アパーヤムッカと最近の世界

ブッダの仏教にはアパーヤムッカという言葉があります。富田竹次郎編の「タイ日辞典」には「破滅の原因」「悪趣への道」とあるので、日本の仏教には、一語で足りる簡略な訳語はないようです。だから、そのような概念は日本に入って来なかったのかも知れません。

 

破滅や悪趣への道は、飲酒、賭け事、女遊び、悪人との交際、あちこち見て歩く、怠けるなどがあります。飲酒や女遊びなどは説明不要と思いますが、悪友とは、ダンマでない方向の、俗悪な物を嗜むことに誘う人で、ダンマの話をしない友人(飲食や遊びの友)全般との交際です。あちこち見て歩くとは、芝居や音楽、歌、見世物、いろんな芸、現代なら映画やミュージカル、ライブ、ショッピング、テレビを見ること、家でも車内でも、どこでも音楽を聴く、映画などを見る、スポーツ観戦など、何でも見て聞いて楽しむことです。どれも今の世界のほとんどすべての人は、日常的にアパーヤムッカに親しんでいるように見えます。

 

世界のほとんどの人がアパーヤムッカと親しんで、アパーヤムッカ浸けになっていれば、そのカンマの結果を現生で一斉に現すために、世界にいろんな出来事が必要になります。昔は、破滅をもたらすために異常気象や大災害や戦争が、数十年から百年くらいに一度起こる必要が生じます。戦前に生まれた人は、全員が戦争を経験しました。それらの世代のほとんどが亡くなった今、戦争を知らない世代に、アパーヤムッカであるカンマの結果、あるいは他のすべての悪のカンマの結果をまとめて受け取る機会として、何かがなければなりません。

 

第二次世界大戦の後、大きな戦争は起っていないので、戦争に代わる、戦争と同じように多岐に渡って影響がある出来事として、コロナウィルスやウクライナ問題が起きているように見えます。この二つは、政治、経済、食糧、医療、教育、失業、経済格差、国家による自由の束縛、エネルギー問題など、あらゆる範囲に及び、世界中の誰も、何らかの形で影響を受けない人はいない状況です。

 

戦争になれば、直接戦争をしていなくても、何らかの形で自由が束縛され、物資は減って値上がりし、求めにくくなり、エネルギーも欠乏しがちになり、何かにつけて我慢を強いられる生活になります。直接戦っている国なら、直接命の危険、あるいは脅威に曝されますが、すべては国民のカンマ次第です。

 

日本の社会を見ると、1980年代から90年代に、アパーヤムッカの塊である海外旅行がブームになり、多くの人が悪のカンマを作りました。

 

スポーツ観戦を見ると、スポーツ観戦が、まだ相撲と野球だけだった頃はさほど騒がしくありませんでした。相撲の観戦は良い相撲が見たいのであり、良い相撲なら、誰が勝っても満足し、あまり贔屓をして、敵を憎みませんでした。Jリーグができた頃から観戦の仕方が熱狂的になり、贔屓のチームに執着して、敵であるチームを攻撃する形の応援になりました。その頃(アパーヤムッカと執着が強くなった頃)から異常気象が常態化したように観察します。

 

それからアパーヤムッカに入り浸ると、収入のすべてを自分と自分たちで使いたくなり、周囲の助けるべき人を助けないので(親戚づきあいが希薄になり、友達は表面だけになったので)、蓄えるべきでないお金を蓄えた結果、財産を失う形の被害が増え、地震や洪水、土砂崩れなどが多発し始め、最近は竜巻も発生するようになったと見ます。

 

アパーヤムッカはお金の無駄遣いに関わる行為ですが、それらを楽しむことで、どんどん身勝手が増え、身勝手になれば執着が増え、誤った見解の悪循環で、今日のように苦の多い生活になっていると見えます。

 

飲酒、夜遊び、女遊び、いろんな催しを見ることができなくなったコロナウィルスの流行は、アパーヤムッカに入り浸った生活への警鐘かも知れません。今は音楽に乗って踊るのが流行りのようですが、音楽を聴いたり、踊りを見たりするだけでも破滅や悪趣の入り口なのに、自分で演奏したり踊ったりすることは、どれほど破滅を加速するでしょうか。

 

現代人は、飲酒や夜の街を遊び歩くこと、芝居や音楽や踊り、映画やテレビを見ることは、昼と夜のように、仕事と休息のように生活に必要不可欠なものと見ています。以前に書いたように、江戸時代の上級武士は仏教が血の中にある人だったので、庶民がアパーヤムッカを嗜み過ぎると、幕府は贅沢禁止令を出し、質素な生活へ戻しました。だから江戸時代の人は破滅の門をくぐる機会がなく、静かで平和な時代がニ百五十年も続くことができたと思います。

 

飲酒や夜遊び、旅行やエンターテーメントなどを、ブッダは「破滅の原因」「悪趣の門」と言われていることを知り、社会全体として抑制する方向にならなければ、世界の破滅は近いと思います。

翻訳裏話

「阿羅漢の後を追って」を公開した機会に、翻訳の仕事の流れを書いてみたいと思います。

初めに何を訳すか決めると、初めからだらだらと翻訳します。内容が全部理解できれば楽しく、仕事もはかどりますが、話の流れとして意味が良く分からない時は楽しくなく、あまりはかどりません。しかし家事をする以外の時間は、毎日座って翻訳します。

 

あるだけの辞書を調べても、どう考えても意味が分からない語句、言い回し、文章などは、ニ三十分格闘したら、いつまで考えても切りがないので、原文のままカタカナにして先へ進みます。納得できるまで考えていると、いつまでたっても完成しないのと、先まで読むと、簡単に理解できることもあるからです。

 

全部訳し終って、意味不明な個所を読み返すと意味が分かり、理解が進みます。例えば阿羅漢の足跡を追っての序章の挨拶の部分に、「阿羅漢の跡を追って歩く人物の生活は、ただ目を閉じて座らなければならない教えでなく、ブッダの教えで段階的に、本当の幸福の系統に自分の心を向けなければならない重要な教えがあります」という一文があります。

これを最初は、「の生活は、ただ目をとじて座らなければならない教えではありません。ブッダの教えで段階的に、本当の幸福の系統に自分の心を向けなければならない重要な教えがあります」と、二つの文章に分けていたので、意味が分かりませんでした。読み返して一つの文章にしたら、意味がはっきりしました。

 

タイ語は、元は中国南部(雲南省)の方の言葉と言われ、漢字の白文をタイ文字で読んでいるのと同じようです。一つの語句が文章のどこにあるかで主語にも、動詞にも、形容詞にも、目的語にもなり、接続詞はほとんどありません。そして句読点がなく、一文字分空けてあることも、無いこともあります。

昔の本は紙代の節約のためか、まったく行替えががなく、一頁、二頁、三頁くらい続いていることもあります。だからどこからどこまでが一つの文章か、判断しなければなりません。理解できていなければ、先ほどの例のように、一つの文章が二つになり、意味不明になります。

 

日本語は簡潔な文を良いとしますが、タイでは短い文章は小学生の作文で、知識のある人ほど、次々に前の語句を説明して、長く複雑な文を書いたり話したりするので、どこまでが一つの文章か分かり難いです。

 

何時も使い慣れ、聞き慣れている文章なら、(小学生の国語のテストくらいなら)一語や二語隠されている言葉があっても、誰でもすぐに判断できますが、プッタタート師の話は耳慣れない内容が多いので、知っている語句ばかりでも、じっくり判断しないと分からない時があります。

 

プッタタートのサイトを公開した時、タイ仏教の書籍を何冊も出されている複数の翻訳家の方々から、「私もプッタタートの本を訳そうとしたことがあったが、途中で諦めた」という趣旨のメールを頂戴しました。タイ語に非常に精通しておられる先生も、語学力だけでは翻訳できないのかもしれないと、その時思いました。中には、仏教の翻訳書をたくさん出されている方もいましたから。

 

ネイティブでない人ばかりでなく、タイ人の友人知人でも、私がプッタタート比丘の本を持っていると、「この本が読めるの? 私は読んでも分からない」と言われたことがあります。その友人は、あまりダンマのない人でした。他にもダンマのない人、つまり「今どきの若者タイプの人」は、同じことを言いました。だからダンマの話の理解は、語学の問題ではないのかもしれません。

 

プッタタート師の書籍は、世界数十か国語に訳され、出版されていますが、ほとんどは英語版を介して他の言語に訳していて、タイ語から直接訳している本はほとんどないようです。今日本語を学んでいる人は、世界各国にたくさんいるので、そのうち「日本語のサイトでプッタタート師を知った」という外国人が現れるかもしれません。そう思うと、少しでも多くの本を日本語に訳して置くべきだと感じます。

 

一旦、ざっと翻訳を終えると、一二度読み返し、意味不明な個所を修正したら、完成する手前、登山なら九合目くらいで新規のページ(ホームページ)を作ります。完成するまで待たないで更新を急ぐのは、もしその晩死んでしまえば、翌日更新しようと思っていた作品は、永久に誰の目にも触れないからです。まだ欠陥があっても公開して置けば、誰でも読むことができ、変換ミスや「てにをは」などの小さな間違いは、誰でも間違いと分かるので、あまり心配ありません。

 

だから暫定的に更新し、それから変換ミスや脱字、重複文字などをもう一度修正し、注釈などを追加する作業をして、段々に完成させます。作品の長さによって違いますが、更新して一、二カ月後に完成します。まだ人前に出せる状態でないのに更新するのは、死隨念をすると、まだ未熟児でも、一時も早くその作品を世に出しておいた方が良いと思うからです。

 

起床と同時に店を開けてしまい、店番をしながら洗顔や食事や化粧をするように、多少見っともない面はありますが、お許し願いたいと思います。

阿羅漢の足跡を追って

最後の翻訳作品を更新してから、二年ぶりに新作を更新しました。体調は一進一退の状態が続いていますが、体力が六十歳代の時よりも衰え、気力もあまりないので、気ままに過去の作品を読み、何か書きたくなったら書く生活でも良いかと考えることもありました。しかし何もしなくても時間は過ぎて行き、少しずつでも訳していれば、自然に完成すると思い直して、今年一月、かねてより気になっていた「阿羅漢の足跡を追って」を訳し始めました。

 

「阿羅漢の足跡を追って」は、プッタタート師がバンコクから帰郷した後、長い間荒れて放置されていた寺にトタン板で掘っ立て小屋を建てて住み始めたのが五月十二日で、同年八月二十三日に執筆を始めています。

プッタタートという筆名を使い始めたのも、この時が初めてです。

 

私は、小説でも何でも、その人が最も表現したいことは、処女作、あるいはごく初期の作品にあると見ます。テクニックはまだまだでも、その人に書かせる力が心に漲っているからです。プッタタート師の場合、バンコクパーリ語の段を取る勉強をしていましたが、翻訳の仕方が伝統を重んじる(試験のための勉強)ばかりで、本当に実践できないことに失望して、自力で翻訳する決意をして帰郷し、やっと環境が整って書いた、初めての文章です。(当時はまだ26歳です!)

 

この本には前から興味がありましたが、時々拾い読みをして見ると、三蔵からの引用が多く、難しそうなので、いつでも後回しにしてきました。しかし「あと一つだけ訳すとしたら」と考えると、これ以外にはない気がして、訳す気持ちになりました。

 

阿羅漢になる道を知りたい、阿羅漢になる道を、同胞に教え、「阿羅漢になることは不可能だ」と豪語する人と、それに同調する人をなくしたいという気持ちが、挨拶や、ダンマの説明にも滲み出ています。どんな初歩の勉強や実践をしている人も、阿羅漢になることは最終目標なので、目標を見失わないためにも、しっかりと見えていなければなりません。

 

今の世界は混乱の最中で、ブッダのダンマについて考える良い機会ではありません。しかしできる時に日本語にしておけば、いつか何方かが読んで、有益に使ってもらえるかもしれません。このサイトは、タイを始め、東南アジアで出家している比丘や沙弥尼のみなさんも読んでくださっていると聞いたことがあります。また、在家でも出家と同じくらい、あるいは出家より厳格な実践をしている人もおられると信じます。

 

本書が本気で阿羅漢の足跡を追う人たちの気力になり、灯火になることを願う時、二年ぶりに更新できたことを心より嬉しく思います。

車寅次郎は何が辛いのか

プッタタートプッタタート師が「ブッダダンマ」の中の「静かさはブッダダンマ」という話で、「ブッダは、静かさ以外に幸福はないと言われている。人(動物)は誰でも静かさを愛している。戦争も静かになるための足掻き」という趣旨の話をしています。これには納得しますし、人間の本質はそのように見えます。しかし日常生活ではそうでない人もいます。

 

家族に付き合って映画「男はつらいよ」を時々テレビで見るのですが、何度見ても寅が男であることの何が辛いのか、分かりません。毎回、平和に暮らしている虎屋に、寅次郎がふらりと戻って来て、その回のマドンナである女性に、勘違いの片思いをし、最終的に夢は破れて、虎屋の家族、妹さくらの家族、裏のタコ社長まで、寅次郎の感情の嵐に巻き込んで大騒乱があります。最後は寅次郎が家を飛び出して旅に出て、遠くの町から美辞麗句を書き連ねたハガキが届いて終わります。

 

片思いや失恋など、寅次郎の心の問題なのに、まったく感情を管理しないので、周囲の誰でも巻き込んで振り回し、自分だけが傷ついたように家を去ります。大騒ぎをしたことに後悔も反省もなく、寅次郎の心の中では清々しささえ感じているように見えます。そのタイプの人は、自分が起こした騒乱を愛しているからです。

 

 寅次郎が大騒ぎする前には、必ず憧れの人に対する恋愛感情があります。その女性に逆上せ上がって、あれこれ想い描いて楽しみ、夢想する期間があり、現実が怪しい雲行きになり始めた頃、あるいは失恋が明らかになった時に、最高度の幸福の目盛りまで揺れていた心は、最高の不幸の目盛りに揺り返し、怒って、泣いて、喚いて周囲の人の反応で自分の怒りが最高度に達すまで、周囲の人を激しく傷つけます。最高度に達せば、怒りは収まるからです。(この意味では、怒りも静かさのためと言うことができます)。

 

 もし寅次郎が家に戻って来た時、寅次郎の心を捉え女性が登場しなければ、トラの恋愛もなく、家中を引っ繰り返すような騒動もありません。しかし寅次郎には、美人好みとか、タイプの女性とかいうものはなく、丁度良い時に現れれば、ほとんど誰でも恋愛の対象にしてしまいます。

 

 寅次郎は架空の人物ですが、そのようなタイプの人は、世間にたくさんいます。そのタイプの人は、平和で退屈な日が続くと、自分の心を高揚させるためだけに恋(片思いでも可)をします。人を愛せば心がウキウキして幸福を感じ、現実以上の幸福を感じるために夢想に耽ります。つまり所持している現金以上に馬券を買ったと思い込むようなもので、夢が破れた時は、所持していた額より大きな痛手を被ります。

 

 幸福が突然消えれば、陶酔は怒りに変わり、家族や周囲の人を巻き込んで、怒りの頂点を求めなければならなくなるので、ほとんどは家族や部下に怒りをぶつけます。しかしこのタイプの人は、「自分が何のために恋をするのか。なぜ自分は関係ない人を傷つけてしまうのか。自分は、平和に暮らすこと、平穏に生活する退屈さに我慢ができず、波風を立てずにはいられない」と知りません。

 

 昭和の金子光晴という詩人は六歳で養子になり、養母は彼より十歳上の十六歳でしたが、怒ると焼け火箸を手などに押し付け、別の時には「ごめんね、熱かったかい」と猫撫で声を出すような人だったと書いていました。このような行為も、「平和に、我慢出来ないほど退屈を感じる」タイプで、苦しめることが後で詫びて可愛がる(つまり愛の)原因になるので、そのために幼子の身心を傷つけることを繰り返します。幼児を虐待する親の一つのタイプです。

 

 大人しくしている人たちを見ると、からかって楽しい気分になり、揶揄して怒らせて楽しむ人がいます。(寅次郎もからかうのが好きです)。それも、静かな物の静かさを破ることを幸福と感じるからかもしれません。他人を怒らせて揉めた後には、ことが治まった時、再び静かになる喜びがあるので、その味が繰り返させるのかも知れません。

 

占星学のテキストを読んだ時、「平穏な日常の連続を堪えがたく感じ、愛している人たちに喧嘩を売る人」がいるとは信じられませんでしたが、「男はつらいよ」を観ると、こういうことだと分かります。寅次郎が喧嘩をするのは虎屋の人たちですが、結婚している人は、しばらく平穏に暮らしていると、理由もなく突然相手に喧嘩を売っては、仲直りすることを繰り返します。

 

寅次郎が、平和に我慢できないほど退屈を感じる病気に気づいて治す努力をすれば、柴又には穏やかな日々が続き、寅次郎自身も波風の少ない、穏やかな人生を送れます。それが昭和らしさと言っても、一人の幼稚な男によって、侵略のように、爆撃のように、突然一家が平穏な日常を奪われる光景を観ると、「もっと大人になりませんか」と言いたくなります。

朝方の危機

最低気温が真冬並みの日が続いた先週のある朝、明け方にトイレに目が覚めて、いつものようにトイレに行き、用を足して、ペーパーを巻き取ったことまでは憶えているのですが、気が付いたら座椅子に寝ているような姿勢で(我が家には座椅子はありません)、怪訝に思って右腕を動かすと便器が触れたので、便器と壁の狭い空間にいるらしいと分かり、立ち上がって部屋に戻りました。

 

気づいた時パジャマのズボンは上げてあったので、立ち上がってから倒れたのでしょう。体は冷えてなかったので、意識を失っていた時間は、長くなかったようです。

 

なぜ倒れたのか、何が原因なのか分かりませんでしたが、年寄ならこういうこともあり得るし、自然なことのように思いました。子に話したらネットで調べて、ヒートショックの症状らしいと分かりました。ヒートショックは入浴時に多いと聞いていましたが、朝方は一番寒い時刻なので、放尿により、より体温が下がり、血管が急速に収縮して、一時的に高血圧になるらしいです。あるいは立ち上がった時に、急に血圧が下がったのかも知れません。

 

それとも、一瞬心臓が拍動を止めたので倒れたのかどうか、詳しいことは知りませんが、あれで死んでしまうなら、痛いも苦しいもなく、本当に楽だと思いました。

 

しばらく前に兄が電話で、夜半に便意を感じ、なかなか出ず、座っていると突然床に倒れてしまい、意識はあっても金縛りのように体が動かなくなり、しばらくそうするうちに、元に戻ったと話していました。夜中の便意は脾陽虚という症状(腸の内容物を保持しておく力の不足)だと思いますが、倒れたのは、温かい居間から寒いトイレに行ったことによるヒートショックか、力んだことによる血圧の問題かもしれません。

 

そして私も転倒した日の前後数日は、胃が重いように感じたので、脾(消化器官を司っている)の調子と関連があるのかも知れません。

 

入浴時は温度差に気をつけ、出る時は浴室の中で身体を拭き、外に置いてある下着だけを素早く浴室に入れて、浴室内で着、それから洗面所でパジャマを着ると、外の寒さをあまり感じないので、年寄には良い方法だと実行していました。

 

しかし夜中のトイレでもヒートショックがあるとは知りませんでした。真冬の夜にトイレに行く時は、分厚いベストを羽織っていましたが、最近温かくなったので、数日だけ寒さが戻っても、防寒ベストを来ていませんでした。考えて見れば夜具の中は体温に近い36度くらいあり、トイレの室温はたぶん15、6度くらいで差が大きく、浴場にも劣らず危険だと知りました。

 

同時に、死はいつでも、影のように身に付いていて、突然任務を果たすと再認識しました。ダンマがある時は「今、一秒後に心臓が止まることもある」と考えても、ダンマがなくなれば、「まだしばらくは死にはしない」と考えて、時間を無駄にしてしまっていました。死は、ほんの一瞬の隙を狙っていると感じました。

積もり積もった妄語の結果

 

ウクライナがこれからどうなってしまうのか、世界が注目していますが、誰にも分かりません。香港が中国に返還されて、しばらくは英国統治時代と同じ自由がありましたが、次第に中国の干渉が強まり、やがて本国と一体になるように見えます。

 

英国が統治していた時代、一時は自由な国(地域)になりましたが、住んでいる人は本土と同じ民族で、言語も文化も習慣も同じです。街は、多少西欧化したように見えますが、人々の習性や伝統は中国人と何ら変わりません。だから多くの人のカンマは、中国本土の人のカンマと違わないと思います。

 

カンマが同種なら、受け取る結果も同種です。ほとんどの国民に共通のカンマは、同じ結果を受け取るために、本国と同じの制度になる必要が生じます。だから、ロシア・中国・北朝鮮など、報道統制をして事実に基づかない報道をし、国民が真実を知ることができない国の国民の多くは、「不妄語戒」がないと推測できます。不妄語を言わない人、あるいは正語(本当のことを言う。友好的に話す。丁寧な言葉を使う。利益になることを話す)がある人が、偽りの報道を受け取り、真実を知ることを妨害されることはあり得ないからです。

 

香港の人でも、中国本土の人のように不妄語戒、あるいは正語なければ、一時は自由を味わうことができも、長い間には、本土と同じように情報統制を受け、偽りの情報を受け取らなければならなくなります。時代の流れ、世界の流れとして、強制から解放へ、統制から自由へ変化すると見ていましたが、香港が時代の流れに逆らう結果になったのを見ると、それは大多数のカンマの結果以外にないと思います。

 

当然他にも、貧富の問題、プライバシーのない問題などにも、それらの原因になる共通のカンマがあるはずですが、妄語、あるいは不正語だけでも、この国に生まれること、その国民になることは決定すると思います。

 

日本も、先の大戦中は自由な発言を禁止され、事実でない報道がありました。だから共産主義国、元共産主義国のように多くはなくても、長年の間に積もった不正語の結果をまとめて受け取らなければならなかったのでしょう。

 

貧富の差だけなら一つの国で間に合いますが、(中国と台湾、北朝鮮と韓国のように)同じ民族で、恐怖政治と、民主的な政治に分かれるのは、脅威や権力に関わるカンマの違いがあると思います。

洋の東西を問わず、軍人による恐怖政治は、アジアや中東、東欧など、父権の強い国に見られ、家長制度のない欧米には見られないように感じます。父権と政治は関連があるかもしれません。

 

日常的に話す小さな嘘を重大問題と見る人はいませんが、多数の人の習性になって集積すると、恐怖政治下での暮らしという、恐ろしい結果になります。そういう意味で、宗教の戒(あるいは基本的な道徳)があることは、確実に平穏な暮らしと関りがあると見えます。

 

女性の話

オリンピック組織委員会会長だった森喜朗元総理が「女性がたくさん入っている理事会は時間が掛かる」と発言して問題になったことがありました。男性女性と括られると多少乱暴な気はしますが、一般的に、それは事実を言っていると思います。女性の多くは話が長く、本論に関係のないことを話し、卑近な例が多く、詳細すぎ、議論が進まないことは多いです。しかし女性ほど多くはないですが、男性にも話の長い人はいます。

 

夫は話が長くて、本論から逸れた話が多く、話していてじれったく感じることが多かったです。離婚を望ませた原因であるいろんなことは妥協できても、居間にいる間中、のべつ幕なしに話し掛けて来る習性には辟易としました。最近娘が父と同じようになり、夫が亡くなって饒舌から逃れられたと思ったら、今は子の中に甦り、死ぬまで逃れられないと感じました。

 

詰まらない話を聞くのは苦で、苦は怒りを生じさせます。だから、次々に口から流出する言葉を、戦場で弾を除けるように避けて暮らすのは、修行です。一言話し掛けると返事が長く、たった数語の問いに、何十行も解答する、論文形式の試験のようです。日常会話では、そのような詳細な返事は期待してなく、ただ、肯定か否定か、あるいは軽い相槌くらいで、ピンポンのように遣り取りできれば十分です。その度に長々と話されると、一曲ずつ順に回っているカラオケのマイクを独占されたようにうんざりします。

 

そのような時怒りを生じさせないために、話が長いのはなぜか、何を話しているのか、観察して見ました。

 

話が長い人は、その時話している本論に関わりのない、卑近なエピソードを披露するのが好きなので、一回の発言が長くなります。つまり、長くても重要な内容はありません。一般的に必要な話、重要な話だけをすれば長くはならず、どうでも良い話が混じるから長くなります。

 

重要でない話とは、観察した限りでは、多くは「自分は良く知っている」と思わせたい何らかの知識。あるいは「そこは行ったことがある」など、思い出して自分自身が楽しむ話。あるいは、その話と家族・親戚・友人などとの関係を自慢するなど、「自分」をアピールする類の話です。あるいは、話しながら考えていることもあります。

 

なぜ関わりのない話をするのか。

必要のない話を加えて発言を長くするのは、何が重要で何が重要でないか見分けられず、全部を必要と見るからです。話している人にとって、どちらも同じ重要性があります。つまり、その時話すべき内容として、何が重要で何が重要でないか、判断する能力に欠けています。

 

賢さにはいろんな賢さがありますが、「玉と石を見分ける」「重要なことと重要でないことを判断する能力」は、意味のある人生を送る上で不可欠です。その能力がなければ無駄の多い人生で、回り道ややり直しが多くなるからです。大事と小事を見分けられない人が、必要な話に無用な話を交えて話せば、どうしても話が長くなってしまいます。

 

なぜ自分に関わる話が多いのか。

それは、その人にとって、自分が最重要だからです。何かの問題の対策を話し合う協議でも、その場で自分の能力、話力、魅力を発揮して、参加者に知ってもらうことは、その問題の対策と同じくらい重要だからです。それくらい自分が重要な人は、機会がある毎に自分をアピールするので話が長くなるのではないかと観察しました。

 

親子で話している時、自分の魅力をアピールしても意味がないのに、それでも習性で、知っているだけの知識を披露して、長々と話します。これを仏教で言えば綺語です。綺語が習性になっていれば、そうした話に付き合ってくれるのは、同じように「玉と石を見分けられない」人か、何か目的がある人だけになります。

 

ブッダの綺語の説明は次のようです。

「彼はキリもない話を捨て、際限ない話を避け、時にふさわしいこと、本当のこと、利益があり、ダンマであり、ヴィナヤであることだけを話し、根拠のあること、証拠のあること、終わりのあること、時にふさわしい利益のあることだけを話します」。

 

綺語の報いについては、「めいっぱいして励んでたくさん言った綺語(くだらない話)は、当然地獄のためになり、畜生に生まれるためになり、阿修羅の境域のためになります。人間である人のすべての報いより軽い、くだらない話の報いは、誰にも言うことを信用されなくなることです」。

 

「現生で殺生をし、窃盗をし、愛欲の誤った行為をし、虚偽を言い、告げ口をし、乱暴な言葉を言い、冗長なおしゃべりをし、貪りが多く、恨む心がある誤った見解の人は、生きているうちに、現生で、あるいはその後、あるいはもっと後で当然そのカンマの報いを味わいます」。

 

「冗長な話、意味のない無駄話など、口から漏れる言葉は無害ではなく、殺生や窃盗と変わらない罪」と聞いたことがない人は無駄なお喋りが好きなので、だから女性に生まれることが多いのではないかと思いました。