庶民のサマーディ

今のテレビを観ると、男性アナウンサーや俳優、政治家などは背筋を立てて、あまり体や顔を揺らしませんが、女性アナウンサー、記者、リポーター、ゲストである専門家、そして一般庶民のほとんどは、話す時に顔を前に突き出し気味で、鹿威しのように頸を振り、上体まで揺れる人もいます。それは自分の話すことを少しでも協調したい気持ちの現われと思いますが、それ以上に、話す人に基礎的なサマーディがないことを表しています。

 

身体が揺れない人は、裁判官、医師、伝統工芸の匠、伝統芸能をする人、書道や茶道、柔道、剣道など、道という字がつくものに関わっている人、アナウンサー、大会社の社長や各種の首長、各界の大物など、集中力や落ち着き必要とする職業の人や、人に上に立つ人は体が揺れない人が多いので、ほとんどは基礎的なサマーディがあります。

 

日常生活の中の平均的なサマーディの深さは、その人の挙措を見れば分かります。日常的サマーディの深い人は、立っても座っても体が揺れず、眠ってもほとんど寝返りをしないので、掛布団はほとんど乱れません。

 

英語教育や西洋文化の普及と共に、身振り手振りをする人が増えています。身振り手振りをする人を見ていると、話の内容には関係なく、喋り始めると自動的に手が決まった動きをするように見えます。自分の発言をアピールしたい自己主張の思いが強く、手振りが癖になっている人は、手を動かさずに話すことはできないように見えます。

 

安倍総理は扇風機のように首を左右に回転させて話しますが、それはオリンピック誘致のスピーチのために外国のスピーチのプロから指南を受けた手法と聞きましたが、好印象かどうかは疑問です。習慣になっている身振り手振りも首振りスピーチも、話す人のサマーディを妨害するだけでなく、聞き手の集中力も妨害され、利益は何もないように見えます。

 

最近、子供から老人までリズムの早いダンスを好む人が多いのも、一般庶民のサマーディの質を落としている原因だと思います。ブッダは、「歌うことは泣くこと、踊ることは狂った症状」と言われていますが、狂人はサティもサマーディありません。

 

日常的に音楽を聴き、ゲームをし、早口で喋り、集団でお喋りを楽しみ、飲酒し、マンガを読み、歌い踊り、絶えず他人と連絡を取り合うなどしていれば心が静まる時間がなく、心が静まらなければ身体も揺れ、手も首も揺れ、常にどこかが揺れていないと何か足りないように感じます。ブッダの時代でも、ブッダは「一般庶民は全員狂った人」と言われていますが、現代人は狂人以上、最重度の狂人、プッタタート師の言葉を借りれば、魑魅魍魎の類かも知れません。

 

体の揺れ、心の揺れは、サマーディをすることで生じられなくなるとブッダが言っていますが、身体が揺れない人を見ると、生まれつきか、あるいはその職業に従事することがサマーディの訓練になっていると推測します。その上心を揺らすような環境と縁がない暮らしをしているか、避ける努力をしているのではないかと思います。サマーディによる幸福を知っている人は、静まっている水が入っているビンも波の上に置けば、外の揺れに吸収して同化してしまうと知っているからです。

 

瞑想をしない人にはサマーディは関係ないと思う人もいるかも知れませんが、十分なサマーディがなければ、仕事や勉強をする時、持っている能力を十分発揮できないので、そして正しい判断ができないので、どんな仕事をするにもサマーディ(心の落ち着き)は必要不可欠です。そしてサマーディ(心の落ち着き)を重視する人は高い能力のある人のように見えます。