女性の話

オリンピック組織委員会会長だった森喜朗元総理が「女性がたくさん入っている理事会は時間が掛かる」と発言して問題になったことがありました。男性女性と括られると多少乱暴な気はしますが、一般的に、それは事実を言っていると思います。女性の多くは話が長く、本論に関係のないことを話し、卑近な例が多く、詳細すぎ、議論が進まないことは多いです。しかし女性ほど多くはないですが、男性にも話の長い人はいます。

 

夫は話が長くて、本論から逸れた話が多く、話していてじれったく感じることが多かったです。離婚を望ませた原因であるいろんなことは妥協できても、居間にいる間中、のべつ幕なしに話し掛けて来る習性には辟易としました。最近娘が父と同じようになり、夫が亡くなって饒舌から逃れられたと思ったら、今は子の中に甦り、死ぬまで逃れられないと感じました。

 

詰まらない話を聞くのは苦で、苦は怒りを生じさせます。だから、次々に口から流出する言葉を、戦場で弾を除けるように避けて暮らすのは、修行です。一言話し掛けると返事が長く、たった数語の問いに、何十行も解答する、論文形式の試験のようです。日常会話では、そのような詳細な返事は期待してなく、ただ、肯定か否定か、あるいは軽い相槌くらいで、ピンポンのように遣り取りできれば十分です。その度に長々と話されると、一曲ずつ順に回っているカラオケのマイクを独占されたようにうんざりします。

 

そのような時怒りを生じさせないために、話が長いのはなぜか、何を話しているのか、観察して見ました。

 

話が長い人は、その時話している本論に関わりのない、卑近なエピソードを披露するのが好きなので、一回の発言が長くなります。つまり、長くても重要な内容はありません。一般的に必要な話、重要な話だけをすれば長くはならず、どうでも良い話が混じるから長くなります。

 

重要でない話とは、観察した限りでは、多くは「自分は良く知っている」と思わせたい何らかの知識。あるいは「そこは行ったことがある」など、思い出して自分自身が楽しむ話。あるいは、その話と家族・親戚・友人などとの関係を自慢するなど、「自分」をアピールする類の話です。あるいは、話しながら考えていることもあります。

 

なぜ関わりのない話をするのか。

必要のない話を加えて発言を長くするのは、何が重要で何が重要でないか見分けられず、全部を必要と見るからです。話している人にとって、どちらも同じ重要性があります。つまり、その時話すべき内容として、何が重要で何が重要でないか、判断する能力に欠けています。

 

賢さにはいろんな賢さがありますが、「玉と石を見分ける」「重要なことと重要でないことを判断する能力」は、意味のある人生を送る上で不可欠です。その能力がなければ無駄の多い人生で、回り道ややり直しが多くなるからです。大事と小事を見分けられない人が、必要な話に無用な話を交えて話せば、どうしても話が長くなってしまいます。

 

なぜ自分に関わる話が多いのか。

それは、その人にとって、自分が最重要だからです。何かの問題の対策を話し合う協議でも、その場で自分の能力、話力、魅力を発揮して、参加者に知ってもらうことは、その問題の対策と同じくらい重要だからです。それくらい自分が重要な人は、機会がある毎に自分をアピールするので話が長くなるのではないかと観察しました。

 

親子で話している時、自分の魅力をアピールしても意味がないのに、それでも習性で、知っているだけの知識を披露して、長々と話します。これを仏教で言えば綺語です。綺語が習性になっていれば、そうした話に付き合ってくれるのは、同じように「玉と石を見分けられない」人か、何か目的がある人だけになります。

 

ブッダの綺語の説明は次のようです。

「彼はキリもない話を捨て、際限ない話を避け、時にふさわしいこと、本当のこと、利益があり、ダンマであり、ヴィナヤであることだけを話し、根拠のあること、証拠のあること、終わりのあること、時にふさわしい利益のあることだけを話します」。

 

綺語の報いについては、「めいっぱいして励んでたくさん言った綺語(くだらない話)は、当然地獄のためになり、畜生に生まれるためになり、阿修羅の境域のためになります。人間である人のすべての報いより軽い、くだらない話の報いは、誰にも言うことを信用されなくなることです」。

 

「現生で殺生をし、窃盗をし、愛欲の誤った行為をし、虚偽を言い、告げ口をし、乱暴な言葉を言い、冗長なおしゃべりをし、貪りが多く、恨む心がある誤った見解の人は、生きているうちに、現生で、あるいはその後、あるいはもっと後で当然そのカンマの報いを味わいます」。

 

「冗長な話、意味のない無駄話など、口から漏れる言葉は無害ではなく、殺生や窃盗と変わらない罪」と聞いたことがない人は無駄なお喋りが好きなので、だから女性に生まれることが多いのではないかと思いました。