自転車に乗るカギは腕力

数年前までは、週に二三回、近くのスーパーまで自転車で買い物に行っていました。しかしコロナ禍になると、感染予防のために買い物の頻度を少なくしました。すると次第に自転車の運転が危うくなり、「いつまで自転車に乗れるだろう」という不安が過るようになりました。特に重い荷物をたくさん積んで乗り出す時は、ハンドルが震えて、「危なかった!」と思うことがしばしばありました。

 

また、それまで平坦だと思っていた道で、一漕ぎごとに脚が疲れるので、わずかに傾斜があることに気づきました。つまり、今まで感じなかった傾斜が苦になるほど脚力が衰えたと言うことです。友人からの年賀状に、去年から自転車に乗るのを止めたとあったのを思い出しました。

 

これからは体力的に良くなることは何もなく、衰退の一途で、最後には乗れなくなります。自転車に乗れなくなったら、外出には乳母車ならぬ姥車を押して歩くしかありません。今できるのは少しでも遅らせる努力だけです。日頃重い物を持たないので、家の中で重い荷物を持ち挙げる訓練をしてみようか、脚力をつけるために散歩をしてみようかと考えましたが、そのために仕事の時間を減らしては、何のために生るのか分かりません。

 

いろいろ思案していると、「筋力は衝撃で強くなる」と、昔テレビで聞いたのを思い出しました。つまり歩くより飛び降りる方が効果的と、ある医師が話していました。飛び降りた衝撃で筋肉に細かい傷ができ、それを補修することで筋肉が太くなると言うような説明でした。しかしこの年齢になって飛び降りるのは危険なような気がします。

 

そういえば力士は近代的な筋力運動は一切せず、ひたすら四股と鉄砲で筋力をつけます。四股は、振り上げた脚を思いっきり体重をかけて地面に叩きつけ、鉄砲は柱を平手で思いっきり突きます。どちらも軽い運動の繰り返しでなく、筋肉と骨に強い衝撃を与えます。これは何百年も掛けて証明された真実かも知れません。そして無駄に時間も掛かりません。

 

そう気づいて、家の中で電子レンジを使っている時間を待つ時、移動する時など、思い付いた時に(鉄筋コンクリート建ての一階なので)床を叩きつけるように歩いてみました。これは膝から下に効くようで、四股にすると、衝撃は股関節にまで及び、太腿まで効果があると感じます。しかし四股はやる気がないとできません。

 

鉄砲は、家に柱がなく、壁を叩くと上階に響くといけないので、柏手のように胸の前で両手を突き合わせたり、家具の側面を突いたりしました。すると二三日で、自転車に乗って「怖い」「危なかった」と感じることがなくなり、わずかな傾斜を「坂道」と感じなくなりました。

 

数日前テレビで、公園で自転車に乗る練習をしている親子の情景を見ました。初めは親が自転車の後ろを持って、子がふらふらと漕ぎ出し、だんだん慣れると親が手を放して、一人で乗る練習になります。利き脚で踏み込むと車輪が回転するので、その時腕でハンドルを捌かなければなりませんが、ハンドルを捌ききれないので、倒れてしまいます。それを繰り返すうちに、だんだん、一漕ぎ目の車輪が止まらないうちにハンドルを安定させ、反対の脚で二漕ぎ目を漕ぐことができるようになります。

 

その子は、練習を始めて二日目に乗れるようになりました。二人の我が子が自転車の練習をした時も、やはり二日目に乗れるようになったと記憶しています。つまりハンドルを取れるだけ腕力が付くのに、二日くらい訓練が必要と言うことでしょうか。

 

私が子供だった頃は、まだ子供用自転車がなかったので、大きくなってから自転車の練習をしました。大きな子供は練習を始めるとその日の内に、一二時間で乗れるようになりました。大きな子はそれだけ知恵があるからなのかと、何となく考えていましたが、大きな子は誰でも薪割や水汲みなど、家の手伝いをしていたので、必要なだけの腕力がついていたからと、今は理解できます。腕の筋力が衰えれば、何十年も乗った経験があっても、最後には乗れなくなるからです。

 

だから自転車に乗る練習時間を、幼児の平均を仮に二日で八時間と仮定し、十代の子の練習時間をニ時間と仮定すると、その差の六時間が腕の筋力をつける訓練で、共通の二時間がバランスなど、コツをつかむ訓練のように見えます。

 

できるだけ長く自転車に乗っていられるよう、四股(もどき)と鉄砲は時間も空間もあまり必要としないので、腕力や脚力を維持するために、日常に取り入れて行きたいと思っています。友人の中には股関節の骨折をした人が何人もいますが、骨も筋肉も強くするので、そのような事故の予防にもなりそうです。