歌って踊ることの害


最近のテレビを見ていると、コマーシャルなどにダンスを取り入れることが多くなっていると感じます。今は歌だけではアピールする力が弱く、踊りを加えないと視聴者が関心をももたないと聞いたことがあります。つまり大衆の求めに応えて踊りをつけているようです。
 
「歌って踊れるアーティスト」に人気が集まるようになったのはいつの頃からでしょうか。昔は、歌手は直立で歌うものでしたが、テレビの普及に伴って「振り」をつけるのが普通になり、今NHK紅白歌合戦では、演歌を歌っているすぐ傍で、歌を引き立てるためとはとても思えない、別のソロダンサーが踊っている映像が映ります。踊りがあれば演歌でも厭きないからだそうです。ヤマハでは高齢者のために歌って踊る教室を始めました。
 
これはアフリカ移民の多いアメリカから入ってきた文化で、多くの人は「格好いい」「楽しい」、あるいは「目を楽しませる」と感じていると思いますが、ブッダの教えから見ると非常に憂慮すべき傾向だと思います。
 
というのは、ブッダは「歌を歌うのは泣くこと、踊りを踊るのは狂った行動」と言われ、サティに欠ける行動で、見て楽しんでいるだけでも心は(泣くのと、狂ったのと)同じレベルに陥っているからです。歌って踊ることはアフリカや中・南米の人たちの生活に欠かせませんが、踊りに陶酔した心は陶酔から生じた煩悩に占拠されるので、何かで追い払われるまで心には誤った見解があり、心に誤った見解があれば誤った考え、誤った言葉、誤った業、つまり八邪道になるので、歌と踊りを好む人の社会は、治安の悪い社会になるからです。
 
日本人の文化は人口比一割前後の武士階級が社会を牽引していたので、武士がいない外国より精神性の高い文化があります。しかし日常生活に歌と踊りが浸透し始め、やがて加速すれば、心の落ち着きや道徳や煩悩のレベルは急激に低下します。プッタタート比丘は「悪死の原因は道徳がないこと」と言っています。
 
ひと昔前までは日本にあまりなかった職務中の不注意による事故や、災害や事件事故による死者の増加と、日常的サマーディ(落ち着き)の低下、つまり歌って踊る機会、あるいは踊りを好む人の増加と深い関係があるように見えます。踊る人の割合が非常に高いアフリカや中南米の国々や、そうした国からの移民が多い町は治安が悪く、危険度が高いからです。