阿羅漢の足跡を追って

最後の翻訳作品を更新してから、二年ぶりに新作を更新しました。体調は一進一退の状態が続いていますが、体力が六十歳代の時よりも衰え、気力もあまりないので、気ままに過去の作品を読み、何か書きたくなったら書く生活でも良いかと考えることもありました。しかし何もしなくても時間は過ぎて行き、少しずつでも訳していれば、自然に完成すると思い直して、今年一月、かねてより気になっていた「阿羅漢の足跡を追って」を訳し始めました。

 

「阿羅漢の足跡を追って」は、プッタタート師がバンコクから帰郷した後、長い間荒れて放置されていた寺にトタン板で掘っ立て小屋を建てて住み始めたのが五月十二日で、同年八月二十三日に執筆を始めています。

プッタタートという筆名を使い始めたのも、この時が初めてです。

 

私は、小説でも何でも、その人が最も表現したいことは、処女作、あるいはごく初期の作品にあると見ます。テクニックはまだまだでも、その人に書かせる力が心に漲っているからです。プッタタート師の場合、バンコクパーリ語の段を取る勉強をしていましたが、翻訳の仕方が伝統を重んじる(試験のための勉強)ばかりで、本当に実践できないことに失望して、自力で翻訳する決意をして帰郷し、やっと環境が整って書いた、初めての文章です。(当時はまだ26歳です!)

 

この本には前から興味がありましたが、時々拾い読みをして見ると、三蔵からの引用が多く、難しそうなので、いつでも後回しにしてきました。しかし「あと一つだけ訳すとしたら」と考えると、これ以外にはない気がして、訳す気持ちになりました。

 

阿羅漢になる道を知りたい、阿羅漢になる道を、同胞に教え、「阿羅漢になることは不可能だ」と豪語する人と、それに同調する人をなくしたいという気持ちが、挨拶や、ダンマの説明にも滲み出ています。どんな初歩の勉強や実践をしている人も、阿羅漢になることは最終目標なので、目標を見失わないためにも、しっかりと見えていなければなりません。

 

今の世界は混乱の最中で、ブッダのダンマについて考える良い機会ではありません。しかしできる時に日本語にしておけば、いつか何方かが読んで、有益に使ってもらえるかもしれません。このサイトは、タイを始め、東南アジアで出家している比丘や沙弥尼のみなさんも読んでくださっていると聞いたことがあります。また、在家でも出家と同じくらい、あるいは出家より厳格な実践をしている人もおられると信じます。

 

本書が本気で阿羅漢の足跡を追う人たちの気力になり、灯火になることを願う時、二年ぶりに更新できたことを心より嬉しく思います。