お酒を飲むこと

今マスコミは日馬富士の事件の話で持ち切りですが、私は今回の事件でも飲酒の害を思いました。日馬富士は会見で「今回のことは、酒を呑んだからこそのことではない」と言っていましたが、ウィスキーをアイスバケツに注いで回し飲みすると言われるモンゴル人の酒席、それも二次会で、酔っていないはずはなく、その夜の帰路、自転車を借りて漕いで転倒したというので、相当酔っていたと思えるのに、まだ「酔ったからしたわけではない」と酒を庇い、酒が非難されるのを守っていました。
 
つまり事実を冷静に見えないか、あるいは飲酒を非難され、止められたくないと考えたのかもしれません。酒のせいではないと言えば、傷害罪としては不利になるだけなのに。
 
酒は五戒の一つで禁止されています。時々「ブッダは不殺生、不偸盗、不妄語、不姦淫は禁止していたが、飲酒は禁止していない。後の時代に追加された」と言う人がいます。そう言う人は百パーセント愛飲家で、自分の飲酒を正当化したい人のようですが。
 
ブッダが四つについて言及され、不飲酒に触れていないのを、つまり五戒でなく四戒だけのことを何度も読んだことがありますが、それは比丘に話している時は、律を守っていれば酒類は手に入らず、呑むことはできないので省略されているのだと思います。私たちも話をする時、当然分かり切っていることは、省略することは時々あります。
 
戒にあるなしに関係なく飲酒は非常に害のある行動、後に心に苦を生じさせる行動だと思います。酒は神経をマヒせ、サティ(理性)をマヒせるので、心の中は「俺は」「俺が」という感覚でいっぱいになります。つまり心の中は煩悩が言いたい放題、やりたい放題になり、酔っている間中、言葉で、あるいは心で悪いカンマを作り続けます。
 
だから日常的に飲酒をしている人は、どれほど多くの悪業を積んでいるでしょうか。仕事中はあまり考えず、無駄なお喋りもしないので、仕事以外の時間に積んだすべてのカンマのうち、酒を呑んで積んだ口業、意業と、素面で積んだ口業、意業の数は、どちらが多いでしょうか。私は毎日飲んでいる人なら、悪である口業、意業の方がはるかに多いと思います。
 
国立循環器センターのページの飲酒と死亡率の関係のグラフを見ると、酒量が増えるにしたがって全死亡率が高くなり、例えば日本酒三合以上飲む人の死因のトップは事故死、次が癌、三番目が脳血管障害による死になっています。この数字は、酒が心臓に悪い、あるいはどの臓器に悪いというのでなく、飲酒は悪死の原因である悪のカンマを作ることを表していると思います。
 
事故死を言い換えれば非業の死、不遇の死、無残な死で、著しい道徳の欠如、つまり不道徳なカンマの積み重ねによって生じ、タンマのある人には生じないとプッタタート比丘は言われています。誰でも酒に酔っている時は心にタンマがないので、タンマのない心、つまり煩悩で限りなく考え続けると、無残な死を招くほどの量になるのだと思います。
 
酔っている時は煩悩に支配されているので平気で悪事ができ、悪事をすれば嘘をつく必要が生じ、酒を飲めば性的間違いも多く、怒りを止める理性がマヒしているので、意図せずに今回の日馬富士のような傷害事件や殺人事件を起こしてしまうこともあります。そして仕事を失い、社会的地位を失うので、飲酒はすべての悪を簡単に行わせるものと言うことができます。酒にはどんな戒も簡単に破らせる力があるので、不飲酒戒は普通の人が考えるより重要な戒だと思います。飲酒をしなければ、多くの間違いが防げるからです。
 
多くの人は「事件や事故を起こす人は、その人の性質の問題で、私はそうならない」と考えていると思います。しかしブッダは個人の問題と見ず、まだ煩悩がある人はみな同じと言われ、聖人になれば段階的に危機から脱すと言われています。だから「私は大丈夫」と見る人は、煩悩の危険が何も見えない人です。
 
悪死に至るほどでなければ、酔っている時に積んだ無数の「酔っていたい。ぼやけていたい」と望んだカンマの報いは、長期間になら痴呆症になり、不鮮明な意識になり、知性や理性のない人になります。

また酔って口にすることは、どんな話題であれ無駄話、綺語の類なので、綺語等のカンマの結果は、必要な正しい知識、上質の知識が届かず、それらの知識に触れる機会があっても関心がなく、理解する知性もたりません。身近にいるお酒を呑む習慣のある人は、それほどの年齢でなくても意味不明な(理路整然としていない)ことばかり言います。
 
どんなに才能があり、社会的に重要な仕事をした人でも、親しく付き合うのは呑み友達だけ、話すのは酒が旨くなる話題だけで、何を話しても酔っ払いの戯言(妄語、綺語)の類で、まじめで建設的な考えや発言をしないので、その人は生涯飲み友達しかなく、日常的に飲酒以上の楽しみがなく、病気で酒が飲めない状態になると一斉に友人が去り、家族にも見放され、気が付くと、自分が軽蔑していた心が低い人の一人になっています。そして人生の問題を解決する力は大分前からありません。だから占星学では、酒を呑む人(親も酒を飲む人)は無目的な人生を送ると言います。
 
大乗やキリスト教の社会では飲酒は普通のことと見られていますが、私は一般の人でも日常は慎むべきものと考えます。一昔前までは食べることに精一杯で、酒は年に何度か、冠婚葬祭、あるいは晴れの日にしか飲めなかったので、その害も多めに見られていましたが、豊かになり、毎日でも飲めるようになると、自制のない人は呑みたいだけ飲んで、せっかく人間に生まれた機会を、溝川の川面に浮いている塵芥のように無目的な人生を送る人が増えました。
 
白鵬との対立で注目されている貴乃花親方はお酒を呑まないそうです。そう聞いただけで、毎晩大酒を飲んでいる人たちより、あるいは一般の酒を愛している人より信頼できると感じます。