健康寿命


平均寿命、つまり命の寿命に対して健康で働けなくなる年齢を意味する健康寿命という言葉が使われ始めました。命の寿命と健康寿命の差は平均で10年だそうです。言い換えれば、人は死の10年くらい前から病気がちな生活を強いられるということです。平均10年ということは、元気に生活していて突然ポックリ亡くなる人もいるので、長い人は二倍以上の人もいるかもしれません。
 
人は誰でも死ぬまで元気でいたいと思います。東京巣鴨とげぬき地蔵は、寝込まずにポックリ死にたいと願うお年寄りの参詣が絶えません。私自身も、いつ死んでもいいから死ぬまで元気でいたいと思っていました。
 
非常に自他に厳しかった祖母は死の一週間くらい前まで病気で伏せている姿を見たことがなく、老衰で数日寝て亡くなり、父は脳内出血を発症した日に亡くなったので、悪行が多い人は病気が多く、悪業が少ない人は死ぬまで元気でポックリ逝くような気がしていました。

しかし観察して見ると、凶悪な罪を犯した人でも無病息災で静かになくなる人もいるし、悪業があって病苦に苦しんで亡くなる人もいるし、善人に見える人で長い間病気と道連れの人もいるし、善人でほとんど病気がない人もいます。だから善悪の業と病気、あるいは病弱の関係は、非常に複雑で良く見えないということができます。
 
プッタタート師のインタビュー自伝を読むと、86歳で亡くなる20年くらい前から病弱な状態が続いていたようです。二十歳で出家し、生涯律による制約と厳しい戒のある生活をなさり、本当のダンマが見えていた人が、悪いカンマを一般人より多く作るはずはないように思います。
 
その理由を考えていると、次のような考えが生まれました。一般人のほとんどすべては海の生物になるとブッダが言われているので、中程度の悪の人は、次に海の生物(つまり地獄)に生まれればこの世でカンマの清算する必要がないから、晩年に病苦を受け取る時期がなく、悪が少なく海の動物に生まれない人は、現世で小さな悪業を清算しなければならないので、病弱な時期が長いのではないかと思いました。

そして八正道を歩んでいる人は海棲動物に生まれないとブッダが言われているので、晩年に清算しきれなかったカンマが残っている場合は、次の子供時代に病弱になるのだと思います。あるいは小さな事故に遭ったりケガをしたりします。プッタタート師も子供の頃は病弱だったと話しています。
 
現世では非常に悪の少ない善人で、大悟してブッダになってからは当然、まったく悪のカンマを作っていないブッダでさえ、晩年は「サンカーラ(行。この場合は身体)の変化による苦受を受け取り、如意足で凌いでいる」とアーナンダに話されているので、老年期の体の変化から受け取る苦受は避けられないものと知るべきではないか思いました。
 
本当にタンマを理解するまで戒がなかった私は、当然大小様々な悪のカンマを作って来たので、もし次に海の生物に生まれるのを免れ、陸の生物に生まれるなら、現世でカンマの報いを清算しなければなりません。

だから八正道を実践してない人で、人並に悪のカンマがあるのに現世で結果を受け取らないことは、海の生物(地獄の生き物)に生まれることを意味します。このように熟慮してくると、死ぬまで元気でいたいと望むのは無理なことと分かり、「賢い牛は、鞭で打たれる度に借りを返している喜びを感じる」と言われたブッダの言葉を思い出し、賢い牛のような老人でいようと思いました。