ブッダの教えがない日本にブッダの仏教文化がある不思議

日本に伝わった仏教は大乗仏教で、大乗はブッダの法律を喜ばない人たちの宗教のように見えます。だから日本の社会には、仏教徒なら守らなければならない五戒の教えもありません。

 

タイへたびたび旅行して、タイ人との交流を楽しんでいた頃、五戒の話が出た時、私が五戒を「知らない」と言うと、友人たちに呆れられてしまったことがありました。タイでは学校で勉強するので、子供でも、バカみたいな人でも、五戒を知らない仏教徒などいないからです。

 

それまで、日本には仏像があり、それを拝むことがあるので「日本人は仏教徒」だと考えていましたが、五戒を知らない人は仏教徒でなく、五戒を教えない社会は仏教国ではないと気づきました。

 

日本は五戒という教えが社会にないので、多くの人が酒類を飲み、酒類を愛し、蚊やゴキブリ、農作物につく虫を害虫と見なして、躊躇いなく殺し、釣りを楽しみ、魚の活け造りを食べます。窃盗やウソを言うことはあまりないかもしれませんが、飲酒や殺生は誰でも普通に犯します。魚の活け造りをテレビで見たタイ人から、「なぜ先に殺してやらないで、惨いことをするのだ」と言われたことがあります。

 

仏教が国民の宗教であるタイでは、真面目な仏教徒は五戒を順守し、年寄りなどは月四日ある菩薩日には八戒を順守し、托鉢僧に食べ物を供える布施は文化で、ほとんどの家でしています。蚊取り線香は無毒で、殺虫剤のCMもありません。つまり殺生の機会を増やさない努力があります。

 

観察すればするほど、日本で仏教と呼んでいる物は仏教はないと感じますが、その一方で、日本には「これは紛れもなくブッダの仏教の精神だ」と感じられる文化があります。

 

何よりはそう感じさせるのは、日本人(特に武士の血統の人)の行儀作法の美しさ、あるいはしとやかさです。プッタタート師は「しとやかさは仏教文化であり、ただの道徳ではない」と言われています。そのような目で見ると、しとやかさ、しとやかな行儀作法は、ブッダがよく言われている「梵行」の副産物であり、それ以外の物ではないと感じます。梵行とは何か、

 

梵行とはブラフマチャリヤの訳語です。ブラフマは最高に素晴らしというような意味で、チャリヤは行動、振舞いで、合わせると、「最高に素晴らしい行動」です。あるいは「美しい行儀作法」で良いかもしれません。ブッダの弟子になってから阿羅漢果を得るまで実践しなければならない修行を梵行と呼びました。「他の教祖の梵行は」と話されていることがあるので、仏教に限らず、その宗教が理想とする行動を呼ぶのに使った言葉のようです。

 

ブッダが話された例を紹介すると、

『良く行った人であり、世界を明らかに知り、訓練するべき人を誰よりも良く訓練する御者、天人と人間の先生、明るい人、ダンマを分類して動物に教える人として生まれました。如行は初めも美しく、中間も美しく、終わりも美しいダンマを説き、義も細部も純潔で完璧な梵行を公開しました』。

 

『このように知り、このように見ていれば「解脱した」と知るニャーナがあり、「生は終わった。梵行をするのは終わった。するべき仕事は成功した。このようになるためにしなければならないことは他にない」と明らかに知ります』。

 

『所帯を持って、良く磨いたほら貝のように純潔な梵行を行うのは簡単ではない。それなら髪と髭を下ろし、袈裟をまとい、家を出て出家し、家のない人になろう』と、このように熟慮して出家し』などと使われています。

 

具体的な梵行について、次のように言われています。

バラモンさん。如行が訓練する人を受け入れると、初めに「おいでなさい、比丘。あなたは戒があり、パーティモッカ(二二七戒)で慎重にし、作法とゴーチャラ(好んで行く場所)が完璧で、普段から小さくてもすべての罪の危険が見え、すべての教条を遵守する人におなりなさい」と、当然このように提言します。

 バラモンさん。その比丘が戒のある人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたはすべての根に注意深い人になり、目で形を見てもニミッタで(つまり全体を美しいとか、醜いと)捉えず、アヌパヤンチャナ(部分に分けて、その部分を美しいとか醜いと)で捉えず、

罪と悪つまり貪りと憂いはいずれかの根に注意しないことが原因で感情にそって流れて行くので、その根に注意を払い、眼根を慎む人になりなさい」とこのように提言します。(耳根・鼻根・舌根・身根・意根の場合も、同じように話されています)。

 バラモンさん。その比丘が根を慎む人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたはいつでも食べ物の適度を知る人になりなさい。遊びのため、酔うため、飾るために食べず、『この体を維持するため、命を維持するため、困難を防ぐため、梵行を援けるためだけに食べる。私は古い受(飢え)を排除してしまい、新しい受(食べ過ぎ)は生じさせない。寿命を進めること、食べ物による害がないこと、安楽は私にある』と絶妙な熟慮をしてから食べなさい」とこのように提言します。

 バラモンさん。その比丘が食べ物の適度を知る人になったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。覚める(眠らない、眠くならない、ぼんやりしない)道具であるダンマに努力がある人になりなさい。歩くこと座ることで昼から宵まで、初更が終わるまで、心にあるすべての障害物を完全に清浄に拭い、

中更には右に傾いて足に足を重ねて獅子のように眠り、起き上がる常自覚があり、夜の終りには起き上がって、歩くこと、座ることで障害物を心から完全に清浄に拭いなさい」とこのように提言します。

 バラモンさん。その比丘が目覚める道具であるダンマの努力があるようになったら、如行は当然「お出でなさい、比丘。あなたは常自覚が完璧な人になり、前進、後退、振り向く、ちらっと見る、屈む、伸びる、外衣や内衣(チーヴァラ)を維持する、食べる、飲む、噛じる、嘗める、大小便の排泄、行く、止まる、座る、寝る、眠る、目覚め、話す、黙っていることを周到に自覚しなさい」とこのように提言します』。

 

これらの挙措に関して手取り足取り、事細かく先輩僧が新参比丘に指導しました。それらの作法が身について、しとやかな人になったら、つまり心が静かな人になったら、それから本格的な学習や実践に取り掛かり、四念処などで初禅、二禅、三禅、四禅に至ることを教えると言われています。

 

江戸時代以前の武士は荒々しく武骨な人が多かったように見えますが、江戸時代になると、武士の様子は一変して、武士と武士の一族全員が美しい行儀作法の人になります。歩き方、戻り方、振り向き方、障子の開け閉め、食事を提供する作法、食べる時の作法、茶菓子の接待の作法など、生活のすべての行動に作法がありました。それらの行動は、行動する人を「静かな人」にしました。

 

武士は善い戒があり、質実剛健な生活を好み、妄語がなく、卑怯な振る舞い(告げ口)を蔑み、暴言や悪口を避け、意味のない話、内容のない話、饒舌や詭弁を嫌い、歌舞音曲、見世物などを好まず、十善戒のほとんど、あるいは八戒のほとんどが身についていました。ブッダの弟子になれば、初禅、二禅、三禅、四禅に至る訓練をするにふさわしいくらい、善い戒があり、戒から生じる静かさを愛す人でした。

 

武士階級は全国民の一割から二割と言われていますが、このように美しい作法や戒があった武士が社会の最上層にいて、庶民の手本であり標準であったことが、世界に類を見ない文化を作ったのではないかと思います。

 

武士がいなくなって百五十年くらい経過した今でも、武士、あるいは武家の血を受け継ぐ人は、居住まい、佇まいが凛として、静かで見苦しくない作法が身についているので、見れば、あるいは一言二言話せば分かります。

 

日本にブッダの仏教はないのに、実質ヒンドゥー教国日本に、なぜブッダの弟子のように美しく厳格な作法が生まれたのでしょうか。それは、インドにイスラム教の侵攻が進んだことに原因があると見ます。詳しい説明は「仏教という名のヒンドゥー教」2012年8月23日 https://tammada.hatenablog.com/entry/10897589に書いてあるので、そちらを先に読んでいただけば、分かりやすいと思いますが、インドがイスラム教国になると、それまでヒンドゥー教を信じていた人たちは、その地に生まれる縁がなくなり、大乗の人との縁を頼って、たくさんの人が日本に生まれて来ました。

 

日本に、過去世でヒンドゥー教だった人が生まれて来たと分かる最初は、薬師寺薬師如来像の掌と足の裏に卍が彫られたことです。卍はヒンドゥー教ジャイナ教で使うマークで、最初は参詣者に見えない場所に、隠れるように彫っていましたが、次第に大胆になり、最後には寺のシンボルマークになりました。つまり多くの僧に容認されたと推測します。

 

それ以降、僧は葬式やいろんな儀式に関わるようになり、本尊と呼んでヒンドゥー教の神々を祭り、装束は煌びやかになり、どんどんバラモン(祭司)化します。過去世でヒンドゥー教徒だった人が日本に生まれて仏教僧になると、その縁を頼ってたくさんの一般庶民が日本に生まれて来ました。

 

イスラム教国になったインドに生まれる縁(両親)を失った人は、ヒンドゥー教徒だけでなく、過去に仏教を信奉していた人もいました。そうした人が日本に生まれ、庶民の中から茶の湯が生まれました。利休以前の茶の湯がどのようかは知りませんが、利休以降の茶の湯は、「全身に行き渡らせた常自覚の状態を楽しむために、形式化された(ブッダの)仏教の梵行」と言うことができると思います。「静寂・清澄・明るさ」は、仏教と茶の湯に共通する価値観です。

 

インドで仏教は滅びたと言っても、人の心の中、血の中に仏教の精神は生き続け、どの国の社会に生まれても、自分らしく生きる機会を探します。戦国時代の武将は武骨な人の方が多かったように見えますが、江戸時代になると、家康や徳川幕府は、武士の行儀作法を重視したので、急速に平和の基礎が築かれたと思います。行儀作法があれば礼があり、礼があれば秩序があり、秩序があれば平和があります。江戸時代に、平和が260年も続いたのは、武士社会の行儀作法に理由があったのかもしれません。

 

時代劇や映画、あるいは時代小説で観て、読んで知る限りでは、武士社会の行儀作法は、ブッダの梵行の行儀作法の部分と同じと感じます。また、武士道と呼ばれるものにも、慚・愧、律・義(根律義)、質素倹約、質実剛健など梵行と同じ項目はたくさんあります。世界の歴史の中に、自ら質素な生活を旨とし、庶民にぜいたく禁止令を出すような王や皇帝がいたでしょうか。

 

武士はインドの身分制度で言えばカッティヤ(王族階級。クシャトリア)で、政治と軍事を仕事とします。(バラモンは祭司で、各種の儀式や占いや、王家の顧問などをしました)。そしてブッダの時代の出家や清信士、清信女の多くは、カッティヤや長者の家の人でした。茶の湯を愛す人は、大名と豪商と僧の一部で、これもインドの仏教徒の階層と一致します。武士社会には仏教の教えが血に溶けている人が多く、ブッダの教えがない日本に生まれると、仏教の教えを文化として開花させたのだと思います。

 

武士の文化の中には(仇討ちなど)中国由来の物も一部にはありますが、武士文化の多くは、ブッダの仏教の文化と共通すると見えます。

 

梵行である美しい行儀作法は、仏教のすべての実践の基礎であり、涅槃への道ですが、世俗の人の梵行は秩序のある社会の恒久的平和を築き、維持させる基礎、個人の人生を安定させ、破滅を防ぐ物のように見えます。今日本社会には、美しい行儀作法はおろか、丁寧な言葉づかいさえ無くなってしまったように見えるのは、惜しいことです。