2012-01-01から1年間の記事一覧

「ブッダ最後の旅」の「不放逸」について

「ブッダ最後の旅」という本の中に『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』という言葉があります。原始仏教関連の本は少ないので、ブッダの言葉を学ぶ人たちの間でこの本は有名です。しかし、この文の中の『怠ることなく』と…

大切なのは意業

政治にあまり関心はありませんが、最近、どうしようもないほど幼稚になっているように感じます。根本的な制度を整えないで、手っ取り早く手当て(お金)を配る策が増えました。しかも、欠けている所、必要としている層にではなく、ガサツに、誰にでも配りま…

諦めは悟り

自分では解決できない不運に遭遇した時、願いが入れられない時、あるいは思った通りにならない時、傲慢な人は怒りに囚われて抵抗し、気力の弱い人は嘆きや悲しみに陥り、知恵のある人はいろんな画策をめぐらし、いずれにしてもなかなか立ち直れません。現代…

仏教という名のヒンドゥー教

タイの仏教の本を翻訳し始めてから十余年の間に、たくさんの「仏教に関心のある人」に出合いました。しかし「仏教に関心がある人」の多くは瞑想に関心がある人であり、ブッダのタンマとその実践は、瞑想の進歩を助けるものくらいに捉えているようです。だか…

信仰を捨てる

ブッダのタンマに関心のある人は、当然「信仰」を好ましく思っていないと思います。神様の存在を信じ、神様に関して誰かが規定したすべてを、ただ「信じる」信仰を、愚かしいと感じ、危険と感じます。しかし一般に信仰と捉えられているのは、神様、ホトケ様…

三相の苦=ドゥッカター

四聖諦の苦と三相の苦は違うのですかという質問があったので、「耐えがたい状態」である苦、煩悩が原因である苦、つまり四聖諦の苦と、三相の苦の違いについて説明します。 三相とは、「万物の無常・苦・無我である状態」であることはご存じだと思います。パ…

タンマの実践は三本撚りの縄(補足)

ブッダの仏教の実践には智慧学が一番重要だということを、更に良く理解していただくために、もう一度同じ話題です。ターン・プッタタートは、仏教の実践だけでなく、「何をするにも戒・サマーディ・智慧が必であり、この三つは撚り合わさっているもので、別…

タンマの実践は三本撚りの縄

ブッダの教えの目的は滅苦、すべての苦から脱すことです。何か素晴らしいものを得るのではなく、望ましくないものを捨てて本来の在り様(自然物質である体と心)に戻ることです。 「完璧な滅苦の方法」を発見したのはブッダだけなので、同じように完璧な滅苦…

英語を話すことの害

昔外国語と言えば、西洋ならラテン語、東アジアの国々では中国語、南アジアではパーリ語でした。つまり、外国語は宗教を学ぶためのものでした。交易をする商人も当然外国語を使ったでしょうが、商人は学ぶというより倣い憶えるだけで、学問的な勉強ではあり…

仏教は他の信仰を許容する?

「ブッダは仏教以外の信仰を禁じていないから、従来のいろんな信仰をそのまま維持しても良い」と言う人が時々います。そう言うのを聞く時、既に仏教に関心のある人にそう教えるのは、果たして正しいのかと疑問に思います。 なぜなら私は、「従来の信仰を捨て…