母の告別

お題「不思議な話」

今から三十年ほど前のことです。ある真夜中、たぶん一時半くらいだっと記憶しますが、ものすごく大きな音がして目が覚めました。誰かが全力で投げたバレーボールかラグビーボールのような物が、トタン張りの雨戸を直撃したような音でした。

 

呆然としていると、二階で寝ていた息子が降りて来て、「今誰かが一階の雨戸を、すごい勢いで叩いた」と言いました。私は、二階の雨戸に猛スピードのボールが当たったように感じましたが、息子は反対に、一階の雨戸を誰かが叩いたと言います。夫と娘も二階に寝ていましたが、起きて来ないところを見ると、何も聞こえていないようでした。とても寝ていられるような音ではありませんでしたが。

 

前日は、近所で懇意にしている人が癌の手術を受け、息子が病人も家族も車で送迎していたので、急変があって呼びに来たのかもしれないと、その家の近くまで見に行きましたが、明りが消えて寝静まっていると言って戻ってきました。

 

翌朝、二階の雨戸を見ても凹みの後はなく、投げ込まれたボールも石も落ちてなく、一階の雨戸にも異変はありませんでした。あんなに凄い音だったので、雨戸が凹んでいるはずだと、息子も納得できない様子でした。

 

夫と娘には何も聞こえず、眠り続けていたというのも不思議でした。聞いたのが一人だけなら夢の中の出来事として片付けられてしまい、全員が聞いたなら、現実の何かである可能性が高いですが、聞いたのが私と息子、二人だけだったので、あの音は実際にあった音でなく、何か不思議な力による音で、かねてから入院中の母からのメッセージではないかと、息子と話しました。

 

息子は幼稚園から小学校が終わるまで、毎年夏休みいっぱい母の家で田舎暮らしを楽しんだので、母は息子を内孫のように可愛がっていたからです。たまたま翌日が祝日だったので、家族で母の見舞いに行きました。

 

母はしばらく前から糖尿病で入院していました、一二か月ほど前から、夜も看病が必要になり、地元に住んでいる子供たち、つまり私の兄弟たちが交代で夜間の看病をしていました。しかし私は遠方に住んでいるので、一度も行っていませんでした。

 

病院に行くと、母はベッドの上に座っていて、テレビがつけたままになっていました。見ている様子はなく、視点の定まらない目をしていました。私たちが行っても表情を変えず、話しかけても一言も答えませんでした。座って首を撫でたり、手を動かすなどしていますが、誰が話しかけても返事をしない、表情も変えないので、私たちは困惑しきって帰ってきました。

 

その二日後の朝、母の意識がなくなったと連絡があり、その夕方に亡くなりました。それで私たち家族は、しばらく会っていなかったから、母が最期に会いたがって、私と息子の雨戸を叩いたのだと結論しました。しかし、無理にそう結論しただけで、不可解な部分は残りました。

 

その二年くらい前から、母に寄食している兄が、母が子供たちに電話をすることも、会うことも禁じていたので、その間母と話をしていませんでした。しかしある時、しばらく振りに母から電話が来て「仕送りが遅れているけど、お金がないんかい? お金がなければ土地でも売りなよ」と言いました。

 

父の死後、年金だけでは生活費が足りないというので、家族会議を開いて、独身だった妹と同居する兄を除いた三人で、仕送りすることにしました。しばらくすると兄の一人が、生活が大変だと言って仕送りを止め、それを聞いたもう一人の兄も「うちも大変だ」と言って止めたので、夫は「仕方がないからうちで三人分送ろう」と言い、毎月送金していました。

 

十年以上が経過すると、我が家も夫の仕事がうまく行かなくなり、公共料金の滞納を繰り返すほどになり、しばらく仕送りを止めようかと夫に相談したことがありました。しかし夫は「生活は休みなしだから、仕送りを休むなんてダメだ。親に貧乏させて、俺たちだけ美味い物を食っても美味くない」と言うので、苦しい中でも仕送りを続けていました。

 

母からそのような電話があった後も仕送りを続けていましたが、母への気持ちは冷めてしまっていました。入院したと聞いても、すぐに見舞いに行く気になれなかったのは、そのせいだったかもしれません。

 

最後の会話になったあの時の電話の言葉は何だったのか、兄から電話するよう強要されて仕方なく言ったのか、あるいは自分でそう思って言ったのか。いつ会っても「仕送りには感謝しているよ」と言っていたのに、数週間遅れただけで、借金取りのように高飛車に催促の電話をして来たのは何故だったのだろうと、思い出す度に考えていました。母らしくなかったからです。

 

その当時と、その後出来事や、同居していた兄の断片的な言葉を紡ぎ合わせると、一つの話として繋がってきました。

 

母の死の前から、同居していた兄が恋愛をし、それを兄弟に知られる、つまり母が子供たちに話すのを警戒して、兄は、母が子に会うこと、電話することを禁じ、恋愛にはお金が必要なので、(母に寄食していた兄は)仕送りが遅れるのが心配になり、母に催促の電話をさせ、母はそれを苦にしていた、あるいは後悔していたのではないか、という筋書きです。

 

母は死ぬ前に私に会って、そのことを言いたかったのかもしれません。あるいは単に、会いたかったのかもしれません。しかし私が見舞いに行った日には、既に心、つまり四蘊(受・想・行・識)は壊れていたようでした。あの大きな音は、母の心が壊れた瞬間だったのかもしれません。

 

死の二日前に、あのように不思議な現象を起こして私と息子を呼んだ母の、最期の思いが、今では分かるような気がしています。