子供の貧困の因と果

 

 

ドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩があります。

 

「けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込み思子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう」

 

これは親の接し方という縁と、結果を述べています。


「励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中は良いところだと思えるようになる」


と後半にあるように、親が子に接す時の手本にすれば良いですが、既に人を貶すのが好きで、乱暴で、卑屈で、他人を羨んでばかりいる人がこの詩を読めば、「それ見ろ! 自分がこのようになったのは家庭のせい、親のせいで、自分は被害者だ」と思ってしまい、邪見が強くなります。だから因果について述べていますが、一部であり、深くもありません。

 

事実、後半で述べているように善く接しても、子が悪い結果になることもあり、悪い接し方をした家庭でも、全部が同じ結果にはなるとは限りません。

 

つい最近、兵庫県で四人兄弟が五十七歳の母親を監禁し、子、あるいは甥である六歳の子を殺した事件では、四人兄弟が交代で母親と甥に虐待を繰り返していたことが分かりました。また四人の容疑者兄弟は、子供の時に母親から虐待を受けていたとも言います。これだけを見れば、虐待を受けて育った子供は、大人になって虐待をしています。しかし子供の時に虐待を受けた原因はもっと前にあるはずで、過去世で子供や親に虐待を働いた結果ではないかと推測できます。

                                                                

つまり一人の人の大人の時の行動(業)と、次の生の子供の時の環境(業の報い)は繋がっています。過去生や来生の話をせず、現生の話だけにすれば、現生で作った業の後に、現生での子供の時と環境を逆さに繋げて、子供の時の環境を結果に見たてると、業と業の報いになります。

 

例として貧困の話をすると、私が子供の頃は、全体的に物資がなく、ほとんどの人が貧困で、極貧と言うほどの人はあまりいなかったように思います。夫は、三度の食事も儘にならないような極貧の家で育ち、成人してからは人並みに暮らし、(別居した)晩年には浪費と借金によるどん底で亡くなりました。夫が作った浪費と借金(業)と、夫の子供の頃の環境は、時間的には逆ですが種類は同じで、人生の終わりと始まりを円のように繋ぐと、終わりが原因で、初めが結果としてぴったりします。

 

フィリピンのマルコス元大統領のイメルダ夫人や、インドネシアスカルノ元大統領のデヴィ夫人も、育った家は貧困だったそうです。イメルダ夫人は母の形見の売り食いをし、デヴィ夫人は線路に生えている草を取って来て食べたと話していました。俳優や歌手や有名人にも、子供の頃貧しかった人は数えきれないほどいます。それは権力が集中しすぎる国の大統領夫人は思いのままに浪費ができ、俳優や歌手や野球選手などで有名になった人も、贅沢、浪費をする人がいるからです。

 

普通の庶民でも、裕福になると美食や衣装に浪費をする人がいますが、話して見ると、子供の頃、家が貧しかった人が多いです。(良い家柄の出の人は、ほとんど浪費しません)。本性は浪費家で、貧しい幼少時代は我慢を余儀なくされますが、大人になって豊かになると、本性が現われてしまうからです。中には子供の頃貧しかったから、お金を持っても必要なだけの暮らしで良いと考え、普通の暮らしに満足する人もいるので、子供の頃貧しかった人全員が、大人になって浪費するとは限りません。

 

平成になって、子供の貧困という言葉を聞くようになりました。団塊世代の子供、つまり団塊ジュニアと呼ばれる人たちが子供だった頃は、ほとんど貧困はありませんでしたが、今目増えて来たのは、バブルの期までに贅沢や浪費をして亡くなった人が、再び人に生まれて始めているからではないかと考えます。それなら今の年金貴族も浪費をしているので、今後も子供の貧困問題は増え続けるように思います。

 

思えば日本の戦後の一時期は、国民のすべてが必死に真面目に働き(善業を作った)、悪業を作る暇もなかったので、ほとんどすべての人が、その業の結果としてそれなりに豊かな生活ができました。国民の八割の人が「今の生活に満足で幸福」と答えていたような時代が、本当に稀だったのかも知れません。

 

人生は一度限りでなく、原因には結果があり、その結果が原因になって新たな結果が生じ、際限なくそのようになっていると知れば、「死ぬまでに全部使って死にたい」というような浪費家は、もっと少なくなり、今後の世界の貧困も減ることが期待できるのに。

 

(この場合の浪費とは、自分と自分たちの楽しみのために使う死に金を意味します)。