黙食礼讃

 新型コロナウィルスの流行で、学校給食は黙食を強いられていましたが、最近、食事中の会話を解禁したにも拘らず、子供たちは今も黙食を続けていると、テレビのニュースで、好ましくない事のように報じていました。私は「黙食のどこが悪い? できればずっと続けてほしい」と思います。

 

 食べながらお喋りをすれば、食べることに集中できません。集中できなければ不注意になり、事故や粗相も生じやすく、食べ方(行儀)も見苦しくなります。当然衛生面でも良いことはありません。食べることは遊びや娯楽でなく、命を養う重要な行為なので、もっと大切に、静かにしたいと思います。

 

子供の頃、食事中にお喋りをすると、「黙って食べる!」と叱られました。その頃は窮屈に感じましたが、今は、黙って食べるのは快適で良いと感じます。仕事に専念している時に話し掛けたくも、話し掛けられたくもないのと同じです。お喋りしたければ、食事の後、お茶でも飲みながらゆっくり話せば良く、食事中にする必要はありません。相応しい時間までお喋りを待てないことにも、問題があると思います。

 

昨年「日本に黙食という習慣はない」と言った学者の発言が問題になりました。しかし武家の文化は黙食と言えると思います。仏教でもイスラム教でも昔のキリスト教でも、日常の食事は黙食に近く、少なくとも団らんの機会ではないはずです。飲食とお喋りを同時に楽しむ中国の影響か、高度成長期以降、「夕食は親子の会話の場」みたいなことを言う人が現われ、それから食事中にお喋りをするのが普通のこと、行儀悪くないことになったように思います。

 

黙食と同時に、コロナ前は大皿料理を突いて食べていた家も、コロナになると、最初から銘々に分けて、昔のお膳のように、今風に言えば定食屋のように、最初から分けるようになりました。これも続けて欲しいと思います。我が家も昔は、すべての料理を一人前ずつ分けていましたが、少しでも洗い物を減らすために、若い者が料理をすると大皿で出すので、適量を静かに食べるにふさわしくなく、私は不自由に感じます。

 

(取り皿を用意しても、それはたべるだけ一度に分けるのでなく、何度かに分けて自分の皿に取るので、銘々膳のようではありません。

 

定食屋のような膳は、自分が食べる(食べた)量がはっきり分かり、途中から欲望で食べる量が増えてしまう虞れもなく、競争心で急ぐことも、ついたくさん食べてしまう心配も、他人に遠慮する必要もなく、静かで、そして衛生的で、良いことずくめです。

 

私は若い頃から、機会がある毎に世界の映画を観ましたが、観た限りでは、一人前ずつ膳にするのは、インドと日本だけのようです。この二か国以外の国は、庶民の家の食器の数に限りがあるからか、幾つかの大皿と、各自の取り皿だけで食べているようです。

 

衛生面でも、精神面でも、マナーとしても、黙食と銘々膳は素晴らしい習慣です。できればこのまま、日本の伝統的様式として、コロナ後の新しい習慣として、残って欲しいと願っています。