老いについて知る

四聖諦の苦は十一種類ありますが、基本的な苦として「生老病死」があります。生まれることが苦なのは、すべての苦は生まれたことによって生じるからです。死ねば苦は一旦終わりますが、カンマがある生き物はカンマの威力によって再び生まれてしまうので、生まれることは苦です。


病気をしたことがある人は誰でも「病は苦」と知っています。そして死は、親しい人、愛している人、財産、地位など、今あるすべての物を捨てなければならないので苦です。愛している人も、親しい人も、財産も地位も何もない人でも、何よりも愛している命を捨てなければならないので苦です。


しかし二番目の老だけは、老齢に達していない人は、どのように苦か良く理解できません。私自身も子供の頃、家に祖母がいたので老人を見ていましたが、勤勉で病知らずで、愚痴や嘆きを聞いたことがなかったので、自分が老人になるまで「老いは苦」と知りませんでした。


四十歳代の頃、前を自転車でのろのろ走っている老人がいると、スピードを上げて追い越し、その当時の感覚の言葉で「この爺さん、なんでノロノロ走っているの?」と考えたのを思い出します。つまりその老人がノロノロとしか走れないことを知らず、普通に走れるのに、急がないから、暇だからゆっくり走っていると考えて、イライラしました。


今私は戸外をほとんど歩けないので、歩くのと同じくらいの速度で自転車に乗っています。力を入れて漕ぐと息が苦しいからです。そうなって初めて、あの時の老人は、自転車を漕ぐ力がなかったかもしれないと気づきました。


老いると目がかすみ、耳が遠くなり、指先が思うように動かなくなり、物を落とし、壊すことが多くなり、食べるのに時間が掛かり、食べ物や飲み物をよく零し、食べられない物、食べにくい物が多くなり、脚運びが悪くなり、杖をつかなければならなくなり、物忘れをし、言い間違いをし、勘違いをし、そうした症状は脳や内臓の衰えが原因なので、同類の原因による不具合が数えきれないほどあります。


そしてまだ老いを知らない若い人(子または子の世代)は、そうした老いの症状を理解できないので、若い丈夫な時代よりもすべてにおいて衰えた年寄り(親または親の世代)を見下し、自分より知性が劣る者(小さな子供)を管理するような、指示するような物言いをします。年上の人に指図されるのは当たり前ですから慣れていますが、二十も三十も年下の人に上から目線で物を言われたらどう感じるか、想像して見てください。そして見下される理由は「老い」です。


若い人は運勢が落ちると「最近思うようにならない」と言います。老いると毎日、一年中、思うようにならないことばかりになります。身体だけでなく、考えることも、することも、周りから受け取るもの、つまり環境も、すべてが望まないものが多くなります。そしてその理由は、大きな引越し前の整理、つまり死の前にいろんなカンマの結果を受け取らなければならないからです。


幼少期は過去世のカンマの残りを受け取るので、人によっては問題があり、成年期はカンマの借金がほとんどなくなり、多少無茶をしてもすぐに結果が出ないので、迷っていろんなバカなことを繰り返し、老人期は次の生に移る前に、成人期に積んだカンマの結果を受け取らなければなりません。だから老人には、病気、体の機能の衰え、いじめ、虐待、犯罪被害、事故など、自然の老化以上の様々な問題があります。


そして幼児期は、すべてを黙って受け入れて堪えなければならなかったように、老年期も、黙って堪えるしかありません。七転八倒して闘えるのは成人の時だけです。


死の恐怖は、すべての人が体験するすべての生き物にあるので、人間で死んだ後、海の生物(つまり地獄)に繰り返し生まれて来た人でも、むしろ繰り返し海の動物で生きた人ほど、死は死っています。


病と老いは家の中で飼う家畜や大型の野生動物などと人間しかありません。普通の動物は,病や老いが萌せば、捕食動物に喰われて死ぬからです。過去世で海の動物や小動物、あるいは肥育される動物しか体験したことがない人、つまりタンマで生きていない人は、老いを経験してないので、老いを知りません。


以上の理由で、ほとんどの人は老いを知らない、あるいは思い出せない、あるいは忘れているので、だから若い時楽しく過ごせるのです。老いを知っている人、人生の最後には老いがあると理解している人は、出家前のブッダのように、若くても楽しく感じず、冬支度をする山村の人のように、するべきことだけをします。


若い時にするべきことを知らず、反対にしたいことをして来た人は、その人が今見ている老人より、たぶんもう少し厳しいな老後が待っているかもしれません。今の老人より、育った社会に基本的な道徳が少ないからです。


死の恐怖は知っていても、病と老の恐怖を知らないことは、人間を油断でいっぱいにします。病と老を知れば、若い時からもう少し慎ましく、大人しく生きる気持ちになるかもしれません。

大家族で、家の中に必ず老人がいた時代と違って、老いも学ばなければ知らない時代、老いなどこの世にない、自分の将来にないと勘違いする時代なので、既に老人の方はまだ老人でない人に老いの実体を教え、まだ若い方は老いを学ばれることをお勧めします。老いは、地獄の生き物にはない人間だけのものだからです。


佐藤愛子著「九十歳、何がめでたい」などは、老いを知るためには良いと思います。