天人に転生した人

ブッダヴァチャナによるブッダの伝記」を読むと、大悟する前にいろんな考察をなさっているのが分かります。その中に『天人がどんな業の報いでこの世界からその天人の世界に生まれたか分かれば、それは私の、更に純潔なニャーナダッサナ(智見)になるだろう」という考えが生じました。比丘のみなさん。また別の時、努力があり、自分を追い遣っている不注意でない人になると、その天人たちはこのような業の報いでこの世界からその天人の世界に生まれたと分かりました」とあります。(中略)

 

そして『比丘のみなさん。八転がある天人についての私のニャーナダッサナが、まだ完璧に純潔でない間は、まだ天人界・悪魔界・梵天界を含めたこの世界と、サマナ・バラモンと、天人と人間を含めた動物群の、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(阿耨多羅三貘三菩提智)を悟ったと宣言しませんでした。比丘のみなさん。八転がある天人に関わる私のニャーナダッサナ(智見)が完璧になった時、天人界・悪魔界・梵天界のこの世界と、サマナ・バラモンと、天人と人間の動物群に、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(阿耨多羅三貘三菩提智)を悟ったと宣言しました』と言われています。だから天人に関わる真実を見ることは、重要な如実智見であると分かります。

 

私は神様と混同するのを避けるために「天人」と訳していますが、多くの翻訳家は「神」と訳されています。原語は「デーヴァ」で、ブッダの言葉の中に度々出てきます。普通の人間より上の存在(天界に住むと言われている)で、プッタタート師は「天人とは、汗を流す必要のない人。人間とは、汗を流さなければならない人」と説明しています。

 

最上が王の中の王(帝釈天。江戸時代なら将軍)で、その下に中くらいの王(同じく大名)、小さな王(外様大名)、王妃、大小の王子、王女がいます。今の日本には、天人の種類は四半分もないように感じます。天人は大きく分けると愛欲界・形界・無形界の三種類あり、細かく分ければ三十二種類あり、愛欲界の天人は愛欲だけに熱中しているそうです。

 

今の日本に天人はいるのか観察して見ると、皇室と一部の富裕層は汗を流す必要がないので、天人かもしれません。

 

デヴィ夫人(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)は、スカルノ大統領との結婚によって、インドネシアの天人の一人に転生した人と言えると思います。(その名のデヴィは、パーリ語のデーヴァの女性形である「デーヴィ(女神、天女、妃)」ではないかと思います)。大統領夫人と言っても、汗を流す必要のない、庶民から見たら「雲の上の人」になったのですから。人間界の人であった女性が、なぜ天人界に生まれたのか、そのカンマについて考えていたら、数年前、偶然テレビを見ている時、彼女の言葉で知りました。


女性たちが夫に対する不満か何かの話題で話している番組で、デヴィ夫人が「わたくしは、大統領に対しては神様に仕えるようにしていましたよ」と言うのを聞いて、「これだ、彼女を天人にした原因は」と感じました。赤坂の高級クラブでスカルノ大統領と出会い、愛人としてインドネシアに渡り、その愛人時代に積み重ねたカンマが、三年後に彼女を天人にしたのでしょう。

 

誰かに対して「神に仕えるように仕える」ことは、私のない行動、滅私の行動で、その立場にいる自分の義務として最高に仕えた、そうしたカンマの集積の結果は、天人に生まれさせるに十分と見えます。プッタタート師は、最高に重いく悪いカンマは「傲慢」と言われていて、傲慢の反対は、無私、無我で、無私、無我なら、義務だけを遂行するからです。(好きな人に尽くすのは義務の遂行でなく、むしろ愛欲に関わる行動なので、あまり良い報いは期待できません)。

 

 

デヴィ夫人は「17歳で高級サパークラブで働き始めた時も、生きた英語を学ぶこと、独立してお店が出せるぐらいの資金を調達すること、華道・茶道・日舞を習得するという目的があり」、そして世界の文学も全部読んだそうです。昔の花魁は、古典、書道、茶道、和歌、筝、三味線、囲碁などの芸事と教養を習得していたというので、デヴィ夫人が身につけた芸事や教養は共通するものがあります。

 

花魁は一般庶民には手が出ない高嶺の花であり、自分で客を選ぶことができ、大名の指名も拒否する権利があり、常に客より上座に座るしきたりがあるほど身分が高いので、当然気位も高いと思います。花魁は大名など身分の高い武士と交友があったので、それらの大名だった人が何度か輪廻して西洋に生まれれば、夫人がインドネシアを出た後、ヨーロッパの社交界の花となって、貴族や富豪と浮名を流し、社交界の女性たちとトラブルを起こしたのも納得できます。

 

男子の天人は、大小の国の王と、王太子、王位継承権の確率の低いその他の王子など、それぞれ種類が違う天人で、当然カンマも違うと思いますが、妃になるカンマは、神様に仕えるように仕えるだけで十分と見えます。

 

ブッダはすべての物は原因と縁があって生じると言われています。天人に生まれることの原因であるカンマについて考えるのは、この世界や天人界を真実のままに見る練習に不可欠と思います。そして人間を知り、天人を知り、悪魔や畜生や餓鬼、修羅などを知り尽くせば、混沌と見える世界が真実のままに、ブッダがご覧になっていたのと同じように、整然とした秩序がある物に見えてきます。