過去生ジグソーパズル

私は、自分の「過去生の記憶」と言えるものはありません。占星学を学んだ時、土星や月やドラゴンテールが過去生を表していると知り、興味を持ちました。ブッダの仏教を知ると、本気で興味を持ちましたが、過去生の記憶が残っている幼年期、少年期ではないので、思い出す術もありません。

 

しかし過去生は現生と繋がっているので、現生を見れば過去生を推測できると見て、子供時代の習性を思い出してみました。

 

両親が言うには、歩き始めるのが遅く、普通の子は一歳前後で歩き出すのに、私は一年くらい遅く、歩き始めると両足を絡めるようなおかしな歩き方で、障害がありはしないかと心配したそうです。また言葉を話すのも遅く、知恵遅れではないかと心配したとも、聞いたことがあります。

 

幼い頃は、普段着は着物の厚着だったので、歩き難かったのでしょうか。赤子の時から、幼児になっても、いつもじっと座って、周囲をぎょろぎょろと(つまり強い視線で)見回していたそうです。

 

外で遊ぶようになると、一人で野原の草花や昆虫を見ました。小学生の頃は、川原で、流れの中にある石に載って流れを見つめていると、ある瞬間から自分が載っている石が舟のように動き出す錯覚が生じる、その錯覚を楽しむのが好きで、しばしば近くの川に行きました。

 

夏になると近所の子供は川で泳ぎましたが、私は泳げませんでした。しかし水に潜って石を拾うのはでき、好きでした。

 

中学生になると、学校から帰ると、周辺の低い山に登って、麓の集落の景色を眺めるのが好きでした。家の周囲には幾つも低い山があったので、あっちの山こっちの山に登って、麓を見ました。大人になってからも、高いところから麓の村を見渡す光景を見るのが好きです。

 

トンボをたくさん獲って、焼き鳥のように草の茎に刺して、たくさん集めた記憶もあります。蛇を見ると、怖いとか逃げるというよりは、「捕まえる!」と思いました。

 

記憶にある限り犬は恐怖でした。昔は放し飼いが多かったので、犬を見ると逃げ、逃げると追い駆けられ、その度に怖い思いをしました。小学生だったある時期、今思うと、きっと体調が悪かったのでしょう。毎日毎日犬に追い駆けられる夢を見て目が覚め、再び眠ると夢の続きを見たので、大きくなったら総理大臣になって、犬を飼うことを禁じる法律を作りたいと、真剣に思いました。

 

これらを総合的に見ると、すぐ前の前生は鳥だったのではないかという考えが生まれました。小鳥は歩かないので、歩くのが遅く、変な歩き方をしたと思います。ギョギョロ周囲を警戒するのは鳥の習性です。鳥は川で石に止まって魚を狙い、潜って獲ります。飛んでいない時は、低い山の上から、里を見下ろしているでしょう。昆虫も蛇も、餌なので、可愛く思うことはないでしょう。犬が異常に恐ろしかったのは、たぶん最期に、何かの理由で飛べなくなった時、犬に噛まれて死んだのかも知れません。猫の声も、嫌悪すべき物と感じていました。

 

通常人が死ぬと、しばらくは動物の生を繰り返し、生まれるにふさわしい環境が整った時、(占いから言えば、人と、生まれる時はふさわしくなければならないので、その人にふさわしい星の並びになった時)人間に生まれると考えます。前生と言う時、すぐ前の生は動物で、私は小鳥だったと推測します。

 

前回人間だった時を推測すると、日本人ではないと確信します。言葉を話すのが遅かったのも、発音が変だったのも、初めての(本当は初めてでなく何百年ぶり)国だったからでしょう。生家は関東地方にありましたが、冬の寒さを耐えがたく感じました。当時その地方の夕食は、毎晩手打ちうどんでした。冷や麦や幅広麺なら食べられましたが、手打ちうどんは喉を通りません。残りご飯がない時は、泣いて母を困らせました。

 

他に、食べられなくはありませんが好きでない食べ物は、赤飯、餅、餅菓子、せんべい、あられ、塩辛、生イカ、りんご、おせち料理などで、好きな食べ物は、ウド、春菊、山椒、三つ葉など、香りの強い野菜と甘いお菓子でした。そして母が米を研いでいる時の真っ白い研ぎ汁を見ると、いつでも「美味しそう」と感じました。

 

神社にもお寺にも、家の仏壇や神棚を拝むのも違和感がありました。厳かとか神聖という気分はせず、異教の儀式のような気味のわるさ、白々しさを感じました。

 

運動が苦手で、体育の成績は常に「2」でした。跳び箱はどんなに低くても、一度も跳べたことがありません。鉄棒は前回りだけ、マット運動も前回りだけで、徒競走はいつもビリでした。「1」でなかったのは、担任の温情だったと思います。成人しても運転免許を取りませんでした。お酒は、社交のために飲む努力をしましたが、苦しいだけで酔えませんでした。

 

絵を描くのは好きではありませんでしたが成績は良く、特にデッサンや彫塑が得意でした。詩作が好きで、小学生の時から、日常的に詩や随筆を書いていました。小学校高学年から日記をつけ始め、春休みや夏休み、新学期が始まって、生活が変わる度に「日課表」を作るのが好きでした。時間を無駄にしたくないと言う思いが強かったです。

 

インドが好きで、サリーを着た女性の写真を見ると美しいと感じ、インドの文化に憧れを感じました。

 

これらを総合すると、私は日本人でなく、温かい国の人で、仏教の僧か、仏教文化の国に住んでいたと思います。その後の多くの縁の深い人々との出会いを考えると、タイ人だったと推測します。タイの食べ物は、パクチーなどの香りの強い野菜が多く、いろんな香りを好みます。

 

米の研ぎ汁を「美味しそう」と見たのは、ココナツミルクの美味しさが記憶に残っていたのかも知れません。出家は律で走るのを禁じられているので、運動をしたことがなく、別の体に生まれても、体が動かないのだと思います。

 

仏教の比丘は動物に乗ること、動物が引く車に乗ることを禁じられているので、その習性が身についている人は、現代に生まれても運転免許を取らないと思います。

 

詩作が好きで、絵画が得意なのは、出家として何度も生きたからと思います。昔は出家すると生涯僧として暮らしましたが、長い人生では宗教的興味はあまり長続きしないので、実践の熱意が冷めた後は、詩作や絵画、彫刻、彫塑、木工、調薬、占いなどに熱中します。そうでなければ、宗教界の権力や社交、あるいは年中行事などの儀式に夢中になります。私は絵画から占いまで全部、好きか得意なので、いろいろ総合すると、仏教の比丘として生きた生が多かったことを意味すると思います。

 

以上のように、現生にある習性や好み、嫌いな物などを整理し、そしてそれはどんな人にある好みや習性化を良く調べると、ある程度、過去生が絞られてきます。外国の場合、現生で行ったことがある国、会って話したことがある外国人の国などは、過去世と関連があると思います。

 

先ほど日本人に生まれたのは何百年振りと書きました。日本の歴史を見ると、興味がある時代と、まったく関心がない時代があります。私は平安時代と江戸時代には興味があり、その時代の文学作品を原文で読むのが好きですが、幕末から明治大正までの時代とその時代の作品には、まったく興味がありません。それで私は、平安時代と江戸時代に、日本で生きたことがあるのではないかという思いがします。これは興味の問題です。

 

他にも、北イタリアやポルトガル、インド、韓国の景色にもデジャブーのような懐かしさを感じることがあります。これも、その国(あるいは文化的に近い国)で生きたことがあることを表していると思います。しかしその国ではなく、文化的に似ている別の国のこともあるようなので、断定はできません。

 

こうした思索は、馬鹿らしい妄想と思われるかも知れませんが、過去生を見る宿命通は、ジクソーパスルのように一つ一つ組み立てて見ている内に、ある時、一気に加速して完成するので、そしてブッダもそのようになさっているので、そうした過去生を思索することも、世界の真実を知ることに関して意味があると思います。