悪人に布施する

戦前戦後の時代に、伊藤久男という歌手がいました。昨年テレビドラマで名前を聞いて、懐かしさに何曲か歌を歌を聞いてみると、自分が知っていた晩年の声からは想像できない美しい声と、見事な技巧を持ち合わせた稀有な才能のバリトン歌手だったと知りました。それで、自分が知っていたのは「自分が知っている部分」だけでしかなかったと感じました。

 

興味を持って氏について調べて見ると、出演料を値切られた時など「頭に来たから、タダで良いと言った」という証言がありました。その証言をした人は「頭に来たから断るのでなく、頭に来たからタダにするという人は、非常に珍しいですね」と言っていました。

 

頭に来た時、相手に損害を与え、相手を不利にするのでなく、反対に相手に利益を与えたくなる気持ちが、私は理解できます。私自身、奇妙な習性があるからです。

 

独身の頃、生家から街にコンサートを聴きに行くと、帰りが終バスに間に合わなくて、タクシーを使わなければなりませんでした。地方の町ではタクシーは贅沢で、「小娘のくせに」と反感を買ったのか、行き先を告げても返事をしない運転手がいました。そういう時私は、急にチップをやらなければと思い、釣り銭をチップとして渡しました。そうすることで嫌な気分は消え、爽快な気分になりました。

 

それからも、日本でも外国でも、タクシーでも、ホテルでも、接客態度の悪い人に遭遇すると、チップを渡しました。人は物やお金をくれる人を「善い人」と考えるので、チップを渡すことで「善い人」に悪い態度をとったことを反省するのではないかと期待するからです。それは誰かから教わったのでもなく、誰かを見習ったのでもなく、その時々の気まぐれでもない心の反応に近い習性です。自分でも「変わっている」と感じましたが、そうしない選択はありませんでした。

 

二年前にオーサーレダッパダンマを訳した時、その中に「布施・寄付についての実践原則」という話があり、私がしていた「布施」は五番目の布施と分かりました。それによると、布施は、与える物で分けると、物施、赦施、法施があり、物施には、受け取る人の状態で五つの布施があるということでした。

 

一番は憐みで与え、動物や乞食や自立できない人に与えます。

二番目は尊敬で布施し、正しい実践者に尊敬のために布施します。

三番目は恩に布施し、両親や先生、恩人に布施します。

四番目は借りのある人に借りを返すために布施します。

五番目は善くない人への布施で、この部分はプッタタート比丘の言葉をそのまま引用します。

 

『五番目は、善くない人に与えます。たとえばヤクザなど、その人に心を入れ替えさせる方法を探すために与えます。わざわざ布施をするのは、その人に過ちを改めさせる一つの方便、一つの方法なので、私たちはヤクザな人にも布施をします。誰かが善くない受取人と呼んでも勝手ですが、別の角度から見ると、その人が誤りに気付けば、これも与えるべき良い受取人です。

 次にもう一種類の善くない受取人は、与えれば与えるほど怠け、与えれば与えるほど得をします。こういうのは善くない受取人ですが、彼らが社会の危険にならないために、私たちが与えることで彼らが社会に与える危険を少なくするために与えます。私たちはここまで布施をします。社会の危険をヤクザたちから買う。これも善くない受取人への布施と見なします』。

 

最後の布施は、自分が布施をすることで、他の犠牲者を幾らか減らすことができます。例えば毎日ひったくりで稼いでいる人に布施すれば、一回犯罪を減らすことができます。タイで泥棒やスリの被害に遭うと、誰もが「布施したと考えてしまいなさい」と言われます。泥棒やスリに、布施をしたと考えれば、それを徳行にすることができます。

 

プッタタート師の生まれた地方では、農家が畑に種を蒔く時「鳥が食えば徳になる、人が(盗んで)食えば布施になる」と歌う仕事歌があり、盗られる分も見越して作ったそうです。

 

伊藤久男のエピソードを読んだ時、この人も「悪人にする布施」を知っていたのだろうかと考えて、同窓生に会ったような懐かしさのような物を感じました。出演料を値切られて、立腹して仕事を断れば相手は怒り返し、自分の悪口を言い振らされるので評判を落としますが、タダで仕事を引き受ければ、悪い業が原因で仕事が減ることもありません。その上値切った相手は後味の悪い思いをするので、相手に心情に勝つことができます。

 

布施は、憐みによる布施も、尊敬による布施も、恩人への布施も、借りがある人への布施も、する前も、している時も、した後も気持ちが良いですが、五番目の「悪人への布施」も、する前も、している時も、した後気持ちが良いです。何もしなければ不愉快な思いが残りますが、少なくとも、布施で爽快な気持ちを買うことができます。