王の十聖道

 朝日、毎日、NHK時事通信などの調査によると、岸田総理の支持率が過去最低を記録したとありました。最近、あるいはここ二三十年の総理大臣は、就任時には何らかの好転を期待してか支持率が最高に高く、日を追って、退陣するまで下がる一方です。だから就任時の支持率は、その人への期待というより、それまでの総理への不満度を表しているようにも見えます。それは最初から総理の器でない人が総理になるので、支持している人も「他の人より良さそうだから」という理由が多いのに、何かのはずみで、偶々支持率が上がることがあると、自分の政策が受け入れられたと勘違いして、ますます国民が見えなくなってしまうからかもしれません。

 

「総理は誰でもできる(だから自分でも)」と勘違いしていたのではないかと思える総理大臣もいました。しかし総理大臣は期限付きとは言え国を治める人なので、昔の王とおなじで、王の聖道がなければならないと思います。国民はそういう道(生き方)を求め、そういう人なら、歓喜をもって迎え、支持すると思います。

 

日本では聞かない言葉ですが、インド文化圏には「王の十聖道」という言葉があります。十の聖道とは、

 

1.援助愛護し、

 2.善い規律があり、

3.常に心の中の悪い物を捨て、

4.誠実で、

5.礼儀正しく、

6.自制でき、

7.怒りを知らず、

8.苦しめず、

9.忍耐し、

10.疑わしさ、あるいは非難する物は何もない

 

  この十の美徳のある人が王にふさわしい人、現代で言えば、総理大臣や大統領にふさわしい人です。世界史上の名君と言われる人も、日本史上の幕府や藩の名君も、みなこのような資質が揃っているはずです。

 

 歴代の総理大臣をこの十の項目で見た時、それらの揃っている人が何人いるでしょうか。昭和の総理大臣にはそのような凛とした威厳が感じられる人が多く、昭和天皇上皇様も、十聖道が揃っているように拝見しますが、今の総理大臣や総理大臣経験者には、十聖道の欠片もかけらもないように思えます。

 

「王の十聖道」のような治世者の資質を計る基準が社会にあれば、国民はこの基準で総理大臣を計って見るようになり、総理になる人、総理である人も「これらの項目で国民が自分を見ている」と、自分の資質を意識するようになります。

 

 自分自身の好みや利益に左右されず、その人が総理にふさわしい器かどうか、国民誰もが熟慮して見られる基準として、「王の十聖道」という言葉が、多くの人が知る言葉になってほしいと思います。