翻訳裏話

「阿羅漢の後を追って」を公開した機会に、翻訳の仕事の流れを書いてみたいと思います。

初めに何を訳すか決めると、初めからだらだらと翻訳します。内容が全部理解できれば楽しく、仕事もはかどりますが、話の流れとして意味が良く分からない時は楽しくなく、あまりはかどりません。しかし家事をする以外の時間は、毎日座って翻訳します。

 

あるだけの辞書を調べても、どう考えても意味が分からない語句、言い回し、文章などは、ニ三十分格闘したら、いつまで考えても切りがないので、原文のままカタカナにして先へ進みます。納得できるまで考えていると、いつまでたっても完成しないのと、先まで読むと、簡単に理解できることもあるからです。

 

全部訳し終って、意味不明な個所を読み返すと意味が分かり、理解が進みます。例えば阿羅漢の足跡を追っての序章の挨拶の部分に、「阿羅漢の跡を追って歩く人物の生活は、ただ目を閉じて座らなければならない教えでなく、ブッダの教えで段階的に、本当の幸福の系統に自分の心を向けなければならない重要な教えがあります」という一文があります。

これを最初は、「の生活は、ただ目をとじて座らなければならない教えではありません。ブッダの教えで段階的に、本当の幸福の系統に自分の心を向けなければならない重要な教えがあります」と、二つの文章に分けていたので、意味が分かりませんでした。読み返して一つの文章にしたら、意味がはっきりしました。

 

タイ語は、元は中国南部(雲南省)の方の言葉と言われ、漢字の白文をタイ文字で読んでいるのと同じようです。一つの語句が文章のどこにあるかで主語にも、動詞にも、形容詞にも、目的語にもなり、接続詞はほとんどありません。そして句読点がなく、一文字分空けてあることも、無いこともあります。

昔の本は紙代の節約のためか、まったく行替えががなく、一頁、二頁、三頁くらい続いていることもあります。だからどこからどこまでが一つの文章か、判断しなければなりません。理解できていなければ、先ほどの例のように、一つの文章が二つになり、意味不明になります。

 

日本語は簡潔な文を良いとしますが、タイでは短い文章は小学生の作文で、知識のある人ほど、次々に前の語句を説明して、長く複雑な文を書いたり話したりするので、どこまでが一つの文章か分かり難いです。

 

何時も使い慣れ、聞き慣れている文章なら、(小学生の国語のテストくらいなら)一語や二語隠されている言葉があっても、誰でもすぐに判断できますが、プッタタート師の話は耳慣れない内容が多いので、知っている語句ばかりでも、じっくり判断しないと分からない時があります。

 

プッタタートのサイトを公開した時、タイ仏教の書籍を何冊も出されている複数の翻訳家の方々から、「私もプッタタートの本を訳そうとしたことがあったが、途中で諦めた」という趣旨のメールを頂戴しました。タイ語に非常に精通しておられる先生も、語学力だけでは翻訳できないのかもしれないと、その時思いました。中には、仏教の翻訳書をたくさん出されている方もいましたから。

 

ネイティブでない人ばかりでなく、タイ人の友人知人でも、私がプッタタート比丘の本を持っていると、「この本が読めるの? 私は読んでも分からない」と言われたことがあります。その友人は、あまりダンマのない人でした。他にもダンマのない人、つまり「今どきの若者タイプの人」は、同じことを言いました。だからダンマの話の理解は、語学の問題ではないのかもしれません。

 

プッタタート師の書籍は、世界数十か国語に訳され、出版されていますが、ほとんどは英語版を介して他の言語に訳していて、タイ語から直接訳している本はほとんどないようです。今日本語を学んでいる人は、世界各国にたくさんいるので、そのうち「日本語のサイトでプッタタート師を知った」という外国人が現れるかもしれません。そう思うと、少しでも多くの本を日本語に訳して置くべきだと感じます。

 

一旦、ざっと翻訳を終えると、一二度読み返し、意味不明な個所を修正したら、完成する手前、登山なら九合目くらいで新規のページ(ホームページ)を作ります。完成するまで待たないで更新を急ぐのは、もしその晩死んでしまえば、翌日更新しようと思っていた作品は、永久に誰の目にも触れないからです。まだ欠陥があっても公開して置けば、誰でも読むことができ、変換ミスや「てにをは」などの小さな間違いは、誰でも間違いと分かるので、あまり心配ありません。

 

だから暫定的に更新し、それから変換ミスや脱字、重複文字などをもう一度修正し、注釈などを追加する作業をして、段々に完成させます。作品の長さによって違いますが、更新して一、二カ月後に完成します。まだ人前に出せる状態でないのに更新するのは、死隨念をすると、まだ未熟児でも、一時も早くその作品を世に出しておいた方が良いと思うからです。

 

起床と同時に店を開けてしまい、店番をしながら洗顔や食事や化粧をするように、多少見っともない面はありますが、お許し願いたいと思います。