恩返しと恩送り

先日テレビを見ていたら、「いろんな人から恩を受けて来たので、恩返しでなく、これからは若い人たちに恩送りをしたいと思っています」と話している人(一般人)がいました。これは若い日の自分と同じ考えで、苦々しく感じました。

 

私自身も若い頃、多くの人の恩を受けて今の自分があるので、恩を受けた人に「恩返しをしたい」気持ちはありました。しかし、まだ若かった私は生活に精いっぱいで、恩のある人たちはお金持ちで、遠い故郷にいる人ばかりなので、詰まらない物品を贈ったところで失笑を買うだけと考え、それなら自分より後から来る人たちを援助しようと考えました。

 

恩を受けた人に恩を返せば、二人の間で完結してしまうけれど、恩を受けた人が、バケツリレーのように次々に人を助ければ、支援は永遠に続くので、大きな支援の輪になり、恩返しより社会にとって良いと考えていました。そして誰かを支援する時は、恩ある人の恩を思いました。

 

しかしブッダの仏教を学んで、その考えは完璧に誤っていたと知りました。自然の法則では、受けた恩は借りなのです。

 

お金持ちからお金を借りて、そのお金持ちは返してほしくて貸したのでなく、与えると決めて与えたのでも、自然の真実では精神面の借りができ、返さなければ、踏み倒しになります。他人の恩を踏み倒しておいて、他の人に貸し、「あなたへの恩を、こちらへ回させていただきます」と最初の恩人を思うなど、盗人猛々しい厚顔無恥な人間です。

 

私は「受けた恩は借り」と知らなかったので、自分の頭で考えて、そのような間違った考えをしていました。現世で、助けてくれる温情のある人に多数出会ったのは、たぶん過去世でも、小さな人助けしていたのだと思います。しかし、恩ある人に恩返しをして来なかったので、現世ではあまり発展しませんでした。

 

今では、恩を知ることは、非常に大切なこと分かります。ブッダが「恩知らずは破滅する」と言われているからです。恩は一種の借金、借金以上の借金で、踏み倒せば、世俗的にも、タンマの面でも、発展は期待できないと見えるからです。

 

団塊世代の私が子供の頃は、親も先生方も「忠孝」の考え方に自信を失っていたので、「孝・恩・忠」を口にする人はなく、教えられたことも、考えたこともありませんでした。大人たちは、そういった話題を避けているようにも見えました。生まれた時代を考えれば仕方なかったとは言え、老人になってから知ったのは、非常に不幸なことと思います。それは今でも変わりありませんが。

 

ブッダの教えを学んだ今なら、自分より偉大な人、世の成功者である恩人に恩を返すことは、無理して大きな金額の品物を贈って返すのではなく、近くへ行った時は、その度に敬意を表す品物(手土産)を持って顔を出し、いつでも恩に感じていると、言動で表すべきだったと分かります。

 

私は「尊敬も恩も、日頃心で思っていれば通じる」と、勝手に思い込んでいました。しかしブッダは「尊敬する人には敬意を表しなさい」と言われています。ということは、思っていても通じないということでしょう。

 

だからアジアには表敬という礼儀があり、友達の家へ行ったら、着いた時と、辞去する時、両親や祖父母に挨拶しなければなりません。有名人などは今でも、地方へ行くと、知事や市長などを表敬訪問します。子や孫にそのような昔式の礼儀を教えることは、子や孫の努力を実らせる肥料や日光になります。勉強だけさせて、勉強だけできる子になっても、恩を知らず、恩の返し方を知らなければ、親や、その子が望むような幸福な人にはなれません。

 

恩送り、つまり他人を支援することは良いことですが、恩返しの代わりにはなりません。恩は借なので、返せる状態になったら先に借りを返し、それから他人の支援をするべきです。いくら他人に貸しても、貸主に返さなければ、借金は消えないからです。

 

そして、恩を受けた金銭的価値だけを返しても、例えば百万円支援してもらって、後で百万円返しても、そこには恩が残ります。恩の部分は、繰り返し尊敬と感謝を、体と言葉と心で表す以外に、返しようがありません。

海の歌

仏教では、自分が手本とすべき物を持つべきと言います。いつでも手本にする物があれば、何につけても迷わず、心の拠り所にすることができます。ダンマは最高の拠り所ですが、すべてを記憶し、すべての場面で思い出すのは難しいので、ダンマに沿っている(正しい見解の類の)自分の心にぴったりした言葉や歌は、記憶しやすく、思い出すのに都合が良いです。

 

最近、西条八十の「海の歌」という詩を見つけました。

 

大いなる 船くつがえす

かくれたる 力はあれど

あどけなし 磯のさざ波

白砂に 小蟹と遊ぶ

 

満ち潮の 満ちて誇らず

引き潮の わかれ嘆かず

塵あくた のせて濁らず

青き水脈(みお) つねに新し

 

おおらかに すべてを呑みて

おおらかに すべてを濯い

とこしえに かがやける海

ああわれら生きん 海の心に

大海(わだつみ)の 広き心に

https://youtu.be/Y64feccSOZo

 

昭和三十年に作られた、古関裕而作曲、伊藤久男歌唱の「三越ホームソング」の歌詞です。

 

「大いなる船くつがえす、かくれたる力はあれど」は無力無能でなく、偉大な力はあってもひけらかさず、「小蟹と遊ぶ」は繊細な優しさがあり、「満ち潮の満ちて誇らず」は慢がなく、「わかれ嘆かず」は執着や痴がなく、「塵芥のせて濁らず、青き水脈、つねに新し」は、世界の汚れに触れても汚れない例えに、ブッダが好く使われている蓮華と同じです。「おおらかにすべてを呑みて」はタターター(真如)で、「すべてを濯い」は、貪りや憂いなど、常に心の汚れを濯ぐサティ、四念処で、「とこしえに輝ける海」は涅槃です。

 

歌われている海は阿羅漢の心であり、武士の精神、日本人の理想だと思います。今日は偶々伊藤久男の命日でした。人の一生は短く、残された仕事は永遠なので、何かにつけて昔の人の作品に触れることは、良い事と思い、世俗の話ですが、この歌について書いて見ました。

 

詩はこのように美しく、意味は深く、曲も壮麗で気高く、このような歌が国歌なら、すべての人に好まれ、誰もが気持ち良く歌えるような気がします。

 

 

もう一つ、昔の童謡の「村の鍛冶屋」(作者不明)は、確か小学校低学年の音楽の教科書にあり、子供の頃に歌った歌で、思い出す度に、懶惰と闘う日常生活の手本としたいと思います。こういう言葉は在家の心の宝です。

 

しばしも休まず槌打つ響き

飛び散る火花や走る湯玉

フイゴの風さえ息をもつかず

仕事に精出す村の鍛冶屋

 

主は名高きいっこく者で

早起き早寝の病知らず

鉄より堅しと誇れる腕に

勝りて堅きは彼が心

 

刀は打たねど大鎌小鎌

馬鍬に作鍬、鋤よ鉈よ

平和の打ち物休まず打ちて

日日に戦う懶惰の敵と

 

稼ぐに追いつく貧乏なくて

名物鍛冶屋は日ごとに繁盛

あたりに類なき仕事のほまれ

槌打つ響きに増して高し

https://youtu.be/kphnvoE62Ms

 

平等に暮らすのは苦

 ブッダは「四つの階級も同じで、カッティヤ(武士)もバラモン(司祭)もヴェッサ(商人)も、スドゥッタラ(労働者)も、出家して私が公開したタンマヴィナヤ(この場合は教団というような意味)に入れば、当然全員が自分の古い名前と家名を捨て、当然新たにサキヤプティヤ(釈迦族の子)のサマナと呼ばれます」と言われているので、「仏教は平等を説いている」と主張する人がいます。

 

しかしプッタタート師によると、ブッダは「平等に暮らすのは苦」と言われているそうです。ブッダの教団は、出家すれば、どの階級の人も平等にブッダの弟子になりますが、教団内には出家年数による序列があり、一日でも早く出家した人は、「先輩」として敬わなければなりません。同じ先輩でも、年数の多い人ほど敬わなければならない世界です。仏教では上下がないのではなく、上下に分ける基準が、当時の世間のように、生まれや身分でないだけです。

 

寺という言葉の語源である「テーラ(サンガの規定による長老)」は、新参比丘にとって尊敬しなければならない人ですが、それは出家して十年を経過した人で、年数を規準にしています。そして後輩が先輩に対して守らなければならない言葉遣いなども、ブッダは細かく規定しています。また社会や家庭内でも、年長者を尊重するよう教え、「親も子もない、先生も生徒もない、サマナもバラモンもいない、年寄も若者もない」という見解を、誤った見解と明言しています。

つまりすべての人の日常生活で、すべての人が平等に暮らすことなど、説かれていないということです。

 

だから大乗も含めた仏教文化の国では、長と老を敬う慣習があり、大勢の人が集まる場所では、相応しい席順を守らなければなりません。つまり上の者と下の者を区別して扱う文化と言うこともできます。それは社会的には、上下があることは秩序を生じさせ、それによって安定や平和が生じ、穏やかな幸福が維持でき、進歩発展が期待できます。個人的には、長老を尊重することは善のカンマで、行動した人の心を素直にし、苦を生じさせないからだと思います。

 

2010年8月5日のペルー コピアポ鉱山落盤事故の経過をWikipediaで読むと、地下に閉じ込められた三十三人の工夫が、10月13日に全員救出が完了するまでの二カ月を超える月日を、地下で安全に過ごすことができたのは、自然に、必要な役割分担ができ、全員がそれらの指示に従ったからと分かります。相応しい資質と責任がある現場監督がリーダーになり、適任者を見出して医療係、宗教係、精神科ケア係、外部との通信係などを決め、他の人はリーダーや係を信頼することで一致団結して、最初は食べ物も飲み水もない苦境を、大事なく乗り越えました。平等を主張し、全員平等に行動して右往左往していれば、全員が餓死、あるいは仲間内の争いで滅びたかもしれません。

 

ブッダはいろんな場面で「団結」を教え、(告げ口など)団結を破る行為を禁じ、非難しています。団結するには核である人、リーダーが不可欠です。だから団体には必ずリーダーや監督、オーケストラには指揮者、劇団には監督、建設現場にも監督、調理場には料理長など、指揮監督する人がいます。全員が同じ技量があったとしても、統率する人は必要で、技量に違いがあればなおのこと、上下の序列は必要になります。

 

何としても結果を出さなければならない仕事の現場では、元々平等に持ち合わせていない技量や資質の人が平等を主張したら、混乱と停滞だけで、一歩も進めません。端役を嫌って、誰もが主役をしたいと主張すれば、配役を決めることもできません。

 

最近、河野ワクチン担当大臣が「平等性」と言ったのが気になりました。全国にワクチンを割り振る時、感染者や感染率が高い大都市がある都道府県も、毎日の感染者が一桁、あるいは無い県も人口割で配るのは、大火事が拡大している県と、まだ火事がない県とを同じに、平等に消防車を配置するのと同じで、中学生にでもできる分配だと思います。

 

もし治療薬の不足が生じれば、「治療薬の平等性」と言って、重傷患者のいない県と、感染爆発している都府県と同じに配分するかもしれません。

 

平等は民主主義と同じで、自然の在り様を見たことがなく、自然の在り様を知らない人が、西洋人から聞いて「素晴らしい」と見て夢見る妄想です。平等に働いて平等の所得を得ることを夢見た共産主義は、半世紀もしないで崩壊しました。たとえ同じように働いても、人はみなカンマが(働く意図の種類と強さが)違うので、同じ結果を受け取ることはあり得ず、受け取る結果に差が生じなければならないので、時間の経過によって歪が大きくなり、経済主義としての共産主義は、自然の法則で崩壊しました。

 

通常の患者が待っている内科医の待合室に、呼吸困難を起こした人が運びこまれれば、順番の平等性より、病状の緊急性が優先されます。通常診療の患者が待っている産科医の待合室に、切迫流産の人が駆け込めば、順番の平等性より、病状の緊急性が優先されます。そのようなことはどこにでも普通にあり、誰も文句を言う人はいません。順番の平等性より、緊急性、必要性の優先を認めるからでしょう。

 

冒頭のブッダの言葉にあるように、人を平等に扱うことは世間にあまりない良いことですが、良い結果が生じる場合だけを周到に考えて使わないと、愚かになり、滑稽になります。平等は自然にない概念なので、何にでも使う物ではないように見えます。

ブッダのホロスコープ

 

占星学で個人を占う時は、ホロスコープ、あるいは出生図と呼ばれる図を使います。十二房あるみかんを輪切りにした面のような図で、十二の室に十二の星座が入ります。そして占う人が生まれた日の生まれた時刻に天空にあった惑星を、ミカンの輪切りのような図に書き込んで、それぞれの惑星が位置する星座と室(ハウス)を見、他の惑星と作り出す角度を見て、様々な情報を読みます。

 

出生図を見れば、その人はどのような性質で、どのような生き方をする傾向があるか推測できます。しかし出生時の天体が表すものは、その時生まれた人の過去の情報を示すものであり、将来を予言する物ではありません。過去世ではこのような習性があったと分かれば、その習性が現世も残っている可能性が高いので、そのような習性があれば、結果である人生はどのようか、原因(習性)と結果(人生の傾向)を教えています。

 

普通は生まれた人の生年月日と時刻、出生地などを元に出生図を作成しますが、出生年月日が明らかでない人の場合、出生図を先に作って、それから出生日時を特定することも理論的には可能なはずです。

 

ブッダヴァチャナ・シリーズの本を読んでブッダの色んな面を知る度に、占い師の性で、「これは何星が何座にあるのではないか」「これは何星が何室にあるのではないか」「これは何星と何星が何十度離れているではないか」と推測してしまうことが度々あります。

 

ブッダは、太陰暦六月十五日生まれであることは分かっていますが、誕生年は何年と確定されてなく、幾つかの説があります。そこで、ブッダの出生図を推測で作成すれば、生年が特定できる可能性があります。

 

十二房あるミカンの輪切りのような図を紙に描き、時計なら9の数字がある場所を出生点とし、時計の8までの間を1室、時計の7までの間を2室、時計の6までの間を3室と、左回りに室番号をふり、十二の室を作ります。そしていろんな経で推測できる情報から、どこに何の星があるか推測してみます。

 

 

ブッダの誕生日は陰暦6月15日なので、太陽暦では5月か6月で、牡牛座か双子座になります。

 

・満月の日の生まれなので、月は太陽と反対側の蠍座か射手座にあります。

 

ブッダは獅子のような姿をしていたとあるので、1室(アセンダント)は獅子座と推測できます。アセンダント獅子座の人は、威厳のある立派な風貌をしています。

 

・徹底的な訓練と特殊な経験で才能を開花させ、不可思議な人格の変容を遂げているので、冥王星が1室(獅子座)にあると推測できます。1室が獅子座だと、双子座は時計の12の所にある10室で、太陽は十室、牡牛座なら9室にあると推測できます。

 

・幼い時から、三つの季節を快適に過ごせるよう作られた三つの城を移動していた(つまり引っ越しが多い)こと、生涯が旅だったこと、晩年故郷へ戻ろうとしたことなどから、4室に月が入ると推測できます。

 

・満月の日の生まれなので、太陽と月は180度前後離れているので、月が4室にあれば推測できるので、太陽は10室にあると思われます。

 

・大悟する前夜に「この体の血肉が干からびて骨と皮だけになっても、真実を悟るまでここから立ち上がらない」と言われた主旨の誓願を読むと、1室(獅子座)にある火星と冥王星は八度以内にあると推測できます。火星と冥王星が接近していると、目的を遂げるか倒れるまで働く人だからです。

 

・義母であるパチャバディー王女が出家する時のやり取りを読むと、女性の扱いが苦手のように見られますが、火星が獅子座にあると、そういう傾向があります。

 

・旅は楽しみでなく、仕事のためだったので、土星が9室にあると推測します。この人は深刻な研究課題に取り組む人です。

 

木星が9室にあれば聖職による学問の完成、哲学的な考えと慈悲心が人格的力を強化するとあり、10室にあれば、何をしても社会的に尊敬される人になり、教育や専門職、実業家、公職に向いているので、どちらもあり得ますが、9室の方が可能性は高いと思います。

 

・王家や将軍家などに生まれた人、嫁ぐ人はほとんどすべて4室に天王星があるので、ブッダもそうであろうと推測します。4室にある天王星と10室にある太陽が180度離れていれば、父と考え方が違い、父子関係の問題があり、結婚後は、社会的に成功しても、家庭の不満を招きます。

 

・水星と金星はいつでも太陽の近くにいるので、8室から12室の間にあるはずですが、あまり重要でないので、良く分かりません。天王星海王星は、推測するにも、強い根拠がないので、正直良く分かりません。

 

以上の理由で、

1室の獅子座は、冥王星と火星があり、

4室には月があり、(天王星もあるかも)

9室には土星木星、金星、水星があり、

10室、双子座に太陽があると思われます。

 

特に注目すべきは、1室、獅子座にある冥王星です。冥王星の周期は248年なので、千年に四周、ブッダの死後2500年の間に10周くらいしか廻っていません。だから、仏歴の紀元と言われているBC543年に近い頃の、冥王星が獅子座にあった年を探します。冥王星が一つの星座に滞在するのは約20年間で、その間に、火星が獅子座にあった年を探すと、火星は周期が687日で、二年弱に一回、50日ほどあり、冥王星が獅子座にある約20年の間に、十回くらいあります。これで500日くらいに絞られます。

 

冥王星が獅子座にある20数年の間に、土星は一巡しないので、土星牡羊座から牡牛座、双子座辺りにある時を探します。それは二年余りしかないので、その中で、上記の条件を満たす年がブッダの生まれた年と分かります。

そしてその中に太陽が牡牛座か双子座で、月と180度離れている日を探せば、正確なブッダの出生図を作ることができます。

 

星座の位置情報が分かるサイトもありますが、無料で使えるのはせいぜい百年間くらいで、紀元前のことなど知る由もありません。最後に冥王星が獅子座にあったのは1937年(10月)から1958年頃までで、単純に1937から248×10を引くと、十回前に冥王星が獅子座にあったのは紀元前543年から20年間くらいになります。

 

タイで使っている仏歴では、紀元がBC543年ですが、それはブッダが涅槃した年を紀元にしていると言われています。ブッダの死を紀元にしていれば、ブッダが生まれたのは、それより80年前、BC623年になり、冥王星は三分の一周ほどずれてしまいます。

このような単純な計算は、使い物にならないかもしれませんが、BC543年の5月か6月頃、あるいはそれに近い年で、火星が獅子座に入るかどうか。このややこしい計算をしてくださる人が現れれば、ブッダの生年を特定できるように思います。

第四禅定回想録

瞑想をしている人はたくさんおられるようですが、禅定体験について書かれている文章に出合ったことがありません。禅定、特に四禅は、経験した人が少ないからと思います。

 

四禅になったらどのような感覚なのか書いておくことは、これから体験する人のため、あるいは過去に、何かわからない奇妙な心の体験をした方が、自分の体験と比較して見るために参考になると考え、一度詳しく書いておきたいと思います。

 

タイで阿羅漢と噂されている数人の方のお寺のサイトで、阿羅漢になった時の話を読んだことがありますが、「阿羅漢になった」時の状態は四禅ではないかと感じるのばかりだったので、前もって四禅の状態を知っておけば、四禅を「阿羅漢になった」と誤解しないで済むからです。

そして「いつか、そのうち」と思っている間に何年も経ってしまい、書き残せる状態でなくなってしまうかも知れないので、

 

ブッダは四つの禅定について、簡単に説明されています。私もそうでしたが、ほとんどの人は、読んだだけでは、意味が良く分からないと思います。私自身も、繰り返しこの文章を読んでいながら、自分自身の奇妙な体験が四禅だったと気づくまでに、十年くらいの時間が掛かったからです。

 

初めに、四つの禅定のブッダの説明は次のようです。

 『この場合の比丘はすべての愛欲が静まり、すべての悪が静まって、当然ヴィタッカ(継続して考えること)とヴィチャーラ(その感情から離れないこと)、遠離から生じた喜悦と幸福がある初禅に到達します。

 ヴィタッカとヴィチャーラが静まることで、一番のダンマであるサマーディが現れ、ヴィタッカはなく、ヴィチャーラもなく、あるのはサマーディから生じた喜悦と幸福だけの、心の内面を明るくする二禅に到達し、常にその感覚の中にいます。

喜悦が薄れることで、彼は平然と注視できる人になり、サティがあり、全身に行き渡った感覚(常自覚)があり、そして名身で幸福を味わい、当然、聖人の方々が「この定に到達した人は平然としていられる人で、サティがあり、全身に感覚が行き渡っている」と称賛する三禅に到達し、常にその感覚の中にいます。

 幸福と苦とを捨てることで、そして過去の喜びと憂いが消滅することで、苦も幸福もなく、あるのは捨ゆえに純潔なサティだけの四禅に到達し、そして常にその感覚の中にいます』。

 

日記をつけていないので詳しい日時は分かりませんが、私が四禅に到達するプロセスに至ったのは、1999年の11月頃のことです。その一年半くらい前にチャヤサロー比丘の「心の友」を読んで(翻訳して)、四念処のような実践を、始めていました。「心は空のような物で、考えは鳥や雲などの飛行物体のような物」と見て、常に心の中を観察し、考えが生じたら、それは何か、喜びか、悲しみか、怒りか、それとも迷いか判断し、それを見分けたら、すぐにその考えを捨てる、というような実践でした。

 

そのように実践する努力を継続していると、すぐに習慣になりました。そして1999年の10月頃、その時、タンマタート著「初心者のための仏教」の二部と、初めてのプッタタート比丘の本「幸福について」を順に訳していましたが、翻訳している間中、一字一句が心に響いて、感動というより、もっと深く、もっと濃やかな喜びを感じました。言葉で表せない種類のものですが、無理やり言葉にすれば、心の深奥が戦慄するような喜びでした。後にブッダの言葉を学ぶようになって知ると、これが「一番のダンマであるサマーディが現れ、ヴィタッカはなく、ヴィチャーラもなく、あるのはサマーディから生じた喜悦と幸福だけの」と言われている「喜悦と幸福」と分かりました。

 

その頃、これも記録がないので何日と確定できませんが、夫が「従業員から仲人を頼まれた」と言いました。当時、非常に夫を嫌っていて、何度離婚話をしても応じない夫に愛想が尽きていて、可能な限り顔を会わさない暮らしをしていました。親戚の冠婚葬祭だけは、仕方なく行動を共にしましたが、他人の仲人まで引き受けられると、挙式の日一日、一緒に行動しなければならないのが苦痛で、「何度言ったら分かるのよ! もう二度と引き受けないでと言っているでしょ!」と怒りが爆発しました。

 

しかしその日、心の中でいつもの反応がなく、「夫も断れなかったのだろう」という思いが浮かびました。そしてそれほど嫌でなく感ました。夫を嫌っていない感覚は、自分でも驚きました。この時が『聖人の方々が「到達した人は平然としていられる人で、サティがあり、全身に感覚が行き渡っている」と称賛する』と言われている三禅だと思います。何があっても平然としていられます。

 

結婚式はその一週間か十日くらい後でした。その日は朝から晩まで行動を共にしましたが、それまで目にするのが死ぬほど嫌だった夫の色んな行動を見ても、何とも感じませんでした。自分の目は、ただ状況を捉えるドキュメント・カメラのようだと感じました。「私の夫」と感じなかったからです。

 

それから翌年の4月まで、四禅の状態は続きました。当時は手帳を日記代わりに、その日の出来事、記録すべきことをメモしていましたが、不思議なことに、その年の2月から空白になっていて、支出のメモも、10月上旬までで終わっています。そして翌2000年は、何十年も使用していた手帳も買っていません。これは「時が止まってしまっていた」と見ることもできます。支出の記録を止めたのは、自分のお金という感覚がなくなり、管理する意味も消えたからと見えます。

 

当時のことで覚えているのは、見慣れた家の周囲の景色が、非常に美しく見えました。空気中の埃を全部除去して、家の屋根や森の木々など、すべてを水で洗い、自分の網膜の埃も最大限に除去したように、家々も、森も、空も、何もかも清潔で、澄み切って美しく感じました。(世界が美しく見える)

 

そして、いつもと同じように時は流れ、朝が来て、日が暮れて、一日一日が過ぎていくのに、そのように感じず、時が止まっているように感じました。(時間が止まっているように感じる)

 

家の外へ出て近所の風景を見ると、風も吹き、車も走り、普通に生活音は聞こえているのに、知り合いが通れば声を掛け、挨拶を交わしているのに、自分を囲んでいる半径一メートルくらいの空間はガラスのドームを被せたように、音もなく、すべてが静止しているような静寂を感じました。(自分の周囲だけドームに囲まれているように、別世界に感じる)

 

思うことも、考えることもないのに、突然空から降って来たように、「何年か前に、タイでスリ被害にあった原因は、学生時代に母の財布からお金を引き抜いたから」と、因果関係が意識上に浮かび上がりました。あまり良い記憶でないので思い出したことがなく、そのような出来事を憶えていたことに驚きました。

 

そして「すべてのことには原因がある」「カンマとカンマの結果はある」という道理が、机上の論理でなく、世界を支配している法則であることを実感し、今まで感じたことのない畏れを感じましたが、一瞬だけでした。「ブッダが言っていることは、真実だった」「ブッダは本当に悟った人だ」と実感し、その時初めて、畏怖する気持ちが生じました。(ブッダに帰依する気持ちが兆す)それを皮切りに、その後折に触れ、現れている現象の原因であるカンマが見えるようになりました。

 

それまでは、夫と別れることを望み、いつか必ず、できるだけ早くと、それだけを冀っていましたが、別れても別れなくても何も違いはないと感じました。夫も生活も、何も少しも変っていないのに、何も不満がなくなり、何も望みがなくなり「今のままで十分、何も足りない物も過剰な物もない。すべてがちょうど良い」と感じました。それまでは夫と離婚できないことで、友達より不幸と感じていましたが、その時「私は最高に幸福。世界の誰よりも幸福。私より幸福な人は誰もいない」と感じました。(最高の幸福を感じる)

 

老いも病気も、死も怖いと感じませんでした。まだ仏教書を三冊しか読んでなく、涅槃の知識はありませんでしたが、「これは聞いたことがある涅槃の状態に良く似ているが、涅槃であるはずはない。しかし天上に住んでいるような不思議な感覚だ」と思ったのを憶えています。

 

ここまで書いて来て、食べ物を美味しいと感じたことを思い出しました。あれが美味しい、これが美味しいというのでなく、食べる物すべてに格段に深い味わいがあると感じました。何かを食べている時でなく、別の時に「食べ物はどれも、今まで味わえなかったほど深い味わいがあって美味しい」という感嘆が心に現れました。それは「目に入る光景のすべてが美しい」と感じたのと、一連の感慨だったかもしれません。あるいは、気づかないうちに、禅定が薄れ始めた頃かもしれません。(食べ物の味わいが最高に深くなる)

 

プッタタート師は、時間が経過して禅定の威力が自然に薄れるか、何か禅定を破る出来事が生じるまで、四禅は続くと解説しています。私の場合後者で、ある出来事が起こるまで、四か月ほど続きました。四禅が消えた後は非常に心が乱れて、混乱した月日があったのも事実です。しばらく飲んでいた薬を急に止めると、飲む前より悪い症状が現れる退薬症候のように、サマーディが消えると、経験したことがないほど、心が混乱しました。

 

智慧解脱には四禅で十分で、四禅になったら心を「無常・苦・無我」に傾ければ、心が世界から解脱すると、プッタタート師は説明しています。残念ながらその時、何の知識もなかったので、ただその味を味わうだけでした。それでもこの時を境に、その後、自分自身のいろんな出来事の原因であるカンマ、他人の出来事の原因であるカンマが見えるようになり、自分自身の過去世や、他人の過去世について洞察するようになりました。(宿命智、天眼智の兆し)

 

整理すると、思い出せるのは下旬頃の二禅からなので、10月中旬頃に初禅になっていたと推測します。初禅は、愛欲が治まり、ヴィタッカ・ヴィチャラがあり、ピーティとスッカがあります。ヴィタッカ・ヴィチャーラとは、「タンマに到達するために」で、「猿を繋いでおくことに例えれば、ヴィタッカは杭に繋がっていること、ヴィチャーラは、杭の周りを飛んだり跳ねたりして、いずれにしても杭と繋がっていることです」と説明しています。

 

良くわからない真似事でも、起きている間はいつでも四念処をしていたので、五蓋は心から払われていたと思います。翻訳をする時は、その原書の内容を一瞬考え(ヴィタッカ)、仕事をしている間中、その考えが心に出没して(ヴィチャーラ)、「いい話だ」と、しみじみ喜び(ピーティとスッカ)を感じていました。それが初禅だったと思います。仕事(翻訳)をすることには、サマーディを深める効果があったと感じます。その後11月初旬に三禅、11月中旬か下旬頃に四禅に入ったと思われます。

 

座って一気呵成に入定する瞑想でなく、普段から四念処で自然に経過する場合、二か月くらい掛かって四禅に至ったと観察します。このように長い時間を掛けて、段階的にサマーディが深くなり、四禅に到達しているということです。その定は四か月ほど続き、定から出た後の混乱も四か月くらいありました。一つの頂点に上る時も下るときも、同じくらいの時間が必要なのかもしれません。

 

瞑想中や、生活の中の短い時間だけ珍しい精神状態、不思議な心の状態を経験したと書いているブログなどを見ることがあります。しかし瞑想中に現れる感覚は、禅定ではないと思います。初禅から四禅までの禅定にいる時、非常に心は鮮明で、仕事が良くでき、プッタタート師も、禅定には「カムマニヨー(一境性)」という状態があり、それは、仕事に敏捷という意味です、と言われているので、四つの禅定は、仕事ができる状態である必要があるからです。

 

 

チッタとヴィンニャーナ

前回心の構造について触れたついでに、もう少し心について書いてみたいと思います。ブッダは、動物(人)は名(ナーマ。抽象)と形(ルーパ)、心と体で成立していると見ます。心の部分を受・想・行・識の四つに分け、それに体である形(ルーパ)を足すと五蘊になると規定しています。

一般に「体と心」と言う場合の心は、実は二層になっています。一番分かりやすい西洋の言葉で言うと、mind とspirits の二種類で、マインドは体にと直結している心の部分で、感覚、記憶、注意集中、意思決定、情動、気分、自覚などです。マインドと体は同時に変化し、同時に上下します。スピリッツは体と関わらない独立した心で、マインドより高い道徳や宗教、思想などの部分です。

日本語では、spirits を精神と言い、mind を神(シン)と言います。パーリ語ではmindはチッタ、spirits はヴィンニャーナです。

mindの部分を指す日本語はあいまいで、調べて見ると、「①mind=精、②spirits=神」と言ったり、「①心理、②神気」と言ったりしていますが、それらの言葉の意味するものの境界が同じでなく、二つの物を明らかに区別できる言葉でないようです。

貝原益軒は養生訓で『調息の法、呼吸をととのへ、静かにすれば、 息ようやく微かなり。かくの如くすれば神気定まる』と言っています。アーナーパーナサティの第一部、身随観では、呼吸を整えて心(チッタ)を静めるように、「息と並行して定まる、あるいは静まる」のはspirits ではなく mindです。

日本語には使い慣れた良い言葉がなく、使われている言葉も定義が確定していないので、私は「神(シン)」と「精神」という言葉が、分かりやすくて一番良いと思います。広辞苑の「神」の意味には、「身体に宿っている心」とあり、体との関係がはっきりしています。神経は神が走る道、失神は一時的に心を失うことと、他の言葉との関連を見ても納得できます。精という字は混じり気がない、白くする、気力があるなどという意味なので、精神は混じり気のない神、力のある神です。

 

五蘊の形は身体で、受・想・行・識は心ですが、受は感じる部分、想は記憶し思い出す部分、行は考える部分の心で、この三つがチッタ、マインド、あるいは神と見えます。最後の識はパーリ語でヴィンニャーナと言い、ヴィンニャーナは、仏教用語では「識」と訳しますが、一般には「精神、魂」と訳すので、これがスピリッツ、精神の部分である心です。このように五蘊を見ると、心は二層になっていることが分かります。

感覚、記憶、知識、注意集中、意思決定、情動、気分、自覚などの範囲である、受・想・行であるマインド、あるいは神は高等動物にもありますが、道徳や宗教、思想などの範囲である、スピリッツ、あるいは精神と呼べる部分は人にしかありません。

カンマターナ(業処。あるいは瞑想)はマインド、神の部分の訓練です。色んな物を見て、聞いて、嗅ぎ、味わい、触れる度に、この部分の心(神)は休みなく変動し上下するので、安定しませんが、外部のどんな情報を受け取っても動じなくさせる訓練が、各種の瞑想です。しかしどんなに訓練しても、どんなに習熟しても、想受滅に至らない限り、努力で生じさせたサマーディが失われれば、心はもとどおり、不安定に戻ります。

 

だからブッダの方法は、四念処も、アーナーパーナサティも、心の訓練から初めて(身随観=体)、少しずつ智慧の部分に移動し(受随観、心随観=神の部分である心)、最後には智慧だけ(法随観=智慧、精神)にし、いつまでも体の影響を受けるマインド、神の段階の訓練に留まっていません。

 

精神の部分を育てるには、精神的体験と呼ばれる熟慮、あるいはヴィパッサナーをして、ただの体験を、何があっても消えない、変わらない智慧にすることだと思います。「もう懲りた」「こう悟った」と言える状態にして心に銘じれば、それが精神の部分の知識にすることです。精神の部分の知識を智慧と言い、これがその人の、宗教面から見た価値だと思います。

 

瞑想家の多くの人が、瞑想だけで解脱するとか、瞑想で悟れると発言しているのを聞きます。しかし神(チッタ、あるいはマインド)の力だけでは、心を支配している間だけの仮の解脱、一時的な涅槃はできても、本当の涅槃、完璧な解脱はできません。

薬物などを止めるには、初めは意思や気力や集中力などで自らを禁止しても、それだけでは本当に止めることはできず、何かの機会に再発する可能性があります。しかし「如意足のメカニズム」に書いたように、智慧や知識の部分(宗教や道徳である精神の部分)の力は神を支配できるので、薬物の魅力と、身体的、社会的、道徳的、宗教的な観点の害について、とことん学んで本当の恐ろしさを知れば、智慧の力でマインド、神を支配することができ、「二度と戻らない」というところに至ると思います。わずかでも、完全に止められる人もいるようですから。

同じように、心から無明を追放するには、神(チッタ、マインド)の話であるサマーディだけでなく、精神の話であるブッダの教えを学んで、自然の真実を漏らさず知り、如意足には如意足の四つが必要なように、涅槃に至るには何が必要か、涅槃に至らせる物を生じさせるにはどうするか、その過程を熟知して、初めから順に実践していけば、いつか阿羅漢に到達するはずです。

 

だから仏教は智慧の宗教と呼ばれます。神と呼ぶ心(チッタ、あるいはマインド)の力で解脱できると信じるのは、仏教の見解でなく、ヨギーなどの見解のように見えます。

如意足のメカニズム

何年も前、何週間も微熱が続き、動悸や息苦しさ、不眠、血圧の高下などの症状もあり、寝ていても辛い日々が続いたことがあった時、取り敢えずどこが悪いのか調べてもらおうと病院へ行きました。症状から疑えるだけの項目を詳細に検査しましたが、「どこと言って悪いところがない。むしろ年齢にしては良い数字だ」と言われて帰ってきました。すると一日付き添っていた家族が、「本当は病気じゃないんじゃないの? 病院にいる時は苦しそうに見えなかったし、元気そうだった」と言いました。

 

家で歩く時は、家具に掴りながら小さな歩幅でゆっくり歩き、イスに掛けるの食事のは食事の時だけで、食べ終われば一秒も早くベッドに戻り、食事の途中で横になることもありました。病院へ行く時のタクシーの中でも、できれば横になりたいほどでしたが、病院へ到着すると、そこは人目のある場所なので、できだけ大股でゆっくり歩きました。家にいる時のように体を屈めた見っともない姿で歩くのは、体は多少楽でも、精神的な意味で受け入れがたく、非常に苦だからです。

 

テレビ番組である医師が「お年寄りは、診察している時は元気そうでに見えても、本当は重症なことがある」と、つまり「診察室では大変そうな様子が見えないが、それを信じると重症を見落とす虞がある」という趣旨の発言をしているのを聞いたことがあります。病院へ診察に行った日の家族の発言と、クリニックで診察している医師の発言が意味する物は何なのだろうと心に掛かりました。

 

最近の芸能人は、仕事中に絶命するのを理想とする人が何人もいて、亡くなる数日前まで撮影に参加し、あるいは舞台を勤める人がいます。中には病気を隠していて、報道で聞いた限りでは、周囲の人も、その人が亡くなるまで病気であることに気づいてない場合もあります。

 

美空ひばりは最後の数年間は病苦との戦いで、最後のTV番組の収録の時、プロデューサーに「この番組が最後になるかもしれないからね。私ねえ、見た目よりもうんと疲れているのよ。一曲終わる度にガクッとくるの」と話したそうです。立っているだけで精一杯の体で、歌い終わる度に舞台の袖で体を横たえ、目を瞑って休息しながら、不死鳥コンサートを成し遂げた時の舞台裏の様子を、ドキュメント番組で見たことがあります。あれほどの重態でも、精神力だけで、非常に体力を消耗するコンサートを敢行できるものかと、不思議に思った記憶があります。

 

ブッダヴァチャナによるブッダの伝記を読むと、その時私が「精神力」と見た物は、実は「如意足」ではないかと気づきました。

如意足の如意とは「思いのまま」という意味で、足と言うのは、動物やテーブルのように四つあるので脚と呼びます。つまり四項目の魔法という意味です。

 

1.欲(チャンダ) それにを愛して満足すること
2.進(ヴィリヤ) その努力すること
3.心(チッタ)  本気で関心を持つこと
4.思惟(ヴィマンサー) それの道理をひたすら広く調査し熟考すること、の四項目です。

プッタタート比丘は、次のように説明しています。

『チャンダは、自分が「人間が得るべき最高に善い物」と信じる物として満足することで、この項目は、後のすべての項目が功徳を生じさせる、最初の気力になります。

ヴィリヤは努力で、成功するまで長く途切れることのない連続した行為を意味します。この言葉は、一部に勇敢という意味が含まれています。

チッタは自分の気持ちからそれを放り出さないで、いつでも心の中で、その目的をはっきりさせておくという意味です。この言葉には、サマーディという言葉の意味が十分に含まれています。

ヴィマンサーはその成功の原因と結果を、いつでもどんどん深く調べて熟慮することを意味します。この言葉は智慧という言葉の意味を十分に含んでいます。

この四つがある人は、人間にとって不可能でないことに成功します』。

 

死に近い芸能人を例にすると、舞台などを勤めることを「最高に良いことと信じて満足し(欲)」、そうする努力し(進)、途切れることなく決意を維持し(心)、医師やスタッフなどと相談して、最善の策を練っておく(思惟)ことで、人間にとって不可能でないことを成功させる如意足=魔法になります。

 

老人の中には、病院では普段より元気に振る舞う人がいるのは、人前で見苦しい姿を曝さないことは「最高に良いことと信じて満足し」、「そうする努力をし」、「途切れることなくそのことにサマーディがあり」ます。そうすることの結果は、自分自身の沽券を維持するために不可欠と、熟慮とは言わないかもしれませんが、確信しているので、如意足の四つが揃います。

病院でシャキッとしていても、普段より苦しいということはありませんが、家に戻ると、病院にいた時のようにシャキッとできません。それは「満足」も「努力」も「本気」「原因と結果の熟慮」もないから、つまり如意足(魔法)を維持する意味を感じないからだと思います。

 

ブッダは、自身の死をアーナンダに予告した後、「四如意足で一劫(世界が一回終わるまでの時間)も生きられる」と言われています。二度、そのように言われ、アーナンダは二度とも「死を遅らせてください」と言わなかったので、涅槃の直前になって「まだ涅槃なさらないでください」と懇願すると、ブッダは「もうできないと」と拒絶なさり、予定通り涅槃されました。

 

また同じ頃、ブッダは「サンカーラの変化による苦受を受け取り、如意足で凌いでいる」とアーナンダに話されています。 

意志の強い芸能人は一日、あるいはリハーサルなどを含めて数日維持することができ、一部の老人は、診察に行く数時間だけ維持できるので、ブッダのように本当の満足と、努力、完璧なサマーディと思惟、つまり本物の四如意足があれば、本当に一劫でも生きられるのかもしれません。

 

もう一つ、別の角度で熟慮すると、プッタタート比丘は、ある話の中で「人には心と体があるが、心の部分は神(シン)と呼ぶ部分と、精神 と呼ぶ部分があり、一つではない。神は体と繋がっている心で、精神は、体がどんなに苦でも、少しも影響を受けずに維持できる」と話しています。

普通に心と呼ぶのは、実は神で、体が苦なら神も影響を受け、反対に恐怖や不安などで神が病めば、次第に体も不調を来たし、表裏のように深い関係です。しかし精神は、思想犯などはどんなに拷問を受けても転向しないように、体がどんなに苦でも、幸福でも揺らぐことはありません。

 

この見方は日本にも昔からありました。神経というのは、体に影響される心の部分である神が走る経路で、安神薬は、体でなく、神の部分を落ち着かせる薬と分かります。mental と spiritual という言葉があるので、西洋にも「心には二つの部分がある」という見方があったと思います。

 

精神と呼ぶ部分は体の影響を受けない、純粋に心だけの部分です。宗教や、宗教的な環境は、精神の部分を育てると考えます。そして強い精神は、体に支配される部分である神を管理できると思います。だから如意足のメカニズムは、精神による神と体の支配と見ることができます。

 

如意足という言葉を聞いたことがない庶民でも、体や神(メンタルな)の話ではない
「満足」と「努力」「サマーディ」「周到さ」は、精神の話で、強い精神の人は、死の直前など、ここぞという時に如意足を使うことができるようです。ブッダは、一部の人が使っている、あるいは自分自身も使う不思議な力をご覧になって、その心を分析して要素を探し出し、四如意足を規定されたのだと思います。

 

またブッダは「人が四如意足に励んでたくさんし、乗り物のようにし、敷台のように安定させて、すべてを良く訓練すれば、堅忍不抜になり始め、その人が望めば、一劫でも、一郷以上でも存在することができます」

「比丘のみなさん。このように四如意足に励んでたくさんしたので、私はこのような神通のある人になり、いろんな軌跡を見せることができ、一人の人を大勢にすることができ、大勢を一人にし、隠れた場所を明らかな場所にし、明らかな場所を隠れた場所にし、空気の中を歩くように支障なく壁や塀を通り抜け、水に潜るように大地に潜って浮かび上がることもでき、地面を歩くように水面を歩くことができ、翼のある鳥のように結跏趺坐したまま空を行くことができ、掌で太陽を撫でることができ、梵天界まで体の威力を見せることができます」と言われています。3-3. (hahaue.com)

 

だからいつでもそのように如意足努力することで、どんどん心が堅忍不抜になり、最後には神足通まで習得できるかもしれません。

 

ブッダの言葉によるブッダの伝記には、「これが主な仕事としてチャンダに依存したサマーディがあり、作る物が揃っている四如意足」「これが主な仕事としてヴィリヤに依存したサマーディがあり、作る物が揃っている四如意足」「これが主な仕事としてチッタに依存したサマーディがあり、作る物が揃っている四如意足」「これが主な仕事としてヴィマンサーに依存したサマーディがあり、作る物が揃っている四如意足」というブッダの言葉があるので、同じ如意足のサマーディにも、「満足、努力、心、智慧」と、依存するものの違いによって四種類あることが分かります。

 

 

これが、主な仕事としてチッタに依存したサマーディがあり、作る物が全部揃っている四如意足

 これが、主な仕事としてヴィマンサー(智慧)に依存したサマーディがあり、作るものが全部揃っている四如意足