで彼らが社会に与える危険を少なくするために与えます。私たちはここまで布施をします。社会の危険をヤクザたちから買う。これも善くない受取人への布施と見なします』。

 

最後の布施は、自分が布施をすることで、他の犠牲者を幾らか減らすことができます。例えば毎日ひったくりで稼いでいる人に布施すれば、一回犯罪を減らすことができます。タイで泥棒やスリの被害に遭うと、誰もが「布施したと考えてしまいなさい」と言われます。泥棒やスリに、布施をしたと考えれば、それを徳行にすることができます。

 

プッタタート師の生まれた地方では、農家が畑に種を蒔く時「鳥が食えば徳になる、人が(盗んで)食えば布施になる」と歌う仕事歌があり、盗られる分も見越して作ったそうです。

 

伊藤久男のエピソードを読んだ時、この人も「悪人にする布施」を知っていたのだろうかと考えて、同窓生に会ったような懐かしさのような物を感じました。出演料を値切られて、立腹して仕事を断れば相手は怒り返し、自分の悪口を言い振らされるので評判を落としますが、タダで仕事を引き受ければ、悪い業が原因で仕事が減ることもありません。その上値切った相手は後味の悪い思いをするので、相手に心情に勝つことができます。

 

布施は、憐みによる布施も、尊敬による布施も、恩人への布施も、借りがある人への布施も、する前も、している時も、した後も気持ちが良いですが、五番目の「悪人への布施」も、する前も、している時も、した後気持ちが良いです。何もしなければ不愉快な思いが残りますが、少なくとも、布施で爽快な気持ちを買うことができます。

人の上に立つ人

ブッダは四聖諦の話で、「自分を尊敬し、自分を聞き従うべき人と見ている人には、四聖諦を教えることで救いなさい」と言われているそうです。プッタタート師のどの話にあったか思い出せないのですが、道を教えるには、教えられる人から信頼されていなければならないと言っているその言葉は、強く心に残っています。

 

他人に教えると質問者より上にいるように感じるので、教える力のある人の多くは教えるのが好きです。しかし教える人と教えられる人の間に「尊敬」、あるいは「聞き従うべき人と見る」関係がなければ、非行グループに校長先生が諭しても効果がないように、その「教えること」は結果を期待できません。

 

プッタタート師によれば、ブッダはまた「実践について教えるなら、自分でその教えを実践して結果を出している項目だけにしなさい」という趣旨のことを言われているそうです。これは実際に実践して、ブッダが言われているとおりの結果がでたことだけを教えれば、教えが歪む虞がないからだと思います。しかし自分で実践して結果を見ていれば、教える人として信頼を損ねる心配はありません。

 

子の教育に関わる言葉で「背中で教える」というのがあります。これは、実践する姿を見せて手本になりさいという意味で、共通する物があります。言葉だけで教えて叱れば、反論できない幼な子でも、内心で「偉そうに」という反感が生じ、大きな子や大人なら猶更です。親が実践する姿を子に見せて、その結果を受け取っている姿も見せれば、子は親を見倣って良い習性にすることができます。だから本当に教育の結果を望むなら、親も教師も、言葉で教えるより、自分の背中で教える方が良いです。

 

「教える」話だけでなく、協力を求める、あるいは何らかのリーダーシップを振るう時も同じだと思います。リーダーと集団の間、国の指導者と国民の間に尊敬や「聞き従うべき人」と見なす気持ちがなければ、言葉だけで協力を求めること、あるいは従わせることは困難です。

 

コロナ禍で、若い人たちが自粛要請に従わないのは、首相が自民党幹部や利害のある報道関係者以外のほとんどの人に批判され、国民の多くが批判している人に、尊敬を感じないからだと思います。人の上に立つ人に、自分が世間の手本になる決意、常に自らの襟を正す態度がなくて、人気や人望は得られません。

 

人望のある人になるには、学歴や知識、あるいは財産や年収などより、人間的な誠実さが求められます。誠実であるためは、嘘や二枚舌を使わない言葉に関わる戒が不可欠です。五戒の不妄語、あるいは十善の不妄語(嘘)、不両舌(告げ口)、不悪)、不綺語(饒舌。一定しない発言など)を遵守しなければ、他にどんな徳行があっても、誰にも信頼されないと思います。

 

ブッダは「不妄語戒がないことの一番軽い報いは、誰にも信頼されなくなること」と言われています。「信なくば立たず」という言葉もあります。

私が観察したところでは、嘘を言えば嘘を言われ、いい加減なことを言えば、いい加減な話を聞かなければならないので、不綺語戒を守らない人は、正しい知識や情報が入って来なくなり、正しい情報を聞いても、綺語のカンマによって「正しい」と信じることができないように見えます。

 

嘘、あるいは事実でないこと、事実である確証がないこと、出任せ、言い逃れを言わないことは、人間同士の信頼にとって非常に重要です。これらは武士の世界では当たり前ですが、今の政界に武士の魂を持った人は探すのが難しいということでしょうか。

人恋しさは克服できる

人と触れ合いたい欲求は命の生存には関りはありませんが、現代人にとってほとんど本能に近いように見えます。家族が月の半分くらい家で仕事をするようになり、仕事に集中できない長い時間、だらだらと話し掛けて来るので、仕事だけでなく、内面を見つめる時間まで妨害されて、閉口します。

 

出勤しなければ人とお喋りする機会がないので、喋りたい要求は同居人である私に向けられます。昨年コロナで緊急事態宣言が出ている間は、(テレワークの)勤め人も、(オンライン授業の)学生も、家にいる主婦も老人も、誰もが人と会えない寂しさを訴えていました。それは経済的な心配がある人の経済の問題と同じくらい大きな、経済的問題がない人の心の問題のように見えます。

 

私はお喋りが好きなタイプではありませんが、それでも仏教(ブッダダンマ)を知る前は、少数ながらお喋りをする友人がいました。近くで定期的に会って、何でも卑近な話題で話せる友人と、二か月に一度集まる読書会の仲間が数人いて、読書会の後は居酒屋などで雑談を楽しみました。その当時は、それらの友人と会ってお喋りすることは、人生の楽しみの一つでした。

 

そしてごく偶に、急に、訳もなく人恋しさを感じて、昔の友人などに電話すると(当時は固定電話だけだったので)、そういう時に限って電話に出ず、仕方なく別の友人に掛けると、その人も出ないとか、出てもゆっくり話せない事情があるなど、ますます寂しさが募るだけ、のような時がありました。話せる相手が見つからなければ満足が得られない「人恋しさ」は非常に厄介でした。

 

喋ることに喜びを感じ、喋れないと寂しくなる病のある現代人にとって、非常に厄介な問題である人恋しさは、タイの仏教の本を読むと、すぐに簡単に解決しました。理解も実践も難しくないので、コロナ禍で人恋しさと闘っている方は、是非試して見てください。

 

チャヤサロー比丘の「如何に実践するか」という話の中に、次のような部分があります

『人が何かを話す前、何かをする前に当然意図があります。話す、あるいは行動するには、必ず後押しする考えがあります。しかし普段は自分の意図に気付かなかったり、見過ごしたりしがちです。しかしサティがあり、自分自身を見つめることに習熟している人は、行為と意図の隙間を広げて見ることができます。この隙間こそ自分を守り、自分自身に責任を持つものです。

 

 ここにサティがあればサンパチャンヤ(自覚)が追い駈けてきて、何が善で何が不善か見えます。そして不善を遠ざけ、まだ生じていない不善を未然に防ぎ、善を生じさせ、生じた善を成長させることもできます。それは行為と意図の間にサティがあるからです』。

 

この本は、私が初めて読んだタイの仏教の本で、その時十分な意味は理解できなくても、幾つも良い言葉があり、そしてそれらはすぐ実践でき、自分なりの理解で実践すると明らかな結果が見えました。そのことが、ブッダブッダダンマの帰依を生じさせ、後にプッタタート比丘に出会う道を開いてくれた本です。今紹介した部分もその一つです。

 

つまり話したり行動したりする時は、その行動をさせる意図があるので、「話したい」、あるいは「行動したい」と思った瞬間に、実際に話す前、行動する前に「その行為と意図の隙間を広げて見ます」。例えば誰かに会いたいと思った時、なぜ会いたいのか意図を探ると、お喋りをしたいと分かりました。なぜ喋りたいのか、あるいは何の話題で喋りたいのか意図を探ると、新しい知識を得ること、自分にない観点を知ることができる利益もありますが、ほとんどは同意や共感に満足したい気持ちや、称賛などを得る喜びを求めているのが分かります。

 

現代人にとって良い友達とは、傾向が似た考え方をし、容易に同意や共感が得られ、互いに尊敬し合っていて、名誉を傷つけられる心配のない人、つまり安心して楽しく話せる人たちです。話す意図で言えば、驚いてほしい時に驚き、心配してほしい時に心配し、共感してほしい時に共感し、称賛、尊敬など、自分が期待したとおりの反応をしてくれる人で、「苦しい時に助けてくれる友」は高望みです。

 

そう知ってから、誰かに会いたい思いが生じる度に、共感や同感、称賛などを求めている物欲しそうな自分が見え、相手に下心を見破られれば、その作戦は失敗と見なすように、自分の下心が見えると、他人と喋りたい思いは消えました。自分の幸福が他人の態度次第なら、安定した幸福は得られないし、その本にある「自分の心を管理する喜び」あるいは満足と比べると、お粗末すぎると感じたからです。

 

人と喋りたい思い、人恋しさ、寂しさが消えると、非常に生きるのが楽になりました。共感して盛り上がったり、称賛し合って喜んだりしないので、心の静かさが維持され、サマーディも長くなり、自分のすべきことに集中できるようになりました。今のようにたくさんのプッタタート比丘の本を翻訳ができたのは、喋りたい欲を克服したことの恩恵が大きいです。人と喋りたい、喋って、何らかの感情的満足を得たい願望は現代人の病気で、それを捨てられれば、人はもっと静かにでき、心の問題の多くは解決するように感じます。

因と果の系図

父は、当時は当たり前だった見合いで結婚をして、四十歳を過ぎて若い女性に出会って夢中になり、山林や田地田畑家屋敷を全部母に譲って身一つで家を出るから、離縁してほしいと母に懇願しました。母は夫の浮気を止めさせようと奔走し、相手の女性の父親に連絡することで、離婚の危機を回避しました。

 

父は浮気で母を苦しめたカンマで、子の結婚話の度に(父にとって)問題があって苦痛を味わい、最後には、どんなに説得しても(道徳的問題のある相手を)諦めない娘の先々を心配して、その話が出て一週間後に、心筋梗塞で急死しました。(つまり晩節にカンマの結果を受け取りました)。

 

父と彼女との仲を引き裂いた母は、そのカンマで、晩年同居する息子から、子供に会うことも電話することも禁じられました。

 

真子様が選んだお相手の家の金銭トラブルが公表されてからの秋篠宮様を拝見すると、晩年の父の苦悩を思わずにはいられません。父は娘が恋愛する度、結婚話が出るたびに、口に出せない苦悩を感じていたと思います。宮様はご自身のご結婚の時、無理のあるお相手を選んで両陛下を困らせられたので、そのカンマで出口の見えない真子様の結婚問題が生じたように拝見します。

 

私自身の結婚も、父がカンマの結果を受け取る縁になり、少なからず父を苦しめたので、私自身も子が恋愛する度に嬉しくない思いをしました。しかし苦悩というほどではありませんでした。

 

父の死の切っ掛けを作った妹は、子の一人が、その時とよく似た構図の結婚をしました

 

母の晩年に母の行動を制限した兄は、母の死後ずっと一人暮らしなので、どんな形で報いがあるのかと思ったら、昨年春からのコロナ禍で、唯一の楽しみだった老人福祉センター(温泉施設)が閉鎖されて「人間は何を欲しがるかと言えば、最後には人との触れ合い(交流)だと感じたよ」と、最近電話で言っていました。コロナ禍で人恋しい思いをしている人は多いと思いますが、カンマの結果であれば、兄が感じている人恋しさは一入と思いました。

 

Aが原因(カンマ)を作ると、Bがそのカンマの報いを生じさせる出来事の縁になり、BがAにした行為のカンマの報いを生じさせるために、Cという縁が必要になり、CはBのカンマの結果を生じさせたカンマにより、Dを縁にして報いを受け取るというように、親から複数の子、子から孫に、幾つもの方向に、次々と縁に依存して波紋のように伝わっていきます。カンマが見えない人には、ただ「親子の性質は遺伝する」と見えるだけかもしれません。

天人に転生した人

ブッダヴァチャナによるブッダの伝記」を読むと、大悟する前にいろんな考察をなさっているのが分かります。その中に『天人がどんな業の報いでこの世界からその天人の世界に生まれたか分かれば、それは私の、更に純潔なニャーナダッサナ(智見)になるだろう」という考えが生じました。比丘のみなさん。また別の時、努力があり、自分を追い遣っている不注意でない人になると、その天人たちはこのような業の報いでこの世界からその天人の世界に生まれたと分かりました」とあります。(中略)

 

そして『比丘のみなさん。八転がある天人についての私のニャーナダッサナが、まだ完璧に純潔でない間は、まだ天人界・悪魔界・梵天界を含めたこの世界と、サマナ・バラモンと、天人と人間を含めた動物群の、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(阿耨多羅三貘三菩提智)を悟ったと宣言しませんでした。比丘のみなさん。八転がある天人に関わる私のニャーナダッサナ(智見)が完璧になった時、天人界・悪魔界・梵天界のこの世界と、サマナ・バラモンと、天人と人間の動物群に、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(阿耨多羅三貘三菩提智)を悟ったと宣言しました』と言われています。だから天人に関わる真実を見ることは、重要な如実智見であると分かります。

 

原語の「デーヴァ」を、私は神様と混同するのを避けるために「天人」と訳していますが、ほとんどの翻訳者は「神」と訳しています。で、ブッダの言葉の中に度々出てきます。普通の人間より上の存在(天界に住むと言われている)で、プッタタート師は「天人とは、汗を流す必要のない人。人間とは、汗を流さなければならない人」と説明しています。

 

最上が王の中の王(帝釈天。江戸時代なら将軍)で、その下に中くらいの王(江戸時代なら大名)、小さな王(外様大名)、王妃、大小の王子、王女がいます。今の日本には、天人の種類は四半分もないように感じます。天人は大きく分けると愛欲界・形界・無形界の三種類あり、細かく分ければ三十二種類あり、愛欲界の天人は愛欲だけに熱中しているそうです。

 

今の日本に天人はいるのか観察して見ると、皇室と一部の富裕層は汗を流す必要がないので、天人と思います。

 

デヴィ夫人(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)は、スカルノ大統領との結婚によって、インドネシアの天人の一人に転生した人と言えると思います。(名前のデヴィは、パーリ語のデーヴァの女性形である「デーヴィ(女神、天女、妃)」です)。大統領夫人と言っても、汗を流す必要のない、庶民から見たら「雲の上の人」になったのですから。人間界の人であった女性が、なぜ天人界に転生したのか、そのカンマについて考えていたら、数年前、偶然テレビを見ている時、彼女の言葉で知りました。


女性たちが夫に対する不満か何かの話題で話している番組で、デヴィ夫人が「わたくしは、大統領に対しては神様に仕えるようにしていましたよ」と言うのを聞いて、「これだ、彼女を天人にした原因は」と感じました。赤坂の高級クラブでスカルノ大統領と出会い、愛人としてインドネシアに渡り、その愛人時代に積み重ねたカンマが、三年後に彼女を天人にしたのでしょう。

 

誰かに対して「神に仕えるように仕える」ことは、私のない行動、滅私の行動で、その立場にいる自分の義務として最高に仕えた、そうしたカンマの集積の結果は、天人に生まれさせるに十分と見えます。プッタタート師は、最高に重く悪いカンマは「傲慢」と言われていて、傲慢の反対は、無私、無我で、無私、無我なら、義務だけを遂行するからです。(好きな人に尽くすのは義務の遂行でなく、むしろ愛欲に関わる行動なので、あまり良い報いは期待できません)。

 

 

デヴィ夫人は「17歳で高級サパークラブで働き始めた時も、生きた英語を学ぶこと、独立してお店が出せるぐらいの資金を調達すること、華道・茶道・日舞を習得するという目的があり」、そして世界の文学も全部読んだそうです。昔の花魁は、古典、書道、茶道、和歌、筝、三味線、囲碁などの芸事と教養を習得していたというので、デヴィ夫人が身につけた芸事や教養は共通するものがあります。

 

花魁は一般庶民には手が出ない高嶺の花であり、自分で客を選ぶことができ、大名の指名も拒否する権利があり、常に客より上座に座るしきたりがあるほど身分が高いので、当然気位も高いと思います。花魁は大名など身分の高い武士と交友があったので、それらの大名だった人が何度か輪廻して西洋に生まれれば、夫人がインドネシアを出た後、ヨーロッパの社交界の花となって、貴族や富豪と浮名を流し、社交界の女性たちとトラブルを起こしたのも納得できます。

 

男子の天人は、大小の国の王と、王太子、王位継承権の確率の低いその他の王子など、それぞれ種類が違う天人で、当然カンマも違うと思いますが、妃になるカンマは、神様に仕えるように仕えるだけで十分と見えます。

 

ブッダはすべての物は原因と縁があって生じると言われています。天人に生まれることの原因であるカンマについて考えるのは、この世界や天人界を真実のままに見る練習に不可欠と思います。そして人間を知り、天人を知り、悪魔や畜生や餓鬼、修羅などを知り尽くせば、混沌と見える世界が真実のままに、ブッダがご覧になっていたのと同じように、整然とした秩序がある物に見えてきます。

 

輪廻による民族の大移動

前回の「ブッダの仏教がない日本に、仏教文化がある不思議」と、八年前の「仏教という名のヒンドゥー教」に、「インド北部がイスラム教になっていた時代に、それ以前まで繰り返しインドに生まれていた人が生まれる場所を失って、たくさん日本に生まれた」と書きました。その時代に、インドに生まれる縁を失った人の中には、中国やインドシナ半島スリランカに生まれた人もたくさんいたと思います。

 

南伝仏教の地域に大乗仏教を信奉する王が現れたのは、そのようなことの表れと見えます。当然庶民にも、出家にも、過去世でヒンドゥー教だった人は少なくなかったと推測します。だから仏教に仏像や読経や様々な宗教儀式が取り入れられ、テーラワーダに戻った後も、今日まで宗教儀式が残っています。

 

大乗でも南伝仏教でも、仏教国の至る所に観音信仰が興ったのも、「輪廻によるインド人の大移動」による現象だと思います。観音はヒンドゥーの神様だからです。

 

このような「輪廻による民族の大移動」は他にもないか、洞察して見ると、同じく一時代イスラム教に支配されたスペインでは、キリスト教の人はイスラム教徒の家に生まれる縁がないので、宗教的縛りが弱い朝鮮半島を選んで、たくさん移動して来たと見えました。

 

アジアの国々の民俗衣装はタイトな直線のシルエットばかりですが、朝鮮民族だけは西洋のスカートのようにギャザーがたっぷりのチマ(スカート)で、その下に昔の西洋女性のように、モンペのような下履きを履いています。

 

伝統遊びのシーソーで、チマを履いた女性が二メートルくらい跳んでいる(筆者の個人的イメージです)のを見て、びっくりしました。日本女性が伝統衣装で跳び上がる姿は想像できなかったので、その違いに驚きました。

 

国民的民謡のアリランは三拍子で、三拍子のアジア民謡は聞いたことがありません。韓流ドラマを見ると、昔の官吏が鳥の羽根を飾った帽子を被っていましたが、それも西洋の帽子に酷似していました。

 

スペインと朝鮮の共通点を探してみると、小皿料理があります。韓国では、何を注文しても、注文した料理の他に、十種類くらいの小皿に載った惣菜がついて来ます。西洋では、煮込みや焼き物など、幾つかの料理を個々の皿に盛り合わせ、小皿は見えません。スペインの小皿料理は、一度移動して朝鮮半島に生まれ、何度かそこで繰り返して生きた人が、イスラム教国家が消滅した後、再びスペインに「輪廻による民族の大移動」で戻った人たちによって、スペインで独自の発展をしたのではないかと思います。

 

朝鮮半島のお寺の仏像は、三頭身くらいの可愛らしい姿をしています。これは仏教徒の人口が少なかったことを表していると思いますが、スペインの田舎のマリア像にも、三頭身くらいのものをテレビで見たことがあります。

 

もちろんスペインからポルトガルやイタリア、フランスなどの周辺国に輪廻による移動をした人が最も多いと思いますが、それは近隣による文化的影響と見られ、輪廻による移動と見る人はいません。

 

しかし朝鮮半島とスペイン、日本とインドのように離れた国では、輪廻でなければ多くの国民の移動はあり得ず、人の移動なしに文化の流入はありません。

ブッダの教えがない日本にブッダの仏教文化がある不思議

日本に伝わった仏教は大乗仏教で、大乗はブッダの法律を喜ばない人たちの宗教のように見えます。だから日本の社会には、仏教徒なら守らなければならない五戒の教えもありません。

 

タイへたびたび旅行して、タイ人との交流を楽しんでいた頃、五戒の話が出た時、私が五戒を「知らない」と言うと、友人たちに呆れられてしまったことがありました。タイでは学校で勉強するので、子供でも、バカみたいな人でも、五戒を知らない仏教徒などいないからです。

 

それまで、日本には仏像があり、それを拝むことがあるので「日本人は仏教徒」だと考えていましたが、五戒を知らない人は仏教徒でなく、五戒を教えない社会は仏教国ではないと気づきました。

 

日本は五戒という教えが社会にないので、多くの人が酒類を飲み、酒類を愛し、蚊やゴキブリ、農作物につく虫を害虫と見なして、躊躇いなく殺し、釣りを楽しみ、魚の活け造りを食べます。窃盗やウソを言うことはあまりないかもしれませんが、飲酒や殺生は誰でも普通に犯します。魚の活け造りをテレビで見たタイ人から、「なぜ先に殺してやらないで、惨いことをするのだ」と言われたことがあります。

 

仏教が国民の宗教であるタイでは、真面目な仏教徒は五戒を順守し、年寄りなどは月四日ある菩薩日には八戒を順守し、托鉢僧に食べ物を供える布施は文化で、ほとんどの家でしています。蚊取り線香は無毒で、殺虫剤のCMもありません。つまり殺生の機会を増やさない努力があります。

 

観察すればするほど、日本で仏教と呼んでいる物は仏教はないと感じますが、その一方で、日本には「これは紛れもなくブッダの仏教の精神だ」と感じられる文化があります。

 

何よりはそう感じさせるのは、日本人(特に武士の血統の人)の行儀作法の美しさ、あるいはしとやかさです。プッタタート師は「しとやかさは仏教文化であり、ただの道徳ではない」と言われています。そのような目で見ると、しとやかさ、しとやかな行儀作法は、ブッダがよく言われている「梵行」の副産物であり、それ以外の物ではないと感じます。梵行とは何か、

 

梵行とはブラフマチャリヤの訳語です。ブラフマは最高に素晴らしというような意味で、チャリヤは行動、振舞いで、合わせると、「最高に素晴らしい行動」です。あるいは「美しい行儀作法」で良いかもしれません。ブッダの弟子になってから阿羅漢果を得るまで実践しなければならない修行を梵行と呼びました。「他の教祖の梵行は」と話されていることがあるので、仏教に限らず、その宗教が理想とする行動を呼ぶのに使った言葉のようです。

 

ブッダが話された例を紹介すると、

『良く行った人であり、世界を明らかに知り、訓練するべき人を誰よりも良く訓練する御者、天人と人間の先生、明るい人、ダンマを分類して動物に教える人として生まれました。如行は初めも美しく、中間も美しく、終わりも美しいダンマを説き、義も細部も純潔で完璧な梵行を公開しました』。

 

『このように知り、このように見ていれば「解脱した」と知るニャーナがあり、「生は終わった。梵行をするのは終わった。するべき仕事は成功した。このようになるためにしなければならないことは他にない」と明らかに知ります』。

 

『所帯を持って、良く磨いたほら貝のように純潔な梵行を行うのは簡単ではない。それなら髪と髭を下ろし、袈裟をまとい、家を出て出家し、家のない人になろう』と、このように熟慮して出家し』などと使われています。

 

具体的な梵行について、次のように言われています。

バラモンさん。如行が訓練する人を受け入れると、初めに「おいでなさい、比丘。あなたは戒があり、パーティモッカ(二二七戒)で慎重にし、作法とゴーチャラ(好んで行く場所)が完璧で、普段から小さくてもすべての罪の危険が見え、すべての教条を遵守する人におなりなさい」と、当然このように提言します。

 バラモンさん。その比丘が戒のある人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたはすべての根に注意深い人になり、目で形を見てもニミッタで(つまり全体を美しいとか、醜いと)捉えず、アヌパヤンチャナ(部分に分けて、その部分を美しいとか醜いと)で捉えず、

罪と悪つまり貪りと憂いはいずれかの根に注意しないことが原因で感情にそって流れて行くので、その根に注意を払い、眼根を慎む人になりなさい」とこのように提言します。(耳根・鼻根・舌根・身根・意根の場合も、同じように話されています)。

 バラモンさん。その比丘が根を慎む人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたはいつでも食べ物の適度を知る人になりなさい。遊びのため、酔うため、飾るために食べず、『この体を維持するため、命を維持するため、困難を防ぐため、梵行を援けるためだけに食べる。私は古い受(飢え)を排除してしまい、新しい受(食べ過ぎ)は生じさせない。寿命を進めること、食べ物による害がないこと、安楽は私にある』と絶妙な熟慮をしてから食べなさい」とこのように提言します。

 バラモンさん。その比丘が食べ物の適度を知る人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。覚める(眠らない、眠くならない、ぼんやりしない)道具であるダンマに努力がある人になりなさい。歩くこと座ることで昼から宵まで、初更が終わるまで、心にあるすべての障害物を完全に清浄に拭い、

中更には右に傾いて足に足を重ねて獅子のように眠り、起き上がる常自覚があり、夜の終りには起き上がって、歩くこと、座ることで障害物を心から完全に清浄に拭いなさい」とこのように提言します。

 バラモンさん。その比丘が目覚める道具であるダンマの努力があるようになったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたは常自覚が完璧な人になり、前進、後退、振り向く、ちらっと見る、屈む、伸びる、外衣や内衣(チーヴァラ)を維持する、食べる、飲む、噛じる、嘗める、大小便の排泄、行く、止まる、座る、寝る、眠る、目覚め、話す、黙っていることを周到に自覚しなさい」とこのように提言します』。

 

これらの挙措に関して手取り足取り、事細かく先輩僧が新参比丘に指導しました。それらの作法が身について、しとやかな人になったら、つまり心が静かな人になったら、それから本格的な学習や実践に取り掛かり、四念処などで初禅、二禅、三禅、四禅に至ることを教えると言われています。

 

江戸時代以前の武士は荒々しく武骨な人が多かったように見えますが、江戸時代になると、武士の様子は一変して、武士と武士の一族全員が美しい行儀作法の人になります。歩き方、戻り方、振り向き方、障子の開け閉め、食事を提供する作法、食べる時の作法、茶菓子の接待の作法など、生活のすべての行動に作法がありました。それらの行動は、行動する人を「静かな人」にしました。

 

武士は善い戒があり、質実剛健な生活を好み、妄語がなく、卑怯な振る舞い(告げ口)を蔑み、暴言や悪口を避け、意味のない話、内容のない話、饒舌や詭弁を嫌い、歌舞音曲、見世物などを好まず、十善戒のほとんど、あるいは八戒のほとんどが身についていました。ブッダの弟子になれば、初禅、二禅、三禅、四禅に至る訓練をするにふさわしいくらい、善い戒があり、戒から生じる静かさを愛す人でした。

 

武士階級は全国民の一割から二割と言われていますが、このように美しい作法や戒があった武士が社会の最上層にいて、庶民の手本であり標準であったことが、世界に類を見ない文化を作ったのではないかと思います。

 

武士がいなくなって百五十年くらい経過した今でも、武士、あるいは武家の血を受け継ぐ人は、居住まい、佇まいが凛として、静かで見苦しくない作法が身についているので、見れば、あるいは一言二言話せば分かります。

 

日本にブッダの仏教はないのに、実質ヒンドゥー教国日本に、なぜブッダの弟子のように美しく厳格な作法が生まれたのでしょうか。それは、インドにイスラム教の侵攻が進んだことに原因があると見ます。詳しい説明は「仏教という名のヒンドゥー教」2012年8月23日 https://tammada.hatenablog.com/entry/10897589に書いてあるので、そちらを先に読んでいただけば、分かりやすいと思いますが、インドがイスラム教国になると、それまでヒンドゥー教を信じていた人たちは、その地に生まれる縁がなくなり、大乗の人との縁を頼って、たくさんの人が日本に生まれて来ました。

 

日本に、過去世でヒンドゥー教だった人が生まれて来たと分かる最初は、薬師寺薬師如来像の掌と足の裏に卍が彫られたことです。卍はヒンドゥー教ジャイナ教で使うマークで、最初は参詣者に見えない場所に、隠れるように彫っていましたが、次第に大胆になり、最後には寺のシンボルマークになりました。つまり多くの僧に容認されたと推測します。

 

それ以降、僧は葬式やいろんな儀式に関わるようになり、本尊と呼んでヒンドゥー教の神々を祭り、装束は煌びやかになり、どんどんバラモン(祭司)化します。過去世でヒンドゥー教徒だった人が日本に生まれて仏教僧になると、その縁を頼ってたくさんの一般庶民が日本に生まれて来ました。

 

イスラム教国になったインドに生まれる縁(両親)を失った人は、ヒンドゥー教徒だけでなく、過去に仏教を信奉していた人もいました。そうした人が日本に生まれ、庶民の中から茶の湯が生まれました。利休以前の茶の湯がどのようかは知りませんが、利休以降の茶の湯は、「全身に行き渡らせた常自覚の状態を楽しむために、形式化された(ブッダの)仏教の梵行」と言うことができると思います。「静寂・清澄・明るさ」は、仏教と茶の湯に共通する価値観です。

 

インドで仏教は滅びたと言っても、人の心の中、血の中に仏教の精神は生き続け、どの国の社会に生まれても、自分らしく生きる機会を探します。戦国時代の武将は武骨な人の方が多かったように見えますが、江戸時代になると、家康や徳川幕府は、武士の行儀作法を重視したので、急速に平和の基礎が築かれたと思います。行儀作法があれば礼があり、礼があれば秩序があり、秩序があれば平和があります。江戸時代に、平和が260年も続いたのは、武士社会の行儀作法に理由があったのかもしれません。

 

時代劇や映画、あるいは時代小説で観て、読んで知る限りでは、武士社会の行儀作法は、ブッダの梵行の行儀作法の部分と同じと感じます。また、武士道と呼ばれるものにも、慚・愧、律・義(根律義)、質素倹約、質実剛健など梵行と同じ項目はたくさんあります。世界の歴史の中に、自ら質素な生活を旨とし、庶民にぜいたく禁止令を出すような王や皇帝がいたでしょうか。

 

武士はインドの身分制度で言えばカッティヤ(王族階級。クシャトリア)で、政治と軍事を仕事とします。(バラモンは祭司で、各種の儀式や占いや、王家の顧問などをしました)。そしてブッダの時代の出家や清信士、清信女の多くは、カッティヤや長者の家の人でした。茶の湯を愛す人は、大名と豪商と僧の一部で、これもインドの仏教徒の階層と一致します。武士社会には仏教の教えが血に溶けている人が多く、ブッダの教えがない日本に生まれると、仏教の教えを文化として開花させたのだと思います。

 

武士の文化の中には(仇討ちなど)中国由来の物も一部にはありますが、武士文化の多くは、ブッダの仏教の文化と共通すると見えます。

 

梵行である美しい行儀作法は、仏教のすべての実践の基礎であり、涅槃への道ですが、世俗の人の梵行は秩序のある社会の恒久的平和を築き、維持させる基礎、個人の人生を安定させ、破滅を防ぐ物のように見えます。今日本社会には、美しい行儀作法はおろか、丁寧な言葉づかいさえ無くなってしまったように見えるのは、惜しいことです。