中曽根康弘氏について

私にとって今年一番印象深い出来事は、中曾根康弘元総理大臣の訃報をテレビのニュースで見た時、突然「徳川家康だ!」という思いが、閃光のように脳裏で炸裂したことです。このようなことは初めてでなく、たまに時々あります。初めては二十年ほど前、四念処を始めて一年余り過ぎた頃、心が四禅に達した時、自分が被害者だと思っていた過去の出来事の原因であるカンマである行為が、突然記憶に浮かんできました。

 

少し具体的に書くと、過去のタイ旅行中に三度スリに遭ったことがあり、その原因は、当然凡夫である私には分かりませんでしたが、なぜだろうという気持ちはありました。しかしその時(四禅にある時)突然、何の脈絡もなく、私がスリに遭ったのは、学生時代に母の財布から千円札を引き抜いたことの報いだと気づきました。ダンマの話風に言えば気づいたのではなく「見え」たのです。この世界にカンマの法則はあり、カンマの報いも本当にあると見えたことは、「世界の真実を見てしまった!」という衝撃であると同時に、世界は法則で動いているという深い納得と恐しさを感じました。

 

その後も時々何かのカンマとカンマの報いが繋がって見えること、つまり「残業の原因は、自分ですべき身の回りのことをしないこと」のように、結果である残業と、原因である生活習慣の因果関係が見えるようになり、十年ほど前から、誰かと誰かが繋がっている命に見えるようになりました。

 

初めて他人の過去世が見えたのは、テレビで朝青龍を見ている時に「この人は力道山だ」と見え、次に貴乃花双葉山山本直純モーツァルト、そして今回は中曾根康弘徳川家康です。

 

中曽根氏については選挙区くらいしか知らなかったので、ネットで調べて見ると、高崎市出身で旧制高崎中学を卒業後、静岡高校へ行き、それから東京帝国大学卒業とあります。高崎は徳川氏のルーツである世良田に近く、静岡は家康が生涯の多くを過ごした地です。

 

 父は上信鉄道の創業者、生家は材木商で、少年時代には、労働者が百五十人、住み込みの女中が二十人くらいいたそうで、つまりかなり裕福な家に生まれたということです。帝大卒業後は内務省に入り、その後将校として戦中を過ごし、二十九歳で衆議院に立候補して当選し、その時既に総理大臣を目指すと言っています。その後紆余曲折があり、六十五歳で総理大臣に就任しました。生まれが三週間くらいしか違わず、初当選も同期だった田中角栄氏は五十五歳で総理大臣になっているので、角栄氏より十年遅い天下取り(総理就任)です。

 

 徳川家康征夷大将軍になったのは六十歳なので、当時としてはかなり遅咲きで、二人とも大器晩成型の人です。「鳴かぬなら、鳴くまで待とう時鳥」と謳われる性質は中曾根氏にも見えるし、「風見鶏」と言われる柔軟さは、家康にも言えると思います。また家康はスペインと外交で遣欧船の建造をするほど外交が得意で、中曽根氏も外交が得意だったようです。

 

中曽根氏は若い頃「私の体の中には国家がある」と言い、晩年には「今も私の思いは国家にある」と言い、「暮れてなお、命の限り 蝉しぐれ」と詠み、常に国の行く末を案じていた家康と共通します。

 

このようなことを考えていたら、後日の関連ニュースで、レーガン大統領が来日した時、日の出山荘で二人が陣羽織を彷彿とさせるちゃんちゃんこを羽織ってほら貝を吹いている姿が映っていて、関ヶ原で法螺貝を吹いた記憶がまだ残っているのだと思いました。

 当時中曽根内閣は「田中曽根内閣」と言われたことがありましたが、その「田中角栄」は秀吉だと気づきました。田中元総理は農家に生まれ、類稀な世渡りの才能で総理大臣にまで上り詰め、目上に取り入るのが巧く、関わった人の心を掴んで人を動かすのが巧みで、政治家になる前は土木建築業で、その面を得意とし、大きなこと、豪華な物、贅沢が好き(成金趣味)だったようで、伝えられている秀吉の人物像そのものです。秀吉は一夜城など、土木建築が得意で、大きな権力に取り入られ、部下たちの心と掴むのが巧みでした。非常に母を愛したのも、糟糠の妻を大事にしたのも二人に共通します。

 

そして秀吉は「皆が見るとおり、予は醜い顔をしており、五体も貧弱だが」と語っていますが、角栄氏も背が低く、美男子には見えません。ルイス・フロイスは秀吉について「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた」と書いているとWikipediaにあり、田中角栄氏も、総理大臣になっても土建屋のおっさんという雰囲気を感じました。

 

そして田中元総理は「今太閤」と呼ばれ、中曽根元総理は康弘という名で、家康の一字がついています。現存している肖像画の秀吉、家康も、田中角栄氏、中曽根康弘(八十歳過ぎの)氏に面差しが似ています。

 

豊臣秀吉徳川家康が、田中角栄元総理大臣と中曾根康弘元総理大臣なら、信長はいないのか。そう思って政界を見ると、「ぶっ壊す、ぶっ壊す」が口癖の荒々しい言葉と性格で、ハイカラな物好きな政治家がいます。信長の妹のお市の方は凄い美人と言われていますが、その政治家の元奥さんも美人で、息子の嫁も美人で、つまり代々美人を娶る家系らしく、代々美人を娶っていれば、当然その政治家の姉妹も美人だと推測できます。そしてその政治家は、教科書に載っている肖像画の信長と良く似ています。

その他の政治家も、私が良く知らないだけで、まだ良く見えないだけで、多くは歴史上の武将なのかもしれません。それについていろいろ思いを巡らせ、数日は興奮と満足で過ごしました。これは私にとって、今年の大きな出来事でした。

 

付録として、過去に朝青龍力道山について別の所に書いた物を添付します。

 

戒のある人は畜生談を好みませんが、阿羅漢でない人は、時には身近な人と他愛のない話をすることもあると思います。害になると分かったら、その時点で削除することにして、私には他愛のない話をする人がいないので、友人限定で無駄話を書こうと思います。

ご興味とお暇のある方はお付き合いください。しかしこういう話題は、いくら考えても、いくら論議しても時間を無駄にするだけなので、聞き流すだけ、あるいは記憶の隅に留めておく程度になさってください。ブッダの原則を基本にいろんなことを見る(ヴィパッサナー)習慣のある方には、何かの役に立つあるかもしれません。

しばらく前、テレビで力道山の大写しの顔を見て「朝青龍の笑顔を見るたび、何だか思い出せないことがあるような気がして、歯に物が挟まったような感覚を感じましたが、それは力道山の面影だ」と分かりました。急いで力道山の死亡年と朝青龍の生年を確認すると、力道山は1963年12月に死亡し、朝青龍は1980年9月に生まれていて、十七年近い差がありました。これなら生まれ変わりはあり得ると見て、次に占星学の本で、朝青龍の前世の生き方を調べました。

二つの観測点、つまり12×12=144通りに示されている前世の生き方による朝青龍の過去世は、『戦いや競争によってたくさんの富を得た人生。それは勝利の褒美や賞金、商売敵との競争を勝ち抜いて利益を得たことも考えられる。過酷な戦いや競争の末に、実力で富を手に入れた』とありました。これは、力道山の人生そのものです。

朝青龍の兄は、一人は総合格闘家、もう一人はプロレスラーで、朝青龍が問題を起こして帰国するまで、日本で生活していました。つまり兄二人は、過去世でプロレスラー、あるいは格闘家であり、二人とも日本に縁があった人と見えます。これは、朝青龍が、過去世でそうした世界の人と関わりがあったことを窺わせます。しかし力道山が関わった名前のある人を調べると、ほとんど最近まで生存しているので、それらの人ではないようです。

また、前世で住んでいた国には、現世で(外国へ行く機会のある人は)行くことがあると私は見ていますが、朝青龍は日本へ来て長年暮らし、そして2004年に韓国へも行っています。力道山は祖国である韓国人のことを「チョーセン野郎」と言い、朝青龍はある韓国人記者を「キムチ野郎」と言っています。

占星学で、朝青龍の現世の目的(これは12種類)を見ると、『過去世で選んだ生き方とは反対の生き方を望んでいる』、つまり、過去世で重要な時の判断を誤り、それを繰り返したくないと決意して生まれているとあります。

朝青龍力道山も、外国に生まれて、若い時代に来日して相撲界に入ったことまでは全く同じです。二人の名前を並べて検索すると、二人の共通点について書かれたブログがたくさんあることを知りました。いろんな事件やトラブルについて読むと、横綱になってからの朝青龍と、力道山の性行は、ほとんど同じです。また、角界には実業家の才能のある人はほとんどいませんが、朝青龍力道山も、マンションやレストラン、娯楽施設やジジャー施設など、似たような事業、大規模な事業を展開しています。

違うのは、朝青龍はプロレスに転向しなかった点だけです。これは、「過去世での過ちを悔いて、繰り返したくないと決意したから」と見えると思います。あるいは、力道山朝鮮半島に妻子を残したまま、日本で別の人生を生きましたが、家族と離別した後悔もあるのかもしれません。いずれにしても、朝青龍の過去世は、何らかの悔い、あるいは反省するべき人生だったということが分かります。

まだ天眼通で「見えた」という段階ではありませんが、力道山の顔を見て「そうだ!」と感じた感覚は、思考による推測ではありません。どんな事実を調べ上げても、実証することはできませんが、阿羅漢になれば天眼通や宿命通、漏神通などの力が完璧に備わるので、明らかに見えます。その時まで本当はするべき話題ではないのかもしれませんが、今はまだそれと知らないので、他愛のないお喋りとして書いておきます。

三島由紀夫の「豊饒の海」の主人公が次々に輪廻を繰り返す話を、昔「作り話」と理解して読んだ記憶があります。しかし朝青龍力道山が繋がっている命なら、六十年くらいしか生きなくても、短命の人の例なら、二つの命の繋がりを見ることができるのだと思いました。そして二人が繋がっている一つの命だとすれば、どちらも乱暴者には違いありませんが、朝青龍力道山より多少の進歩が見えるように感じます。

死の直後に、自分の人生を顧みて反省をする時間があると聞いたことがありますが、本当にあるかも知れません。それに、過去世で経済力と権力を手に入れ傲慢を極めた人も、子供時代にはあどけない子供になって(朝青龍の母親が、彼は良い子だったと話しています)、親や周辺から教育やしつけをされるので、新たに「学ばされる」時代があることも、生き物として大きな意味があり、進化する希望があると思いました。