頭が壊れた

昨年の私の運勢は、四柱推命で言うと「比肩」という星回りで、十年に一度の健康に良くない年でした。十年前も長く患って、死ぬかと思うほど苦を味わいましたが、十年後の去年も春先から十一月頃まで、苦しい症状がありました。あるサイトの説明では、比肩の年は「我が強くなり、周囲から浮き上がり、病気、古い病気の再発、生別死別、転職などがある」とあります。昨年は妹が亡くなり、五十年前は父が亡くなりました。

 

去年は、西洋占星学で言うと、天王星海王星が90度(凶座相)になっていて、その星の影響はほぼ一年、今年も入れると一年半から二年くらい続きます。生涯にはいろんな星の座相を経験しますが、天王星海王星の凶座相ほど奇妙な体験は初めてです。一言で言えば、魔法にかけられて眠っていたような印象があります。

 

この座相の影響下に入るとすぐに、朝起きると、そして時々、理由のない恐怖や不安が心を過り、家のリビングにいても、舞台の袖で出番を待っている時のような胸騒ぎを感じました。

 

一つのテキストには、「人が理解しにくい考えを持つ」とあり、もう一つのテキストには、「一体何が起こっているのか分からず混乱狼狽するかもしれません。霊的な経験をするかもしれず、少なくともそのようなものがあると認めざるを得なくなるでしょうが、そのような研究をするべき時ではありません。今のあなたはあまりにも混乱していて、大事なことを処理できないので、大事な決断は頭が冴えるまで待ちましょう」とあります。また心臓が悪くなるともありました。

 

 確かに心臓は悪くなりました。猛暑日が続きましたが、電力不足に配慮して控えめな冷房なので、皮膚の表面は冷えても体の芯に熱が溜まり、内部が熱いと心臓が苦しくなり、夜中に何度も目が覚め、その後朝まで動悸がして一睡もできませんでした。理由のない不安がよぎるのも心臓の症状の一つです。体の症状はたくさんありましたが、それについては、今回は触れません。

 

 痛感したのは、やること成すこと、すべてが裏目に出たことです。例えば、煮物は味がはっきりしていた方が美味しいと考えて濃い味付けをすると濃すぎて失敗し、濃すぎるよりは薄味の方が良いと控えめにすると、薄味すぎて失敗しました。微調整ができません。

 

シャワーの温度の調節もちょうど良いということは珍しく、熱すぎて眠れなかったり、ぬる過ぎて体調を崩したりし、毎日のことなのに、外気温の変化も激しかったので、学習して一定の適度を探すことができませんでした。

 

買い物でも、行動でも、AにしようかBにしようか迷っている時、突然CとかDという考えが降って来て、即座にそっちに決定してしまい、当惑することもしばしばでした。

 

会話なども、普通人は話そうと想っていることを話し、その枠から外れることはありませんが、突然思ってもいないことが口から出ていて、それがどんどん暴走してしまい、話していながら、自分が何を言っているのか分からなくなることもありました。これには閉口しました。

 

一事が万事、日常のほとんどすべてが失敗や当惑の連続でした。すべてが失敗なら、判断力は二三才の幼児と変わりません。物事を判断する時に、今までの経験や知識は無いのと同じです。

 

今までの知識と経験が消えたわけではないのに、必要な時に思い出して役立てることができないのは、サティがないからです。その場面にふさわしい知識を思い出す働きがサティだからです。一日に何回も、何十回もサティが働かなければ「正常な人」ではありません。

 

すっかり自分自身を信頼できなくなり、自分をまったく信用できなければ狂った人と同じで、天王星海王星の座相による一時的なものと知っていても、自分自身をどう扱って良いか戸惑いました。自分の頭は壊れてしまったのか、呆けてしまったのか。いずれにしても、まともな人の状態ではないと分かりました。

 

西洋のおとぎ話にある「魔法にかけられた」というのは、こういう状態を表現したのかも知れないと思いました。渦中にいる間中、洞窟の中にいるような、窓のない部屋に住んでいるような、囚われているような閉塞感がありました。

 

 このような行動を他人が見ると、行動に一貫性がなく「理解できない」と感じるので、占いのテキストにあった「他人に理解できない考えをする」というのが分かります。他人がどう思うかはともかく、何でも裏目に出るのは、結局自分の判断が間違っているからです。この時期は正しい判断ができない、つまり間違った判断しかできない時なのかもしれません。自分は正常の範囲の大人だと思っていたのに、まだ認知症にもなっていないのに、このように判断力を失うとは、本当に思いもよりませんでした。

 

 時を同じくして、使っているパソコンが古くなって動きが悪くなり、その上私の操作ミスで、ホームページの編集ができなくなりましたが、頭が霞に覆われているのと、「重要な決断は後延ばしにする方が良い」という占星学的アドバイスを参考にして、この時期が過ぎるのを待とうと決め、自分の頭と同じくらい狂って使い物にならないパソコンを使っていました。

 

昨年末、頭の中に掛かっていた霧がようやく晴れ、普段の状態に戻ったので、PCを買い替え、ホームページの更新、編集もできるようになり、やっと普通の日常に戻ったように感じます。(まだ今年も、合計六か月くらい、その座相になる時期がありますが)。

 

 ちなみに出生図の天王星と天空の海王星が吉座相(120度)を作った二十四年前は、思いがけず四禅を体験しました。四禅にいた数か月の間は、本当に天国にいるような、夢の中のような幸福(涅槃と同じ味)を味わいました。そして洞窟の中のようでなく、身の回りがガラスのドームで護られているように感じました。

伝記を読むと、プッタタート師も、ルアンポー・チャー(アーチャン・チャー)も、四禅を体験したと思われるのは、この座相の時と推測されます。

 

人生のある時期にめぐってくる(トランジットの)天王星海王星の座相の説明は、冒頭に書いたように一時期だけですが、出生図にある二つの星の座相については、もう少し詳しい解説があります。同じ星なので、本質的には同じと理解して良いと思います。

 

吉座相は『高度の直観力と超意識がある。インスピレーションが内面的な啓発と心の世界の拡大に役立つ。抽象的な物を理解し、理想社会に向かって確信に満ちた足取りで前進する人。一群の天才によって達成された科学、思想、文芸、芸術の分野と関係がある』とあり、(昭和14年頃から昭和22年頃まで)

凶座相は『精神的混乱を招くような奇妙な空想癖と、不鮮明な意識を持つ。不安定な情緒と敏感で落ち着かない性質があり、迷いと不吉な予感によって前進を妨げられやすい。刹那主義的な生き方や、信じられるものを見いだせない精神的不幸と関係がある』とあります。(昭和26年頃から昭和34年頃まで)

 

同じ星が巡ってきても、人それぞれのカンマによって受け取る出来事は違います。しかしこのようにサティが働かない、何かのカンマによって働けない時が来るとは、想像したこともありませんでした。昨年は、災害に遭ったように思いがけなく、そして当惑し、心身共に苦しい歳でした。生きているといろんなことがあると、改めて感じました。