低く暮らせば心は高くなる

「アリヤシーラダンマ」という話の中の「青少年緒ためのアリヤシーラダンマ」に「低く暮らせば心は高くなる」という言葉があります。引用すると、

 

『本当の智慧があれば低い暮らし、あるいは低い生活で、第四項の「高い行動」と対です。第三項の低い生活は苦になりにくく、幸福になり易く、高価な物を食べる必要も、豪華な形式で食べる必要もないのと似ていますが、いろんな健康衛生の知識で正しいです。高い生活なら健康衛生に良いと理解しないください。本当は自然の簡素な生活の方が正しく、衛生にも適い、自然にも適い、利益があります。

 だから子どもに低い暮らしを教え、提案し、誘い、あるいは低い生活の手本を見せます。そうでなければ、毎日少しずつ我が子の首を絞める親です。低い生活の低いのは暮らしだけで、体・言葉・心の行動は、何のために人間に生まれたのかと、高く目指します。だから身勝手でなく、最高に高い物のことだけを考え、そして犠牲にできます。これを「高い行動を目指し、今回生まれたからには、人間としてできる限り最高に善くしなければならない」と言います』。

 

これは、何生も前から仏教徒で、心の管理をしたことがある人以外は、あまり理解できないかも知れません。誰でも高い(良い)生活は憧れであり、無限に高さを追い求めないで適度な高さで満足するなら、高い生活を愛すことのどこがいけないのか理解できません。

 

江戸時代に平和が続いて経済が良くなると、「高い生活」の害が見えない庶民が、美食や贅沢な衣服を競い合うようになり、目に余ると見ると、幕府は「贅沢禁止令」を出しました。これは、将軍や幕府の人が「高く暮らせば心が低くなる」と知っていたので、国民の心が低くなるのを防止するための策だったと思います。庶民が贅沢にお金を使えば、街や国の経済がどんどん良くなると見て、高い暮らし、楽しみの多い暮らしを、あの手この手で国民に勧める今の政府と大違いです。

 

犯罪行為のすべては愛欲や五欲に根源があると言うことができます。五欲とは目・耳・鼻・舌・体で味を欲すことで、窃盗も詐欺も汚職も、高い生活をしたい欲に関りがあります。そして恋人や妻を満足させたい気持ちも、高い生活を欲しがらせます。反対に、高い生活をしていれば、一緒に味わう女性が欲しくなり、心は愛欲に傾きます。

 

日本で「高く暮らせば心は低くなる」という言葉は聞いたことはありませんが、江戸時代には暗黙の常識だったのか、武士は質素な生活を好み、代々家訓として守りました。江戸の生活研究家によると、特に食べ物は質素(一汁一菜、つまり味噌汁とたくわん、あるいは二菜、プラス煮物など)だったようで、そ食べ物は衣住に比べて、最も心を低くするからだと思います。

 

衣服は地味でも高品質の物を使い、住まいも豪華ではありませんが、武士としての体面を保てるだけの、身分にふさわしい立派な家屋敷に住み、家具什器も家柄にふさわしい品質の物を使いました。そうした物は食べ物ほど心を低くしないのと、すべてに粗末では本当の貧乏人の生活なってしまい、武士としての高い矜持を維持できないからでしょう。

 

つまりお金の掛ける所と掛けない所を区別していました。現代は一番お金を掛けるのが食べ物で、次が衣服、あるいは衣服が一番で食べ物は二番目の人もいますが、家や家具什器などは、ほとんどの人が三番以下だと思います。三番目にはアパーヤムッカ(破滅の門)であるいろんな娯楽や旅行にお金を使う人も多いです。

 

心を高く維持するためには、一銭も掛ける必要はありません。本を買って読むとか、何かの知識を詰め込む必要もありません。普通の食べ物、ありふれた物を丁度良いだけ食べていれば、心が食べ物の美味しさに溺れることはなく、心が美味しさに溺れなければ、心は低くなりません。偶に、何かの機会に豪華な食べ物を食べても、それは特別な機会と知って、日常的に、度々食べたいと考えなければ大丈夫です。しかし度々食べたいと思ってしまえば、心はたちまち低くなります。

 

現代のように簡単に、安価で美味しい物が手に入り、いつでも繰り返し食べられる環境では、食べ物の美味しさも心を惑わし、陶酔させる中毒物質と同じ働きをすると見えます。特に「一度美味しさを憶えてしまうと、不味い物は食べられない」と考える人にとっては。

 

今日本では、相対的貧困は六人に一人(子供の貧困は七人に一人)と言われています。相対的貧困とは、全体と比べると貧困という意味で、食べ物にも事欠く絶対的貧困とは違います。

 

他者と比較しなければ、「低い生活をすれば心は高くなる」と知り、高い心を維持することを誇りに思って、貧しさを愛すくらいになれば、貧しさは苦でなくなります。日本には「清貧」という言葉もあります。この言葉は、貧しさを愛して高潔に生きる人や、貧しいことを見下さない素晴らしい言葉です。そのような言葉がある文化も、「低く暮らせば心は高くなる」ことを表していると感じます。

 

タイでは菩薩日(陰暦一日、八日、十五日、二十二日)をワンプラと呼んで、慎み深い在家は八戒を遵守します。八戒とは五戒の他に、正午過ぎは食事をしない、脚の高く広いベッドに寝ない、着飾らない(化粧をせず、装飾品を使わない)、の三つを足します。これは、低い生活を忘れないためにします。

 

月に数日でも低い生活を経験することは、多少でも心が高くなるのを感じることができ、心が際限なく低くなるのを防ぐことができます。世界中の人が良すぎる暮らしをする時、あるいは目指す時、週に一回、低く暮らすこと、つまり簡素な生活を見直して見てはいかがでしょうか。