低く暮らせば心は高くなる

「アリヤシーラダンマ」という話の中の「青少年緒ためのアリヤシーラダンマ」に「低く暮らせば心は高くなる」という言葉があります。引用すると、

 

『本当の智慧があれば低い暮らし、あるいは低い生活で、第四項の「高い行動」と対です。第三項の低い生活は苦になりにくく、幸福になり易く、高価な物を食べる必要も、豪華な形式で食べる必要もないのと似ていますが、いろんな健康衛生の知識で正しいです。高い生活なら健康衛生に良いと理解しないください。本当は自然の簡素な生活の方が正しく、衛生にも適い、自然にも適い、利益があります。

 だから子どもに低い暮らしを教え、提案し、誘い、あるいは低い生活の手本を見せます。そうでなければ、毎日少しずつ我が子の首を絞める親です。低い生活の低いのは暮らしだけで、体・言葉・心の行動は、何のために人間に生まれたのかと、高く目指します。だから身勝手でなく、最高に高い物のことだけを考え、そして犠牲にできます。これを「高い行動を目指し、今回生まれたからには、人間としてできる限り最高に善くしなければならない」と言います』。

 

これは、何生も前から仏教徒で、心の管理をしたことがある人以外は、あまり理解できないかも知れません。誰でも高い(良い)生活は憧れであり、無限に高さを追い求めないで適度な高さで満足するなら、高い生活を愛すことのどこがいけないのか理解できません。

 

江戸時代に平和が続いて経済が良くなると、「高い生活」の害が見えない庶民が、美食や贅沢な衣服を競い合うようになり、目に余ると見ると、幕府は「贅沢禁止令」を出しました。これは、将軍や幕府の人が「高く暮らせば心が低くなる」と知っていたので、国民の心が低くなるのを防止するための策だったと思います。庶民が贅沢にお金を使えば、街や国の経済がどんどん良くなると見て、高い暮らし、楽しみの多い暮らしを、あの手この手で国民に勧める今の政府と大違いです。

 

犯罪行為のすべては愛欲や五欲に根源があると言うことができます。五欲とは目・耳・鼻・舌・体で味を欲すことで、窃盗も詐欺も汚職も、高い生活をしたい欲に関りがあります。そして恋人や妻を満足させたい気持ちも、高い生活を欲しがらせます。反対に、高い生活をしていれば、一緒に味わう女性が欲しくなり、心は愛欲に傾きます。

 

日本で「高く暮らせば心は低くなる」という言葉は聞いたことはありませんが、江戸時代には暗黙の常識だったのか、武士は質素な生活を好み、代々家訓として守りました。江戸の生活研究家によると、特に食べ物は質素(一汁一菜、つまり味噌汁とたくわん、あるいは二菜、プラス煮物など)だったようで、そ食べ物は衣住に比べて、最も心を低くするからだと思います。

 

衣服は地味でも高品質の物を使い、住まいも豪華ではありませんが、武士としての体面を保てるだけの、身分にふさわしい立派な家屋敷に住み、家具什器も家柄にふさわしい品質の物を使いました。そうした物は食べ物ほど心を低くしないのと、すべてに粗末では本当の貧乏人の生活なってしまい、武士としての高い矜持を維持できないからでしょう。

 

つまりお金の掛ける所と掛けない所を区別していました。現代は一番お金を掛けるのが食べ物で、次が衣服、あるいは衣服が一番で食べ物は二番目の人もいますが、家や家具什器などは、ほとんどの人が三番以下だと思います。三番目にはアパーヤムッカ(破滅の門)であるいろんな娯楽や旅行にお金を使う人も多いです。

 

心を高く維持するためには、一銭も掛ける必要はありません。本を買って読むとか、何かの知識を詰め込む必要もありません。普通の食べ物、ありふれた物を丁度良いだけ食べていれば、心が食べ物の美味しさに溺れることはなく、心が美味しさに溺れなければ、心は低くなりません。偶に、何かの機会に豪華な食べ物を食べても、それは特別な機会と知って、日常的に、度々食べたいと考えなければ大丈夫です。しかし度々食べたいと思ってしまえば、心はたちまち低くなります。

 

現代のように簡単に、安価で美味しい物が手に入り、いつでも繰り返し食べられる環境では、食べ物の美味しさも心を惑わし、陶酔させる中毒物質と同じ働きをすると見えます。特に「一度美味しさを憶えてしまうと、不味い物は食べられない」と考える人にとっては。

 

今日本では、相対的貧困は六人に一人(子供の貧困は七人に一人)と言われています。相対的貧困とは、全体と比べると貧困という意味で、食べ物にも事欠く絶対的貧困とは違います。

 

他者と比較しなければ、「低い生活をすれば心は高くなる」と知り、高い心を維持することを誇りに思って、貧しさを愛すくらいになれば、貧しさは苦でなくなります。日本には「清貧」という言葉もあります。この言葉は、貧しさを愛して高潔に生きる人や、貧しいことを見下さない素晴らしい言葉です。そのような言葉がある文化も、「低く暮らせば心は高くなる」ことを表していると感じます。

 

タイでは菩薩日(陰暦一日、八日、十五日、二十二日)をワンプラと呼んで、慎み深い在家は八戒を遵守します。八戒とは五戒の他に、正午過ぎは食事をしない、脚の高く広いベッドに寝ない、着飾らない(化粧をせず、装飾品を使わない)、の三つを足します。これは、低い生活を忘れないためにします。

 

月に数日でも低い生活を経験することは、多少でも心が高くなるのを感じることができ、心が際限なく低くなるのを防ぐことができます。世界中の人が良すぎる暮らしをする時、あるいは目指す時、週に一回、低く暮らすこと、つまり簡素な生活を見直して見てはいかがでしょうか。

 

子供の貧困の因と果

 

 

ドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩があります。

 

「けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込み思子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう」

 

これは親の接し方という縁と、結果を述べています。


「励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中は良いところだと思えるようになる」


と後半にあるように、親が子に接す時の手本にすれば良いですが、既に人を貶すのが好きで、乱暴で、卑屈で、他人を羨んでばかりいる人がこの詩を読めば、「それ見ろ! 自分がこのようになったのは家庭のせい、親のせいで、自分は被害者だ」と思ってしまい、邪見が強くなります。だから因果について述べていますが、一部であり、深くもありません。

 

事実、後半で述べているように善く接しても、子が悪い結果になることもあり、悪い接し方をした家庭でも、全部が同じ結果にはなるとは限りません。

 

つい最近、兵庫県で四人兄弟が五十七歳の母親を監禁し、子、あるいは甥である六歳の子を殺した事件では、四人兄弟が交代で母親と甥に虐待を繰り返していたことが分かりました。また四人の容疑者兄弟は、子供の時に母親から虐待を受けていたとも言います。これだけを見れば、虐待を受けて育った子供は、大人になって虐待をしています。しかし子供の時に虐待を受けた原因はもっと前にあるはずで、過去世で子供や親に虐待を働いた結果ではないかと推測できます。

                                                                

つまり一人の人の大人の時の行動(業)と、次の生の子供の時の環境(業の報い)は繋がっています。過去生や来生の話をせず、現生の話だけにすれば、現生で作った業の後に、現生での子供の時と環境を逆さに繋げて、子供の時の環境を結果に見たてると、業と業の報いになります。

 

例として貧困の話をすると、私が子供の頃は、全体的に物資がなく、ほとんどの人が貧困で、極貧と言うほどの人はあまりいなかったように思います。夫は、三度の食事も儘にならないような極貧の家で育ち、成人してからは人並みに暮らし、(別居した)晩年には浪費と借金によるどん底で亡くなりました。夫が作った浪費と借金(業)と、夫の子供の頃の環境は、時間的には逆ですが種類は同じで、人生の終わりと始まりを円のように繋ぐと、終わりが原因で、初めが結果としてぴったりします。

 

フィリピンのマルコス元大統領のイメルダ夫人や、インドネシアスカルノ元大統領のデヴィ夫人も、育った家は貧困だったそうです。イメルダ夫人は母の形見の売り食いをし、デヴィ夫人は線路に生えている草を取って来て食べたと話していました。俳優や歌手や有名人にも、子供の頃貧しかった人は数えきれないほどいます。それは権力が集中しすぎる国の大統領夫人は思いのままに浪費ができ、俳優や歌手や野球選手などで有名になった人も、贅沢、浪費をする人がいるからです。

 

普通の庶民でも、裕福になると美食や衣装に浪費をする人がいますが、話して見ると、子供の頃、家が貧しかった人が多いです。(良い家柄の出の人は、ほとんど浪費しません)。本性は浪費家で、貧しい幼少時代は我慢を余儀なくされますが、大人になって豊かになると、本性が現われてしまうからです。中には子供の頃貧しかったから、お金を持っても必要なだけの暮らしで良いと考え、普通の暮らしに満足する人もいるので、子供の頃貧しかった人全員が、大人になって浪費するとは限りません。

 

平成になって、子供の貧困という言葉を聞くようになりました。団塊世代の子供、つまり団塊ジュニアと呼ばれる人たちが子供だった頃は、ほとんど貧困はありませんでしたが、今目増えて来たのは、バブルの期までに贅沢や浪費をして亡くなった人が、再び人に生まれて始めているからではないかと考えます。それなら今の年金貴族も浪費をしているので、今後も子供の貧困問題は増え続けるように思います。

 

思えば日本の戦後の一時期は、国民のすべてが必死に真面目に働き(善業を作った)、悪業を作る暇もなかったので、ほとんどすべての人が、その業の結果としてそれなりに豊かな生活ができました。国民の八割の人が「今の生活に満足で幸福」と答えていたような時代が、本当に稀だったのかも知れません。

 

人生は一度限りでなく、原因には結果があり、その結果が原因になって新たな結果が生じ、際限なくそのようになっていると知れば、「死ぬまでに全部使って死にたい」というような浪費家は、もっと少なくなり、今後の世界の貧困も減ることが期待できるのに。

 

(この場合の浪費とは、自分と自分たちの楽しみのために使う死に金を意味します)。

ほとんど煩悩のない感覚

お題「人生で一番古い記憶」

妹が生まれたのは、私が二歳八か月の時でした。記憶では、庭で遊んでいた私に、産婆さんが棒に刺さった縞模様の飴玉をくれました。あるいは、飴を貰って、外で遊ぶよう追い払われたのかもしれません。貰って嬉しいとか、そのような感覚は記憶していません。

 

そして初めて妹を見た時、臍が腹の少し横の方にありました。変だとか、何故だとか感じた記憶もありません。ただ(自分の臍とは違い)「横にある」と感じました。そして次に妹を見た時、臍は当たり前の場所に戻っていたので、母に「臍が動いた」と言うと、「臍は動かないよ」と言われ、一瞬腑に落ちない気持ちになったのを憶えています。それ以上考えませんでしたが、この会話があったから、この日の出来事が長く記憶されていると思います。

 

これは多分、最初に見たのは臍の緒の切り口が黒っぽくなった部分で、それを私が臍と勘違いし、二度目に見た時は臍の緒が取れた後だったと推測します。

 

今思い出して感じるのは、幼児の感覚は大人と違うということです。大人なら初めて赤子を見た時、先ず顔を見ますが、顔は見ていません。少なくとも見た記憶がありません。二歳の私には、顔は重要ではなかったのです。あるいは「何が重要、何が重要でない」という区別がなかったようで、目の前に赤子の腹部が見えたので見て、臍の緒の先を臍と理解し、それについて「変だ」とか「なぜだ」とか考えず、顔などの他の部分を見ようという考えもありません。

 

見えた物を見ただけ、見る行為だけで、ほとんど思考や感情がなかったと思います。産婆さんがセロハン紙を剥いでくれた飴玉を嘗めたのは憶えていますが、美味しいとか、嬉しいと感じた記憶もありません。いろんなことを考えれば、その考えも一緒に記憶しているはずです。もっと成長してからの記憶には、悔しかったとか、悲しかった、恥ずかしかったなど、行動と、その時の感情が一緒に記憶されています。

 

まだ煩悩がほとんど生じていない、考えることが習性になっていない時の記憶は、まだ動物のように、受(満足、不満足の感覚)や執着がない二歳の自分の心の様子が観えて、懐かしくて新鮮な気持ちにさせます。

 

自転車に乗るカギは腕力

数年前までは、週に二三回、近くのスーパーまで自転車で買い物に行っていました。しかしコロナ禍になると、感染予防のために買い物の頻度を少なくしました。すると次第に自転車の運転が危うくなり、「いつまで自転車に乗れるだろう」という不安が過るようになりました。特に重い荷物をたくさん積んで乗り出す時は、ハンドルが震えて、「危なかった!」と思うことがしばしばありました。

 

また、それまで平坦だと思っていた道で、一漕ぎごとに脚が疲れるので、わずかに傾斜があることに気づきました。つまり、今まで感じなかった傾斜が苦になるほど脚力が衰えたと言うことです。友人からの年賀状に、去年から自転車に乗るのを止めたとあったのを思い出しました。

 

これからは体力的に良くなることは何もなく、衰退の一途で、最後には乗れなくなります。自転車に乗れなくなったら、外出には乳母車ならぬ姥車を押して歩くしかありません。今できるのは少しでも遅らせる努力だけです。日頃重い物を持たないので、家の中で重い荷物を持ち挙げる訓練をしてみようか、脚力をつけるために散歩をしてみようかと考えましたが、そのために仕事の時間を減らしては、何のために生るのか分かりません。

 

いろいろ思案していると、「筋力は衝撃で強くなる」と、昔テレビで聞いたのを思い出しました。つまり歩くより飛び降りる方が効果的と、ある医師が話していました。飛び降りた衝撃で筋肉に細かい傷ができ、それを補修することで筋肉が太くなると言うような説明でした。しかしこの年齢になって飛び降りるのは危険なような気がします。

 

そういえば力士は近代的な筋力運動は一切せず、ひたすら四股と鉄砲で筋力をつけます。四股は、振り上げた脚を思いっきり体重をかけて地面に叩きつけ、鉄砲は柱を平手で思いっきり突きます。どちらも軽い運動の繰り返しでなく、筋肉と骨に強い衝撃を与えます。これは何百年も掛けて証明された真実かも知れません。そして無駄に時間も掛かりません。

 

そう気づいて、家の中で電子レンジを使っている時間を待つ時、移動する時など、思い付いた時に(鉄筋コンクリート建ての一階なので)床を叩きつけるように歩いてみました。これは膝から下に効くようで、四股にすると、衝撃は股関節にまで及び、太腿まで効果があると感じます。しかし四股はやる気がないとできません。

 

鉄砲は、家に柱がなく、壁を叩くと上階に響くといけないので、柏手のように胸の前で両手を突き合わせたり、家具の側面を突いたりしました。すると二三日で、自転車に乗って「怖い」「危なかった」と感じることがなくなり、わずかな傾斜を「坂道」と感じなくなりました。

 

数日前テレビで、公園で自転車に乗る練習をしている親子の情景を見ました。初めは親が自転車の後ろを持って、子がふらふらと漕ぎ出し、だんだん慣れると親が手を放して、一人で乗る練習になります。利き脚で踏み込むと車輪が回転するので、その時腕でハンドルを捌かなければなりませんが、ハンドルを捌ききれないので、倒れてしまいます。それを繰り返すうちに、だんだん、一漕ぎ目の車輪が止まらないうちにハンドルを安定させ、反対の脚で二漕ぎ目を漕ぐことができるようになります。

 

その子は、練習を始めて二日目に乗れるようになりました。二人の我が子が自転車の練習をした時も、やはり二日目に乗れるようになったと記憶しています。つまりハンドルを取れるだけ腕力が付くのに、二日くらい訓練が必要と言うことでしょうか。

 

私が子供だった頃は、まだ子供用自転車がなかったので、大きくなってから自転車の練習をしました。大きな子供は練習を始めるとその日の内に、一二時間で乗れるようになりました。大きな子はそれだけ知恵があるからなのかと、何となく考えていましたが、大きな子は誰でも薪割や水汲みなど、家の手伝いをしていたので、必要なだけの腕力がついていたからと、今は理解できます。腕の筋力が衰えれば、何十年も乗った経験があっても、最後には乗れなくなるからです。

 

だから自転車に乗る練習時間を、幼児の平均を仮に二日で八時間と仮定し、十代の子の練習時間をニ時間と仮定すると、その差の六時間が腕の筋力をつける訓練で、共通の二時間がバランスなど、コツをつかむ訓練のように見えます。

 

できるだけ長く自転車に乗っていられるよう、四股(もどき)と鉄砲は時間も空間もあまり必要としないので、腕力や脚力を維持するために、日常に取り入れて行きたいと思っています。友人の中には股関節の骨折をした人が何人もいますが、骨も筋肉も強くするので、そのような事故の予防にもなりそうです。

妹を見舞う

妹から久々に電話があり、悪性リンパ腫を患っていて、医師から余命半年もないと言われ、入院中してしまうと会えないので、会えるうちに来てほしいと言うので、郷里の町まで会いに行ってきました。発病から二年近くが経ち、幾夜も眠れない夜を過ごし、泣けるだけ泣いていろんな心の問題を乗り越えた末なのか、まったく暗さはなく、実にあっけらかんとしていました。

 

妹の嫁ぎ先はカトリックなので、死を目前にしてどのようなことを考えているのか関心がありましたが、心の面では、何も普通の人と違いがあるようには見えませんでした。会っていない時間の経過などを話した後、「海外旅行に三十か国、四十五回行ったので、思い残すことはない」と言って、幾つか思い出話をしました。そのように自分で納得するしかないのかも知れませんが。

 

それを聞くと、十年前の夫の葬儀を想い出しました。家族葬の会食の席で、親戚が会話している声に耳を欹てると、夫の親戚側で一人、私の親戚側では妹が、その当時熱中していた海外旅行の自慢話に花を咲かせ、他の兄弟は黙って聞いていました。葬儀の前や火葬場で時間があったので話し飽きたのか、死者の思い出話をする人は一人もいませんでした。まだ熱い骨壺を前にした会食では、悪口でもいいから、死者を話題にしてほしいと思いました。

 

その後親戚で集まる機会がないので、法事でもすれば親戚が集まって話せると考えることもありましたが、結局、自慢したい人が自慢話をする機会になるだけと思うと、法事をする気持ちになれませんでした。

 

私はタイ旅行に夢中になっていた時代があるので良いですが、一度も海外旅行をしたことがない兄弟たちは、海外旅行の自慢話を聞いて、あまり気持ちは良くはないはずです。遠路足を運んでくれた人たちに不味い酒を飲ませて、申し訳ない気がしました。

 

それで「猿が耳を洗う」という三蔵にある話を思い出しました。以前にも書いたかも知れませんが、確信がないので、もう一度書きます。

 

ある森に猿の群れのボスである美しい白猿がいました。ある日人間に見つかってしまい、捕まえられて王様に献上されます。王は白猿に城の中で自由に暮らしてくれるよう言ったので、猿はあちらの木、こちらの木の上で、人間たちはどのような話をするのか、聞いて、観察していました。するとすべての人間が「俺は」「俺は」「俺の何々は」と自分の話ばかりするので、だんだん憂鬱になり、元気がなくなりました。王は白猿が衰弱していくのを見て、理由を聞くと気の毒に思って、白猿を以前住んでいた森に帰しました。

 

森に戻った白猿は、群れの猿たちから人間について聞かれ、「このように自分の自慢ばかりだった」と話して聞かせると、聞いていた猿の群れが一斉に川へ降りて行って、耳を洗い始めました。汚い話を聞いて、耳が汚れたと感じたから、という話です。

 

私も汚い物を見た気がして、耳を洗う猿の気持ちが理解できました。

 

妹が今までどのように暮らしていても、死を目前にしていて、キリスト教徒でもあるので、普通の仏教徒より教えがあるのではないかと勝手に想像していましたが、何の宗教もない人、食べて、遊ぶことだけに幸福を感じる(つまり精神的な世界がない)欲界動物から、指先一本も出ていないと見てがっかりしました。神様を信じる人は全員天国へ行けると言っても、教えを実践しない人は、どこの世界でも幸福に暮らせる道理がありません。「神様の国に行くのなら、神様の気に入られるよう善を積んで行く方が、天国で幸福に暮らせると思うよ」と言いたいと思いましたが、良い機会がありませんでした。

 

私が帰郷したことを知った兄夫婦が妹の家に顔を出しました。久しぶりに会う兄は宿痾の糖尿病が悪化して、十センチ先までしか見えないそうで、兄嫁に手を引かれて歩いていました。兄は若い時から親の批判してばかりいる人で、小さいながらも会社を経営していましたが、母の死後、自然消滅のように廃業していました。

 

何度か法話のプリントを渡して、正しい見解の人になってもらう努力はしましたが、甲斐はありませんでした。両親が亡くなり、親不孝のカンマの報いである衰退が始まってから、ダンマに出遭うことは望めないのかも知れませんしれません。

 

「善果が現われるまで、善人も悪人に見える。悪果が現われるまで、悪人も善人に見える」というブッダの言葉がありますが、悪果が現われないうちは、誰もが自分を善人と思い、反省や方向転換する機会もなく、自分の考えで突っ走ってしまいます。しかし悪果が現われた時には、既に遅すぎます。

 

昔の人は親の教えがあり、親の教えはほとんど道徳なので、親の教えを守っていれば普通に年を取り、老衰などで苦が少なく死ねましたが、戦後の文化の中で育った人は、道徳も慎みもなく煩悩のままに生きたので、これからどんな晩年、最期が待っているのか、思いやられます。

 

私の両親の何が間違っていたか考えると、親孝行を教えなかったことだと思います。子供に幸福な一生、人間らしい穏やかな生涯を送って欲しいと願うなら、まだ理屈を言わない幼児の時から、道徳や親孝行を教えなければならないと思いました。道徳があれば、破滅、衰退、心身の障害や、悪死、事故死、職場での事故死などは避けられるからです。

 

子に「親孝行をしなさい」と教えるのは、自分にいろいろして欲しいと言っているようで、催促がましくて積極的になれませんが、その変な遠慮が、親不幸な子に育てる縁になってしまいます。自分が親に孝行をして、その姿を子に見せるのが一番簡単で、最高に効果がありますが、既に親が亡くなっていれば、(自分の)親の恩を具体的に聞かせ、こうすれば良かった、ああすれば良かったと、孝行しなかった後悔の気持ちを話して聞かせるのも良いと思います。

 

子を持つすべての人たちに、「子に道徳を教えない親は、子を破滅させる人」と、忠告し続けたいと思います。「情けは人のためならず」、つまり「人に情けをかけるのは、むしろ自分のためになる」という意味の諺があります。私は新しく「孝行は親のためならず」、子のために、子が安全な生涯を送れるよう、子に孝行を教えなさいと言いたいです。

 

心にダンマがある

 アリヤシーラダンマの中の、青少年に教えるべき項目の中に、「ダンマがある」という項目があります。これも日本人には馴染みのない言葉でピンと来ないと思います。ダンマという言葉には、大きく分けると四つの意味があるとプッタタート師が説明しています。自然、自然の法則、自然の法則での義務、その義務の結果の四つで、一般に教え、あるいはブッダの教え、仏教の教えと言われるのは、三番目の「自然の法則での義務」である物がブッダの教え、仏教の教えです。

 

 教えという意味のダンマをもっと詳細にして「タンマとは、人間の発達のどの段階、どの部分でも、人間にとって必要な正しい実践体系」とも言っています。

 

 しかし一般の人が普通に「ダンマがある」という時は、心に煩悩がない、心に正しい見解がある、理性があるというような意味と感じます。「ダンマがある」の反対は「煩悩がある」だからです。心は、同時に二つ以上の物は入れないので、ダンマがあれば煩悩は入れず、煩悩があればダンマは入れません。だから、心に常にダンマがあるように注意すれば、煩悩が生じる機会はないと言うことができます。

 

 今心にダンマがあるか、それとも煩悩があるか気づけば、その都度煩悩を追い出し、ダンマがある状態を維持できるので、どんな状態をダンマがあると言うのか、どんな状態を煩悩があると言うのかを知らって置けば便利です。

 

ダンマがあるとは煩悩がないことで、煩悩がある状態は、その時心にあるいろんな状態で判断します。私が使っている方法を紹介します。

 

何かに不満、憤懣、怒りを感じる時、その時心には煩悩があり、ダンマがありません。

心に喜怒哀楽、好き嫌い、恐怖、不安などの感情がある時、

誰かの欠点、悪口、非難などを考えている時、

言い訳や口実の類を考えている時、

自分の好き嫌い、損得、楽しさなどを基準にしている時、

物を惜しむ時、

時間はある(まだまだ死なない)と感じる時、

自己主張している時、

自分を庇っている時、

自分を甘やかしている時、

自分は偉い、凄い、尊重されるべきだと考えている時、

自分の考えは正しいと思っている時、その時心には煩悩があり、ダンマがありません。

 

まだまだ詳細にできますが、今思い付くのはこれくらいです。

 

心がこのような状態の時、心には煩悩があり、ダンマがありません。常に心を観察して、心に煩悩があると知ったら、その都度煩悩の考えを止め、心にダンマがある状態にすれば、それは四念処の受随観念処、心随観念処になります。

 

静かさ(平和)を愛す

 昨年末に公開した「アリヤシーラダンマ」という本の中の、「青少年に教えるべきこと」という話の中に、「静かさを愛させる」という項目がありました。聞いてもピンと来ないかも知れませんが、「波風を立てるのを嫌う」と言い換えれば、日本人に染みついている性質そのものなので、実感として分かると思います。家庭内、町内、国内が静かであることを愛し、つまり波風が立つのを嫌い、我慢できることは我慢します。そのような習性の人が、日本の穏やかな社会を作っています。

 

近代になると、何でも我慢してしまう習性を卑屈と蔑み、波風を立てても自己主張することを好む人たちが生まれ、増えてきました。

 

 ロシアとウクライナの紛争が始まって、間もなく一年になります。日本は遠く離れたアジアの国で、直接関わりはありませんが、ロシアは隣国で、嫌でも付き合わなければならない隣人と同じです。隣人の敵の味方をすれば、敵の味方は敵なので、ロシアの敵になります。

 

 仏教は、争い合うのはどちらも悪いと見て、どちらも罰す(喧嘩両成敗)規則があります。プッタタート師は「アリヤシーラダンマ」の講義で、「子供が兄弟喧嘩をしたら、どちらが正しいか聞く必要はない。どちらも静かさを愛さない点で同じだけ悪い」と言っています。どちらかの味方や応援をすることも、騒ぎを大きくする点で罪は同じです。

 

 子供の頃、兄弟喧嘩をして叱られて言い訳をすると、いつでも、誰であっても「言い訳は(言わなくても)いい」と言って、親は取り合いませんでした。たぶん江戸時代から代々続いているしつけでしょう。子供は理由を知りませんでしたが、親の厳然とした態度によって、自然にその規則が身に付きました。理由を説明して分からせれば、死ぬまで理解できないかも知れません。しかし、波風を立てないように暮らすことを知っていることは、知らない人と比べると、財産のように思います。

 

 だから子どもには厳しく、そして繰り返して教えることが重要だと思います。

 

 ブッダは「※最初に怒った人、つまり怒って叩いたり、暴言を吐いたりした人より、それに反応して怒り返した人の方が、最初に怒った人より悪い」と言われています。これは、普通の人には理解が難しいと思います。先に怒った人がいるから二番目の人が怒ったのであり、最初の人がいなければ二番目の人は怒らずに済んだのだから、凡夫には最初に怒った人の方が悪いように思えます。

 

 怒りは突然心に訪れる招かざる客で、凡夫では追い帰すことは難しいので、怒ってしまうのはどうしようもありません。しかし怒りの言葉や行動を受け取った人が受け流すこと、周りの人がどちらの味方もしないで静観することは、理性があればできます。そして、できれば自分にも他人にも、その場の平和にとっても非常に利益があるので、しなければならないことです。

 

  争っている人を、大勢の人がどちらか一方の味方をすれば、小さな争いは大きな争いになり、ますます収拾がつかなくなり、些細な出来事が切掛けで世界大戦にもなりかねません。だから初めに争った人より、後からどちらかの味方をする人の方が、はるかに重大な結果、凶悪な結果を生じさせます。

 

 国同士、民族同士の争いが起ると、西洋(キリスト教国)はすぐに「あっちが悪い。こっちは正しい」と言って応援をしますが、アジア諸国や中東諸国は態度を明らかにしない国が多いです。

 

 記憶違いでなければ、先月G7の準備のため参加国を歴訪する前の岸田さんが、「ウクライナとロシアの紛争に関して態度を明らかにしない国も、ウクライナを支援するよう促す」というような意味の発言をしていましたが、日本の総理がヨーロッパの紛争に強い関心を寄せ、深慮することなくヨーロッパの国に追随して一方の味方をし、しかもこの件では態度を保留にしているアジアの国々に、ヨーロッパ諸国のようにウクライナの味方をしなさいと促すのは、浅慮、あるいはアジアの文化、とりわけ仏教文化と反対です。

 

 日本が治安が良く、国中のどこでも騒動が少ないのは、多くの人が静かさを愛し、喧嘩をしている人を見てもどちらにも加担しないで、静観することを知っているからです。静観しないで、町中、国中の人が自分の好きな方に加勢すれば、町中、国中が、事ある毎に対立し合わなければならなくなります。

 

 家族でも地域でも団体でも、どこにでも、一人でも静かさ(波風がないこと。平和)を愛さない人がいると、つまり静かさより自分を愛す人がいると、もめごとが絶えず、何をするのも本当に大変です。

 

 「静かさを愛す」人、あるいは「波風が立つのを嫌う」人、あるいは争いごとを見ても、どちらか一方の味方をせず静観できる人は、本当に平和を愛す人、平和に貢献している人です。どこかに一対一の喧嘩があっても、誰も応援する人がいなければ、水を遣らない草が枯れるように、間もなく治まるからです。怒った人に怒り返さないこと、他人の争いごとの応援をしないことは、謗られるべき性質ではなく、仏教の教えの実践であり、平和な社会の実現に欠かせないものです。

 

 カンマの角度から見ても、日常的に怒りや不満を抑えて、その場の平和を尊重する意業は、その人に平和な環境を与えると推測します。そうでなければ、どんな業を積んだ人が平和を受け取れるでしょうか。

 

 どこかに争いごとがあると、理由を探してどちらか一方の味方をすることは、口では「平和のため」と言っても、今ここの平和を妨害し、世界を不安定にする行動です。静かさを愛すこと、波風を立てるのを嫌うことは、真に平和を愛す仏教徒の文化です。自分の子や孫に、是非とも「怒った人に怒り返してはいけない」「争っている人の味方をしてはいけない」と、静かさを愛すこと、波風を立てるのを嫌うことを教えてやってください。

 

 

※『暴言を吐くロクでもない人は、当然それを自分の勝利と見なす。 智者は忍耐を自分の勝利と見なす。 怒った人に怒り返すことは、初めに怒った人より悪い。 怒った人に怒り返さない人は、非常に困難な戦いに勝った人と呼ばれる。 そして双方、つまり自分と敵の双方の利益になる行動をする人でもある。 相手が怒ってしまったと知った人は、 誰でも双方、つまり自分と敵の利益を守るために、 理性で静まってしまいなさい。 当事者である賢くない族だけが、「この人は弱虫と考える」』