愛子様の美しさの理由

成人になられた愛子様をテレビやネットで拝見して、実に美しくなられた姿に感動しました。建物のガラスに映り込んだ山茶花の清楚な影が、意図したように完璧な背景として、気品に溢れた愛子様の姿を引き立てていました。

 

どんなに美しくても女優さんにはない、そんじょそこらにはない高貴な香り高い美しさ。年配の方なら記憶にあると思いますが、ご成婚当時の美智子様を思い浮かべました。あの時も、世間の穢れを知らない清純な美しさに感動しました。

 

古い記憶を手繰り寄せると、私は過去に二度、同じように心を打たれる美しさを、直接見たことがあります。

 

一度はたぶん私が中学生の時、友達の家に遊びに行くと、友達の家の手前で、友達の家の隣家の娘さんが外出姿で出て来て、バス停の方へ歩いて行くのとすれ違いました。その人は高校生か、もう少し上だったかは定かではありませんが、大人ではなかったと思います。非常に美しく、この世の物とも思えないような清純で清浄な雰囲気に包まれていました。すれ違った一瞬のことなので、天女か仙女を見たのかと、目を疑うほど驚きました。

 

もう一度は、三十年くらい前、当時住んでいた同じ自治会内の家の娘さんをバスの中で見ました。その娘さんも非常に美しく、全身から溢れるように清純なオーラを放っていました。バスに座っていても、その周囲だけ輝いているように感じました。その年か翌年、その娘さんは、市が主催する「ミスコンテスト」で代表に選ばれました。市報に載ったその時の写真からは、普通の(目鼻立ちなどの形の)美しさで、輝くような香気は感じられませんでした。

 

どちらも近所での体験なので、日本中には、たくさんいると考えなければなりません。滅多にない稀なものなら、二度も近所で見ることは不自然だからです。しかしその話をしても、友人知人の誰も、そのように美しい人を見たと言う人がいないのは不思議です。近所で「あの家の娘さんはずば抜けて美しい」という噂を聞いたこともありませんでした。

 

それらに共通する美しさは、何より透き通ったような美しい白い肌をしていました。ブッダの言葉を読んでいると、美しい娘の形容では、必ず「美しい肌」という言葉が使われ、目鼻立ちに言及しているのは見たことがありません。間接的に(報道で)見た二例と、実際に見た二例のどれも、印象に残っているのは美しい眼でも唇でも鼻でもなく、美しい肌です。

 

だからインドやタイでは、美しいことを「ワンナ(ヴァルナ)がある」、つまり「美しい艶のある肌をしている」と言うのだと思います。美しい目鼻口元があっても、肌が皮膚病で汚かったら、美しいと感じません。反対に目鼻立ちは十人並みでも、肌が美しければ全体に美しい雰囲気があります。だから美しさは肌次第かもしれません。女性が手間暇掛け、お金を掛けて肌の手入れをするのは、美しさは肌次第と知っているからかもしれません。

 

ブッダは、心に自我がない時は肌が白く、透き通ったようになる、というような意味のことを、サーリプッタに話されています。だから阿羅漢でなくても、人は一時期だけでも、自我が非常に薄く、無我の時間が続いている時は、非常に肌が白くなり、天女のように透き通ると推測します。

 

愛子様の二十歳の感想を拝見すると、眞子様佳子様の感想と比べると、実に視点が高く、視野が広く、自分という考えが少ないのが分かります。述べられているのは天皇皇后、上皇上皇后への感謝と、周辺の人々から国民までへの感謝の言葉と、今後の自分自身の義務についてです。感謝は正しい見解から生じる物で、義務はダンマの意味そのものです。そのようなことを考えていれば、その時心にダンマしかなく、心に本当にダンマしかない時、あのように美しい肌になると観察します。

 

【全文】愛子さま成年皇族に 感想文書(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース   

お人柄が行間から溢れる「愛子さま」のお言葉 小室眞子さんと佳子さまの20歳の感想は?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 

若い日の美智子様も、先日の愛子様も、私が見た二人の娘さんも、その時、非常に自我が少なかったと推測します。どの例も二十歳前後であるのも、その年齢は、一部の人は大人の世界の汚れを知らない、人生で最も純粋な時代、自我が薄い時期であるからです。そしてそのように肌が輝くのは、普通は長い時間ではないので、私が見た二例のように、近くにいても、近所の人もあまり目撃していないのだと思います。

 

一人の女性でも、清純な美しさで言えば、最も美しいのは二十歳前後で、女性として魅力的な美しさになるは、30歳前後のように思います。その後、一時、脂ぎった汚い小母さんになっても、老いて欲がなくなると、再び自我が減って、清楚で美しくなる人もいます。良い目鼻立ちがあるのに美しさが輝かない人、磨いても磨いても思ったような結果が出ない時は、煩悩が自然にある智慧が現れるのを妨害するように、自我が、最高の美が現れるのを妨害しているのかもしれません。

 

多くの人が愛子様の映像に感動しているのを見ると、自我の少ないことは、多くの人を幸福な気持ちにさせると分かります。

 

最後に、自分自身が、あるいは自分の娘が、美しい肌になるようにするにはどうするか。それは自我を薄くすること。自我を薄くするにはどうしたら良いか。それは、したいことを考えず、するべきことを考え、したいことをせず、するべきことをすることです。そうすれば、考えている時間も自我や煩悩がなく、している時も自我や煩悩がないので、一日中するべきことを考えて、していれば、自我は非常に薄くなり、美しい肌になると思います。

 

職場にいる時は、誰でも、暇な時間ができても、何かするべきこと、できることを考えるように、家にいても、自室にいても、したいことより、その時するべきことを考えれば、自我はどんどん減って行きます。極言すれば、美しい人と普通の人の違いは、自我の厚さの違いと言えると思いました。