日本の文化

 日本の文化は、世界中のどの国とも違う独特なものがあります。アジアの文化はインドや中国の影響がありますが、日本は同じ中国文化圏のどの国にも似ていません。災害や大参事などが起きた時の被災者、被害者の態度の冷静さ、穏やかさに、中国や韓国の人は驚きを口にします。2014年のサッカーワールドカップで、日本人サポーターがゴミを拾っている情景は、世界中から称賛されました。

 日本では普通に善良な人にとって当たり前のことであり、日常的にしていて身についていることで、つまり文化です。どの国にも当然そのような習性の人は居ますが、一部の人であり、文化と言えるほど幅広くありません。少数の善人だけでなく、普通の人にそのような良い習性があることが日本文化の特徴だと思います。


 外国では災害や暴動時には、周辺店舗での略奪などがありますが、日本では聞いたことがありません。


このように秩序があり、暴動や騒乱がなく、我先にと自分の利益を掻き寄せず、平常心を維持できるのはなぜかと、ネット上にあるのを読んで、私も興味もって熟慮観察して見ました。


 まず宗教に注目して見ると、儒教は中国も韓国もあり、仏教も儒教道教ほどでなくても、中国にも韓国にもあります。しかし日本の仏教は、天皇や政事に関わる人、文化人たちに支持され、知識者の間に広まり、江戸時代には国教にされ、僧侶が教えを説くことは禁止されてはいても、国中に(大乗)仏教の文化が広まった、これは大きいと思います。


 「仏教と言う名のヒンドゥー教」で書いたように、中世以降の日本の仏教は、内容的にはヒンドゥー教ですが、世俗諦と第一義諦が違うだけで、道徳面では仏教もヒンドゥー教もまったく同じなので、ターン・プッタタートが「仏教徒文化」と言っているものが、日本文化にもたくさんあります。


 それでは、日本の文化は、仏教文化の影響なのかと言えば、タイ人と日本人の考え方や文化はまったく違い、タイとビルマスリランカは同じテーラワーダでも、文化はみな違うので、宗教に由る物でもないと見えます。


他のアジアの国々と比較した時、社会にある道徳的な教えには、それ程差はないように見え、教えの量で言えば、テーラワーダ仏教の地域の方が多いように感じます。


 そこで、どの国とも違う決定的な違いはサマーディではないかと思い至りました。そして、日本人に他国民より深いサマーディを与えているのは、「日本語」ではないかと思い至りました。日本語は、中国、韓国、インドなどの言語との共通点も多くありますが、日本語だけの特徴は謙譲語があることだと思います。敬語は、アジアの国王、大王が存在した国には、庶民の言葉と違う特別の王語があり、複雑で厳格な敬語があります。


しかし、同じ庶民間で使われる敬語は非常に少なく、使っても丁寧語で、謙譲語があるのは、日本語だけのように思います。


敬語は、相手を持ち上げる言葉で、謙譲語は、相手より自分を低めて、間接的に相手を持ち上げる言葉で相乗効果があり、持ち上げられた相手と低めた自分の差は更に大きくなります。


敬語の使い方は非常に難しく、子供はほとんど使うことはできず、中高生くらいから少しずつ知識を得て、大人になってやっと使うことを知ります。初めに相手との身分の違いを認識し、それにふさわしい敬語や謙譲語、丁寧語を選ばなければならず、丁寧過ぎても失礼、あるいは失笑を買うので、その使用には高い知性を必要とし、すべての敬語と謙譲語と丁寧語を完璧に使いこなせる人は滅多にいないくらい、難しいです。


日本では立場や身分は同じでも、ほとんど違いは無くても、あるいは身分や立場の低い相手に対してさえ、敬意を表すために敬語や謙譲語を使う人がたくさんいます。


敬語や謙譲語を使う時は頭が冴えて心も静まっていなければ正しく使うことができないので、日常的に敬語や謙譲語や丁寧語を使っていれば、その時は常自覚があります。敬語を使っている時心に傲慢は減り、謙譲語を使う時は更に傲慢が減っています。


 言葉は心を支配し、心は人を支配するので、日常的に「貴様」「てめえ」などの言葉を使っていれば、次第に心が荒んで、自我が強くなり、いつでも怒りが生じる状態にあるのと反対に、日常的に敬語や謙譲を使っていれば、傲慢さが減り、心が穏やかになり、サマーディがあり、そして自我が減ります。

身分制度があった江戸時代には、敬語の使用は必須で、与太郎レベルの人以外は身分が上の人や目上の人に対して敬語を使っていたので、一般人の平均的サマーディが、他の文化の人より深く、その結果職人の技術の高さ、すべての職業人の道徳の高さなど、日本の独特の文化として開花したと推測します。