服の模様は心の模様

補色、あるいは反対色を四色使った、非常に煩い模様の服を着た人がいたので、よく見ると、早口で喧しいほど多弁な人でした。どこの国の皇室や王室の人たちも、お召し物はほとんどは無地で、(プリント)模様の服を見たことがありません。一般人でも、上層の人、ハイレベルの人は、概して無地の物を着用し、一般庶民でも(文化的に見て)中以下の人がプリント模様を好むように観察します。

 

趣味、好みと言ってしまえばそれまでですが、それらを選ぶのは心なので、当然心の在り様が反映されています。心にサマーディがあれば、プリント模様は煩わしく感じ、無地を選びますが、心に感情(心の概念。イメージ)があれば、そのイメージに合った模様を好ましく感じます。簡単な例えは、恋愛が始まったばかりなら、楽しいそうな、美しい花模様や、明るい色彩の模様を、楽しくないことを考えていれば、暗い色彩の模様を、というように。本当はもっと複雑な影響があると思います。

 

しかしサマーディがある心は、必ず無地を好み、無地を選ぶと思います。東洋では男性は女性より地味なのは、男子は宗教の教育があり、女性よりサマーディがあるからでしょう。西洋では、服装の派手さにおいて、男女の差はないように見えます。

江戸時代の町人は派手な柄物の着物を着ましたが、武士は一見無地に見える江戸小紋をという布を着ました。僧は普段は墨染の衣ですが、儀式の時は金襴緞子の装束を使います。

 

他の国の状況は良く知らないので、タイを例にすると、タイの女性は、日本人女性より派手な模様の服を着ています。Tシャツを着ている人が多いですが、ブラウスなどを着る人は、色彩も模様も派手な物を着ています。初めてタイへ行って、派手な服装の女性を見た時、自然の動物も派手な原色が多いので、人も派手な原色を好むのだろうと考えました。

しかし、仏教の真実で見ると、サマーディのない人、つまり「自我。私」の強い人は派手な模様を好み、派手な服装を好む人が、派手な色の動物に生まれると分かります。地味な服を好む人が多い地域では、自然の動物も地味な姿のはずです。

 

人の一生を見ても、心に煩悩が少ない子供時代は服装に興味はなく、異性の獲得を目指す時代、同性との競争を意識する時代は派手になり、社会的欲望がなくなると地味になります。昔の老人は本当に地味で、男性のようでした。幼いころ祖母に「おばあちゃんは、女なの?」と質問して笑われたことがあります。煩悩があればサマーディがないので、煩悩があるのと、サマーディがないのは同じです。

 

昔の老人は地味好みでしたが、今の老人が西洋文化を受け入れて、明るい色の美しい物を好むのは、老いても、サマーディがないことの現れと見ることができます。服装が派手か地味かという問題は、好みだけの浅い問題のように見えますが、よく見ると、着る人の心の状態を表しているようです。