暴言の時代

年前に見たテレビで、70歳近い俳優が一回りくらい年上の大先輩俳優と話す時に、自分を「俺」と呼んでいるのを見て仰天しました。俺というのは、目下、あるいは仲間内の人に対して使う言葉で、その俳優は早稲田大学卒で、まったく知識がないはずはないからです。
 
俺俺詐欺が多発したのは2000年以後らしいですが、昔なら僕僕詐欺であるべきで、親に電話して俺と名乗るなど、よほど構わない家庭でなければあり得ませんでした。1986年にも電話を使った同様の詐欺がありましたが、その時は当然「僕だけど」と言ったとあります。
 
子が親と話す時に俺と名乗ること、これは非常に大きな問題です。例えば上下関係が厳しい江戸時代に、平の武士が目上の武士に、位の低い大名が位の上の大名に、あるいは家臣が主人の前で自分を俺と呼べば、自分は相手より上であると言わんばかりの振舞いで、どんな咎めを受けるか知れません。ほとんど狂気の沙汰ですが、親の前で俺と言うのも、ほとんど同じです。
 
バブルの時代前までは、ほとんどの男子は僕という言葉を使っていたように思います。田舎で日頃は俺と呼んでいる人たちも、余所行きでは、僕や私、自分などという言葉を使い分けていました。親に電話して「俺」と言うのが普通で、違和感がなくなったのは、1980年代、あるいは1990年代でしょうか。
 
「バカヤロー」「そうじゃねえよ」「うるせえ」などという、一昔前なら荒くれ男の世界で使っていた言葉を、今はテレビのバラエティー番組で、男性ばかりでなく女性まで普通に使っています。私は、こうした傾向が切れやすい人、揉めごとの多い社会を生む一因になっていると思います。
 
例えば「○○でございます」、「○○です」、「○○だ」など幾つものレベルの言い方があるとして、同じ人でも最も丁寧な言葉を使っている時は、心に一瞬不満な感情が萌しても、少し心が波立つだけで怒りにまでなりません。普通の言葉を話している時、心に不満な感情が萌せば、その感覚は怒りになりますが、まだ弱いので噴出しません。「そうだよ」「そうじゃねえよ」などという言葉を使っている時心に不満な感情が萌せば、それ以上粗暴な言葉がないので、一瞬で噴出する怒りになります。乱暴な言葉を使うことの結果は、自分がどんどん下品で粗暴な人になり、暴言で満足できない感情は、暴力を生みます。
 
だから男性の多くが「僕」という言葉を使い、女性が「○○なの」「○○だわ」「○○かしら」などという言葉を使っていた時代より、人は切れやすくなり、「ストレス」と呼ばれる怒りが原因の事件も非常に多くなり、職務中でも切れてしまう人まで出現し始めました。
 
乱暴な言葉は祖語と言い、八正道の正語、あるいは十善などで戒められています。丁寧な言葉、正しい言葉は、安全な生活、安全な人生、つまり苦のない生き方の基本だからです。日常の丁寧な物言いは、自分の品位を傷つけないだけでなく、丁寧な言葉を使う度に怒り難い心にし、怒り難い習性にし、反対にぞんざいな物言いは、その度に怒りやすい心、切れやすい習性にすると知っていただきたいと思います。