ワンプラ(菩薩日)

心には幸福(喜)と不幸(苦)とどちらでもない状態の、三つの状態があります。
ブッダは幸福も不幸も、苦しさは同じだと言っています。世俗の幸福の裏側には不幸が隠れているので、真の幸福ではないからです。

ブッダが言う本当の幸福とは、真ん中の、幸福でも不幸でもない状態を「幸福」としています。これを中道と言います。転げ落ちる心配のある山の頂きでもなく、光の見えない深い淵の底でもなく、安定した平地のような状態です。

幸福な状態と不幸な状態は、誰でも日々体験しているので分かると思います。

満足できる状態が「幸」で、耐え難い状態が「苦」です。
田舎の親戚の家や、長期滞在のリゾートなどで寛いでいる時、あるいは家で独り留守番をしている時などに感じる開放感などが、「幸福でも苦」でもない状態です。 何も心を楽しませるものはないけれど、心を苦しめるものもない状態です。

ブッダは三番目の状態が一番良いと言っています。

世俗のすべてのものには、それと同じ三つの状態があります。
たとえば豪華で快適な住まい(幸)と、家も安定して寝るところもない、ホームレスや非難所などの生活(苦)と、贅沢ではないが住む所がある状態(普通)、贅沢な食べ物(幸)と、他人の食べ残しや捨てたものや捨てる寸前の食べ物、あるいは食べ物がない状態(苦)と、普通の質素な食べ物(普通)、豪華な装飾や高級素材を使った衣服(幸)と、他人が捨てたものや用が足りない衣服(苦)と、普通の使える衣服(普通)、です。

これらの三つの状態の味は、幸福と、苦と、幸福でも苦でもない状態です。

幸福も不幸も心の苦しさは同じですから、豪華で贅沢な生活をすれば、非常に困窮した生活と苦しさは同じです。幸福の絶頂でも苦しみを感じることがあるのはこのためです。

タイにはワンプラという日があります。陰暦の毎月8日、15日、23日、30日、つまり新月と満月と上弦、下弦の日に、通常守っている五戒のほかに、三つ追加して八戒を守ります。
追加するのは、正午から翌朝まで食事をしない、一切の楽しみを避ける、高いベッドや厚い布団で寝ない、です。

戒は何でもそうですが、言葉で言われているより深い意図の広い意味が含まれています。
これらは日頃贅沢な暮らしに慣れていると、心が「真ん中のちょうど良い状態」「普通という程度」を忘れてしまうので、ちょうど良い状態、普通の状態を常に忘れないためにある、在家の習慣です。

だから食事は、日頃忘れている質素な食事にし、午後は飢えの感覚を味わいます。朝昼に豪華な食事をしては意味がありません。
一切の娯楽も同じです。質素な服を着て、何も心を楽しませるものがなくても、心を苦しめるものが無ければ幸福であることを知ります。
脚の高いベッドというのは、快適過ぎない住まいという意味です。

これらは八正道の中の正しい生活という項目です。
正しい生活とは、泥棒や殺生をしないという意味ばかりでなく、贅沢でない、必用なだけの質素な生活のことです。

現代人が昔の人より精神的な苦が多いのは、日々贅沢を求めて思い通りにする生活に慣れすぎたために、思い通りになるはずのない人間関係や心の面まで、思い通りにしたいと願う「わがまま」を育ててしまったからです。

ブッダや出家僧が私物を所有せず、必要最低限の質素な暮らしをしているのは、物質的豊かさと心の純潔は共存できないからです。

私たちが苦しみを減らすには、苦しみの仲間である怒りや欲望や煩悩を減らすには、生活を、豊かでも欠乏でもない、真ん中の状態にしなければなりません。

そのために、先ずはワンプラをやって見ませんか。週一回、半日飢えを体験するだけでも、ずいぶん自分の心を管理できるようになります。

突然食事の回数を減らすのが大変だったら、粗食を腹八分目にすることから始めてみてください。戒にこだわらず、出来ることから始めます。粗食にするだけでも新しい感覚を知ることが出来ます。
一番安価な服を着て、歌舞音曲、ドラマや映画も見ない、楽しみの読書もやめてみてください。 世界には、日頃忘れている生活があることを思い出します。

「普通」とは、質素と豪華の「中間」ではありません。欠乏と陶酔する程の豊かさの中間の、「欠乏のない状態」「人らしく生存できる状態」が「普通」 です。だからときどき不味いものを食べて、「生きるために食べる」原点を認識する必用があります。感覚や心が思い上がらないためです。

正しい「普通の感覚」をもたなければなりません。普通という感覚を狂わせないようにしなければなりません。
「普通」とは、質素な食べる物がある状態です。それが苦でない普通の状態であると同時に、苦を生じさせない状態でもあります。

ワンプラを体験してそれを知ってみませんか。

ブッダの教えは、質素な暮らしの中でだけ理解できるものだと思います。