老年期と幼少年期

 団塊の世代が年金を受給する年齢になってから、いろんな異変が見られるようになりました。若い時から堅実で、子供を育て上げた後も浪費をせず子育て時代と同じように質素に暮らしていたAさんは、年金生活になると夫婦で一月おきに海外旅行へ行くようになり、「お金は(あの世に)持って行けないから、(今までの蓄えを)早く使い尽くそうと思ってもなかなか減らない」などと発言するようになりました。
 
同じように堅実で切り詰めた生活をしていたBさんは、年金生活に変わった途端に趣味に狂い始め、豪華な衣装や外食した話やら何やら自慢ばかりします。この二つの例は、まるで別人になったような変わりようです。
 
給料でも自営でもまだ自分で稼いでいる間は、いつ収入がなくなる事態が起こるかもしれないので、心配で使えず慎ましく生活して蓄えて来た人も、年金生活になると死ぬまで生活費の心配がないので、多すぎる蓄えを急いで消費しようと努力します。
 
戦前に育った人は年金生活になっても普通に節度のある生活を維持して、使い急ぐ人はあまりいませんでしたが、これは団塊世代の特徴かも知れないし、今後ずっと続く傾向の始まりかも知れません。
 
私もブッダの教えに出合うまでは欲深い人だったので、持っているお金は全部自分で使って死にたいと考えていました。生涯節制して少しでも多く子孫に残そうとした先祖の世代と正反対でした。
 
ブッダの教えを勉強すると世界のありようが見えてきました。若い時お金を使いすぎた人は老いて、あるいは老いる前から困窮し、老いてお金を使いすぎた人は使い得ではなく、次に人間に生まれて来た時に貧しい家に生まれ、あるいは貧しい子供時代を余儀なくされるという真実が見えました。
 
初めに例にした二人の子供の頃の家庭は貧しく、Aさんは極貧だったそうです。結婚してからのAさんは勤勉で財産を作り、収入の割に質素で堅実なのを見ると、なぜ貧しい家に生まれたのか納得できませんでしたが、最近の生活を見てなるほどと思いました。たぶん前世でも老いてからお金を使いすぎたので、現世に生まれる時貧困家庭に生まれたのでしょう。
 
老年期は普通過去のカンマの清算をする時期なのに、老年期に新たにカンマを作った人は、その報いを受ける間もなく死んでしまうので、次に生まれたら初めのうちにその結果を受け取らなければなりません。
 
幼少年期は前世で結果を受け取れなかったカンマの清算をする時なので、老年期と同様、虐待や育児放棄や病弱や貧困など問題が多いです。つまり人の人生は、前世の老年期と現世の幼年期が繋がっています。
 
子供の時に親から虐待や育児放棄をされた人が親になって加害者になるケース、親の離婚で苦労した子が親になると自分が離婚して同じ境遇を子に与えているケース、家庭を顧みない親を嫌っていた子が親になると自分も親と同じように家庭を顧みなくなるケースなど、子が親と同じ行動をしている例は非常にたくさん見ることができます。
 
そのような状況を見て自然の真実を知らない人はそれを遺伝と言いますが、自然の真実は人生の頭と尻尾はほとんどの場合繋がっていて、子供時代は前世のカンマの結果を受け取り、大人になると習性で新たに同じカンマを作り、またその結果を来世で受け取らなければならないだけです。
 
中には、子供時代に報いを受け取ったのと同じカンマを、大人になって作らない人もいますが、そのような人は死と生の間で、あるいは子供自時代から成人になるまでの間に学んだ人だと思います。