心にダンマがある

 アリヤシーラダンマの中の、青少年に教えるべき項目の中に、「ダンマがある」という項目があります。これも日本人には馴染みのない言葉でピンと来ないと思います。ダンマという言葉には、大きく分けると四つの意味があるとプッタタート師が説明しています。自然、自然の法則、自然の法則での義務、その義務の結果の四つで、一般に教え、あるいはブッダの教え、仏教の教えと言われるのは、三番目の「自然の法則での義務」である物がブッダの教え、仏教の教えです。

 

 教えという意味のダンマをもっと詳細にして「タンマとは、人間の発達のどの段階、どの部分でも、人間にとって必要な正しい実践体系」とも言っています。

 

 しかし一般の人が普通に「ダンマがある」という時は、心に煩悩がない、心に正しい見解がある、理性があるというような意味と感じます。「ダンマがある」の反対は「煩悩がある」だからです。心は、同時に二つ以上の物は入れないので、ダンマがあれば煩悩は入れず、煩悩があればダンマは入れません。だから、心に常にダンマがあるように注意すれば、煩悩が生じる機会はないと言うことができます。

 

 今心にダンマがあるか、それとも煩悩があるか気づけば、その都度煩悩を追い出し、ダンマがある状態を維持できるので、どんな状態をダンマがあると言うのか、どんな状態を煩悩があると言うのかを知らって置けば便利です。

 

ダンマがあるとは煩悩がないことで、煩悩がある状態は、その時心にあるいろんな状態で判断します。私が使っている方法を紹介します。

 

何かに不満、憤懣、怒りを感じる時、その時心には煩悩があり、ダンマがありません。

心に喜怒哀楽、好き嫌い、恐怖、不安などの感情がある時、

誰かの欠点、悪口、非難などを考えている時、

言い訳や口実の類を考えている時、

自分の好き嫌い、損得、楽しさなどを基準にしている時、

物を惜しむ時、

時間はある(まだまだ死なない)と感じる時、

自己主張している時、

自分を庇っている時、

自分を甘やかしている時、

自分は偉い、凄い、尊重されるべきだと考えている時、

自分の考えは正しいと思っている時、その時心には煩悩があり、ダンマがありません。

 

まだまだ詳細にできますが、今思い付くのはこれくらいです。

 

心がこのような状態の時、心には煩悩があり、ダンマがありません。常に心を観察して、心に煩悩があると知ったら、その都度煩悩の考えを止め、心にダンマがある状態にすれば、それは四念処の受随観念処、心随観念処になります。