私の好きなブッダの言葉

子供の頃も学生時代も、そして大人になってからも(ブッダの仏教に出合うまで)、いろんな場面で誰かに文句や暴言を言われた時、すぐに言い返せない自分に対して、幾度となく歯がゆい思いを繰り返して来ました。後になって、ああいえば良かった、こう言い返せば良かった、次の機会にはこう言ってやろうと考えて眠れない夜もあり、そして再び同じような場面に出合うと、結局言われる一方で、反撃できない自分に失望しました。

プッタタート比丘の「ブッダダンマ」という本の「会話記録2」に、次のようなブッダの言葉があります。

 

『粗暴なことを言うヤクザな人は、

当然それを自分の勝利と見なす。

智者は忍耐を自分の勝利と見なす。

怒った人に怒り返すことは、初めに怒った人より悪い。

怒った人に怒り返さない人は、非常に困難な戦いに勝った人と呼ばれる。

そして双方、つまり自分の側と敵側、双方の利益になる行動をする人でもある。

相手が怒ってしまったと知った人は誰でも、双方、つまり自分と敵側の利益を守るためにサティで静まってしまいなさい。

その当事者である賢くない族だけが、この人は弱虫と考える』。

 

この言葉に出合った時、そうだったのかと深く納得しました。この言葉は、いつ読んでも心がスッキリし、時には「がんばりなさい」と言われているように感じます。言い返せなくて悔しいと感じたことが、非常に困難な闘いに勝ったという名誉であると知ったからです。そして「情けない」「不甲斐ない」と感じていた性質は、過去世でこの教えを実践していた結果かも知れないので、悔しがるべきではなかったと思いました。

これを読んでくださっている方の中にも、文句を言われて言い返せないで悔しい思いをしている人がいらっしゃったら、ブッダのこの言葉を喜び、今まで情けないと思った自分自身を誇りに思ってください。

怒っている人に怒りで返せば、双方の怒りが縄のようになり、波のようになり、多くの人の怒りを巻き込めば、大きな怒りの際限ない流れになるかもしれません。プッタタート師は、「怒りは死」と言われているので、怒りの流れを止めることは、自分に迫る死の流れを止めることです。

洪水も火事も、最初の段階で流れを止めることが肝心ですが、最初に言い返さないことは、船員が小さな穴を見落とさずに塞いで船の浸水を防ぐように、重要で賢い行動だと思います。