過去生ジグソーパズル

私は、自分の「過去生の記憶」と言えるものはありません。占星学を学んだ時、土星や月やドラゴンテールが過去生を表していると知り、興味を持ちました。ブッダの仏教を知ると、本気で興味を持ちましたが、過去生の記憶が残っている幼年期、少年期ではないので、思い出す術もありません。

 

しかし過去生は現生と繋がっているので、現生を見れば過去生を推測できると見て、子供時代の習性を思い出してみました。

 

両親が言うには、歩き始めるのが遅く、普通の子は一歳前後で歩き出すのに、私は一年くらい遅く、歩き始めると両足を絡めるようなおかしな歩き方で、障害がありはしないかと心配したそうです。また言葉を話すのも遅く、知恵遅れではないかと心配したとも、聞いたことがあります。

 

幼い頃は、普段着は着物の厚着だったので、歩き難かったのでしょうか。赤子の時から、幼児になっても、いつもじっと座って、周囲をぎょろぎょろと(つまり強い視線で)見回していたそうです。

 

外で遊ぶようになると、一人で野原の草花や昆虫を見ました。小学生の頃は、川原で、流れの中にある石に載って流れを見つめていると、ある瞬間から自分が載っている石が舟のように動き出す錯覚が生じる、その錯覚を楽しむのが好きで、しばしば近くの川に行きました。

 

夏になると近所の子供は川で泳ぎましたが、私は泳げませんでした。しかし水に潜って石を拾うのはでき、好きでした。

 

中学生になると、学校から帰ると、周辺の低い山に登って、麓の集落の景色を眺めるのが好きでした。家の周囲には幾つも低い山があったので、あっちの山こっちの山に登って、麓を見ました。大人になってからも、高いところから麓の村を見渡す光景を見るのが好きです。

 

トンボをたくさん獲って、焼き鳥のように草の茎に刺して、たくさん集めた記憶もあります。蛇を見ると、怖いとか逃げるというよりは、「捕まえる!」と思いました。

 

記憶にある限り犬は恐怖でした。昔は放し飼いが多かったので、犬を見ると逃げ、逃げると追い駆けられ、その度に怖い思いをしました。小学生だったある時期、今思うと、きっと体調が悪かったのでしょう。毎日毎日犬に追い駆けられる夢を見て目が覚め、再び眠ると夢の続きを見たので、大きくなったら総理大臣になって、犬を飼うことを禁じる法律を作りたいと、真剣に思いました。

 

これらを総合的に見ると、すぐ前の前生は鳥だったのではないかという考えが生まれました。小鳥は歩かないので、歩くのが遅く、変な歩き方をしたと思います。ギョギョロ周囲を警戒するのは鳥の習性です。鳥は川で石に止まって魚を狙い、潜って獲ります。飛んでいない時は、低い山の上から、里を見下ろしているでしょう。昆虫も蛇も、餌なので、可愛く思うことはないでしょう。犬が異常に恐ろしかったのは、たぶん最期に、何かの理由で飛べなくなった時、犬に噛まれて死んだのかも知れません。猫の声も、嫌悪すべき物と感じていました。

 

通常人が死ぬと、しばらくは動物の生を繰り返し、生まれるにふさわしい環境が整った時、(占いから言えば、人と、生まれる時はふさわしくなければならないので、その人にふさわしい星の並びになった時)人間に生まれると考えます。前生と言う時、すぐ前の生は動物で、私は小鳥だったと推測します。

 

前回人間だった時を推測すると、日本人ではないと確信します。言葉を話すのが遅かったのも、発音が変だったのも、初めての(本当は初めてでなく何百年ぶり)国だったからでしょう。生家は関東地方にありましたが、冬の寒さを耐えがたく感じました。当時その地方の夕食は、毎晩手打ちうどんでした。冷や麦や幅広麺なら食べられましたが、手打ちうどんは喉を通りません。残りご飯がない時は、泣いて母を困らせました。

 

他に、食べられなくはありませんが好きでない食べ物は、赤飯、餅、餅菓子、せんべい、あられ、塩辛、生イカ、りんご、おせち料理などで、好きな食べ物は、ウド、春菊、山椒、三つ葉など、香りの強い野菜と甘いお菓子でした。そして母が米を研いでいる時の真っ白い研ぎ汁を見ると、いつでも「美味しそう」と感じました。

 

神社にもお寺にも、家の仏壇や神棚を拝むのも違和感がありました。厳かとか神聖という気分はせず、異教の儀式のような気味のわるさ、白々しさを感じました。

 

運動が苦手で、体育の成績は常に「2」でした。跳び箱はどんなに低くても、一度も跳べたことがありません。鉄棒は前回りだけ、マット運動も前回りだけで、徒競走はいつもビリでした。「1」でなかったのは、担任の温情だったと思います。成人しても運転免許を取りませんでした。お酒は、社交のために飲む努力をしましたが、苦しいだけで酔えませんでした。

 

絵を描くのは好きではありませんでしたが成績は良く、特にデッサンや彫塑が得意でした。詩作が好きで、小学生の時から、日常的に詩や随筆を書いていました。小学校高学年から日記をつけ始め、春休みや夏休み、新学期が始まって、生活が変わる度に「日課表」を作るのが好きでした。時間を無駄にしたくないと言う思いが強かったです。

 

インドが好きで、サリーを着た女性の写真を見ると美しいと感じ、インドの文化に憧れを感じました。

 

これらを総合すると、私は日本人でなく、温かい国の人で、仏教の僧か、仏教文化の国に住んでいたと思います。その後の多くの縁の深い人々との出会いを考えると、タイ人だったと推測します。タイの食べ物は、パクチーなどの香りの強い野菜が多く、いろんな香りを好みます。

 

米の研ぎ汁を「美味しそう」と見たのは、ココナツミルクの美味しさが記憶に残っていたのかも知れません。出家は律で走るのを禁じられているので、運動をしたことがなく、別の体に生まれても、体が動かないのだと思います。

 

仏教の比丘は動物に乗ること、動物が引く車に乗ることを禁じられているので、その習性が身についている人は、現代に生まれても運転免許を取らないと思います。

 

詩作が好きで、絵画が得意なのは、出家として何度も生きたからと思います。昔は出家すると生涯僧として暮らしましたが、長い人生では宗教的興味はあまり長続きしないので、実践の熱意が冷めた後は、詩作や絵画、彫刻、彫塑、木工、調薬、占いなどに熱中します。そうでなければ、宗教界の権力や社交、あるいは年中行事などの儀式に夢中になります。私は絵画から占いまで全部、好きか得意なので、いろいろ総合すると、仏教の比丘として生きた生が多かったことを意味すると思います。

 

以上のように、現生にある習性や好み、嫌いな物などを整理し、そしてそれはどんな人にある好みや習性化を良く調べると、ある程度、過去生が絞られてきます。外国の場合、現生で行ったことがある国、会って話したことがある外国人の国などは、過去世と関連があると思います。

 

先ほど日本人に生まれたのは何百年振りと書きました。日本の歴史を見ると、興味がある時代と、まったく関心がない時代があります。私は平安時代と江戸時代には興味があり、その時代の文学作品を原文で読むのが好きですが、幕末から明治大正までの時代とその時代の作品には、まったく興味がありません。それで私は、平安時代と江戸時代に、日本で生きたことがあるのではないかという思いがします。これは興味の問題です。

 

他にも、北イタリアやポルトガル、インド、韓国の景色にもデジャブーのような懐かしさを感じることがあります。これも、その国(あるいは文化的に近い国)で生きたことがあることを表していると思います。しかしその国ではなく、文化的に似ている別の国のこともあるようなので、断定はできません。

 

こうした思索は、馬鹿らしい妄想と思われるかも知れませんが、過去生を見る宿命通は、ジクソーパスルのように一つ一つ組み立てて見ている内に、ある時、一気に加速して完成するので、そしてブッダもそのようになさっているので、そうした過去生を思索することも、世界の真実を知ることに関して意味があると思います。

タイのテレビCM

ユーチューブを見ていたら、自動的にたくさんの動画を提示して来た中に、これから紹介する動画がありました。最近見出しに使われている「感動」は少しも感動する物ではないので関心はありませんでしたが、久しぶりにタイ語を聞こうと思って見ると、本当に感動しました。10分弱なので、お急ぎでない方はご覧になって見てください。日本語字幕があります。

世界中が感動したタイのCM3本立て - YouTube

三種類あり、初めの話は「恩返し」の話で、二つ目は善行善果の話で「善果は物質とは限らない」とまとめてあり、この二つは直接仏教の教えです。三つめは直接仏教の教えではありませんが、最後の一言が素晴らしいです。

 

これを見て、やはりタイは、まだ庶民にタンマが大切にされていると、羨ましく感じました。タイは他の仏教国に比べてダンマの実践を重要視すると言われますが、実践する仏教徒が一定比率いたから、それらの人のカンマによって、東南アジアで唯一、西欧諸国の植民地にならなかったと理解します。多くの人が実践すれば、国全体にダンマの結果が広がるからです。

 

二番目の話の人は、私がタイ語を習う切掛けになった、初めてのタイの友人に似ています。その友人は動物を慈しみ、貧しい人に分け、道に割れたガラスの欠片などがあると、止まって片づけたり、危険な物を端に除けたりしていました。私の家族は二番目の話が一番良いと言っていますが、私にとって、身近な普通のタイ人に見え、特別に感じません。オーサーレダッパダンマなどを読むと、その友人が話していたことと同じなので、彼はプッタタート師の本を読んでいたに違いないと思いました。

 

この動画は2015年にアップされているので、それ以前に放映されていたと思います。三つは同じ生命保険会社のCMで、お寺の関係者でなくても、普通の会社がテレビのCMでダンマを教える社会は、羨ましいです。

大家族で暮らせば、今ある問題はすべて解決する

一人暮らしの老人、中年、あるいは若い人でも、亡くなった後何日も、何カ月も発見されない問題は、親と子と孫の大家族なら防ぐことができます。保育園の待機児童の問題も、大家族ならあまり生じません。子供の貧困、食事が食べられない問題も、大家族で手があれば、安い材料をまとめて買い、手を掛けることで、同じ食費なら、小家族より質の良い食事ができます。風呂は一度沸かして何人も入れるので、冷暖房も、一室を何人もで使うことで、住居費や光熱費などは、一人暮らしや核家族より、一人当たりの額は少なくて済みます。

 

両親や保護者が忙しくて、問題を抱えた子の気持ちを思いやれない問題も、大家族なら、祖父母や独身の叔父叔母が聞いてやることもできるので、青少年が相応しくないSNSに関わって事件に巻き込まれることや、自殺問題も減少します。する事がなく、話し相手がいない寂しい老人もいなくなり、寂しさが原因で犯罪を起こす、あるいは自殺する老人もいなくなります。

 

大家族なら、誰かが病気になっても、転勤になっても、死亡しても、家でペットを飼い続けられるので、捨て犬、捨て猫、処分される犬猫の問題もなくなります。大家族なら、複数の収入源があるので、誰かが長期の入院をしても助け合うことができ、すぐに生活苦になりません。

 

大家族なら、働き盛りの人が自家用車で買い物ができるので、過疎地や都会の中の老人の買い物困難もなくなります。大家族なら、困ったことが起きても、誰かが助けてくれるので、日頃から安心があります。誰かに助けてもらう代わりに、誰かを助けなければならない場合も良くあるので、その業の報いで、家の外で問題が起きても、助け船が来ます。大家族なら助け合うことは当たり前になり、身勝手な考えが改まります。

 

大家族なら介護の問題も、複数の人が交代で、あるいは分担して関わることができ、誰か一人に過重な負担になりません。年を取っても家族の一員として役割がある生活の中では呆ける暇もないので、認知症自体が減るかもしれません。まして青少年が親の介護をしなければならない若年介護者の問題もありません。

 

小家族の場合、家庭内の正誤の比率が一対一では力不足で、誤った見解が勝つこともあります。しかし家族の中に一人誤った見解の人がいても、正しい見解の人たちが多数なら、協力して改めさせることもできます。だから離婚の問題なども、減るかも知れません。

 

離婚しても、子は家の子として育てるので、再婚相手に虐められる問題、再婚相手に迎合して虐める問題は減ります。親や兄弟と同居しなければならないなら、火遊びのような結婚、再婚も減るかもしれません。

 

こうした社会の問題が激減すれば、税金はもっと良い使い方ができ、国民一人当たり841万円もある国の借金も、減らせるかもしれません。

小室さん報道の外国メディアの理解

小室圭さんと眞子さんの結婚問題は、欧米やアジアなど、世界の多くのメディアが取り上げていたようです。ネットで読むと、アメリカでは「日本社会は、皇室の恋愛に厳しい」、つまり恋愛に開放的でないとか、恋愛の自由が遅れていると見、アジアの国では「親の借金の問題が結婚の妨害となっている」と見ているように観察しました。

 

それらの記事を書く人は、特派員などが伝える報道を基に書くので、伝える特派員の理解次第なのかも知れませんが、日本国民が問題視している要点を、正しく掴んで理解している物はないようです。多くの日本人が問題視したのは、親の「借金」ではありません。小室さん親子も借金と言っていないし、元婚約者も貸金と言っていません。法的にも返済を要求できる「借金」でないことは、多くの人が知っています。

 

それでも眞子様の結婚相手としてふさわしくないと心配したのは、「借金ではない(支援)からこそ、返さなければならない」という道義に欠けることです。

 

小室さんの母親は、息子の教育費を助けてくださいと、再三メールで元婚約者に援助を要求し、その都度支援を受けていたのは事実のようです。その息子が皇室と縁組をするほど立派に成人したのを知った元婚約者は、生活困窮を理由に、支援した額を返してほしいと要求しました。ここで「返す」という言葉を使ったのが、事をややこしくしているのかも知れません。

 

問題はその後の小室さん親子の態度にあります。困窮時に世話になった人が、今は困窮しているから「お金を返してほしい」と言った時点で、拒否できる立場になく、拒否する理由もありません。「借金でないから」と主張していましたが、借金でないからこそ「恩」があります。恩を無視して、法的解釈だけで、(借りたのではない)自分の(母の)名誉を守るために「返さない」という主張は、日本社会では異様に感じました。

 

日本はブッダの仏教の国ではありませんが、今でも武士道の名残としてブッダの教えが生きています。プッタタートのサイトにある「仏教徒の文化」に「何でも収拾するために、譲る側、許す側になり」とあるように、事を収めるために犠牲になることを尊び、そういう行動をする人を称賛します。だから損をしても、結果として名誉を維持できます。

 

西洋や仏教の教えのないアジアの国では「自分が損することを選ぶ」考えを理解できないのだと思います。仏教文化のない国は物質文化で、物質主義なら「損をすることは不名誉で、不道徳」と理解します。日本人でも自分の事になれば、多くの人は日本の文化的な名誉より、損得を重視してしまい、ごく少ない、気高い心の人だけが、仏教的、日本文化的な名誉を維持するために、自分の利益を犠牲にできます。

 

だからこそ、損得だけを規準に行動する人は、皇族の結婚相手としてふさわしくないのではないかと、国民の多くは、親心のような思いで心配したのだと思います。誹謗中傷をした人もいたかも知れませんが、極一部の人と信じます。

 

外国メディア、あるいは外国人に理解できないこの問題の、外国での報道の様子をネットで読んで、そうした国々に理解できない物(本当の仏教文化)がまだ日本にあることに、安堵しました。日本人が外国人のように「借金を返せば問題はない」、あるいは「借金ではないので、返す必要はない」「小室さんに問題はない」と見るようになったら、江戸時代から続いてきた、日本の高い精神文化は終わります。

愛子様の美しさの理由

成人になられた愛子様をテレビやネットで拝見して、実に美しくなられた姿に感動しました。建物のガラスに映り込んだ山茶花の清楚な影が、意図したように完璧な背景として、気品に溢れた愛子様の姿を引き立てていました。

 

どんなに美しくても女優さんにはない、そんじょそこらにはない高貴な香り高い美しさ。年配の方なら記憶にあると思いますが、ご成婚当時の美智子様を思い浮かべました。あの時も、世間の穢れを知らない清純な美しさに感動しました。

 

古い記憶を手繰り寄せると、私は過去に二度、同じように心を打たれる美しさを、直接見たことがあります。

 

一度はたぶん私が中学生の時、友達の家に遊びに行くと、友達の家の手前で、友達の家の隣家の娘さんが外出姿で出て来て、バス停の方へ歩いて行くのとすれ違いました。その人は高校生か、もう少し上だったかは定かではありませんが、大人ではなかったと思います。非常に美しく、この世の物とも思えないような清純で清浄な雰囲気に包まれていました。すれ違った一瞬のことなので、天女か仙女を見たのかと、目を疑うほど驚きました。

 

もう一度は、三十年くらい前、当時住んでいた同じ自治会内の家の娘さんをバスの中で見ました。その娘さんも非常に美しく、全身から溢れるように清純なオーラを放っていました。バスに座っていても、その周囲だけ輝いているように感じました。その年か翌年、その娘さんは、市が主催する「ミスコンテスト」で代表に選ばれました。市報に載ったその時の写真からは、普通の(目鼻立ちなどの形の)美しさで、輝くような香気は感じられませんでした。

 

どちらも近所での体験なので、日本中には、たくさんいると考えなければなりません。滅多にない稀なものなら、二度も近所で見ることは不自然だからです。しかしその話をしても、友人知人の誰も、そのように美しい人を見たと言う人がいないのは不思議です。近所で「あの家の娘さんはずば抜けて美しい」という噂を聞いたこともありませんでした。

 

それらに共通する美しさは、何より透き通ったような美しい白い肌をしていました。ブッダの言葉を読んでいると、美しい娘の形容では、必ず「美しい肌」という言葉が使われ、目鼻立ちに言及しているのは見たことがありません。間接的に(報道で)見た二例と、実際に見た二例のどれも、印象に残っているのは美しい眼でも唇でも鼻でもなく、美しい肌です。

 

だからインドやタイでは、美しいことを「ワンナ(ヴァルナ)がある」、つまり「美しい艶のある肌をしている」と言うのだと思います。美しい目鼻口元があっても、肌が皮膚病で汚かったら、美しいと感じません。反対に目鼻立ちは十人並みでも、肌が美しければ全体に美しい雰囲気があります。だから美しさは肌次第かもしれません。女性が手間暇掛け、お金を掛けて肌の手入れをするのは、美しさは肌次第と知っているからかもしれません。

 

ブッダは、心に自我がない時は肌が白く、透き通ったようになる、というような意味のことを、サーリプッタに話されています。だから阿羅漢でなくても、人は一時期だけでも、自我が非常に薄く、無我の時間が続いている時は、非常に肌が白くなり、天女のように透き通ると推測します。

 

愛子様の二十歳の感想を拝見すると、眞子様佳子様の感想と比べると、実に視点が高く、視野が広く、自分という考えが少ないのが分かります。述べられているのは天皇皇后、上皇上皇后への感謝と、周辺の人々から国民までへの感謝の言葉と、今後の自分自身の義務についてです。感謝は正しい見解から生じる物で、義務はダンマの意味そのものです。そのようなことを考えていれば、その時心にダンマしかなく、心に本当にダンマしかない時、あのように美しい肌になると観察します。

 

【全文】愛子さま成年皇族に 感想文書(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース   

お人柄が行間から溢れる「愛子さま」のお言葉 小室眞子さんと佳子さまの20歳の感想は?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 

若い日の美智子様も、先日の愛子様も、私が見た二人の娘さんも、その時、非常に自我が少なかったと推測します。どの例も二十歳前後であるのも、その年齢は、一部の人は大人の世界の汚れを知らない、人生で最も純粋な時代、自我が薄い時期であるからです。そしてそのように肌が輝くのは、普通は長い時間ではないので、私が見た二例のように、近くにいても、近所の人もあまり目撃していないのだと思います。

 

一人の女性でも、清純な美しさで言えば、最も美しいのは二十歳前後で、女性として魅力的な美しさになるは、30歳前後のように思います。その後、一時、脂ぎった汚い小母さんになっても、老いて欲がなくなると、再び自我が減って、清楚で美しくなる人もいます。良い目鼻立ちがあるのに美しさが輝かない人、磨いても磨いても思ったような結果が出ない時は、煩悩が自然にある智慧が現れるのを妨害するように、自我が、最高の美が現れるのを妨害しているのかもしれません。

 

多くの人が愛子様の映像に感動しているのを見ると、自我の少ないことは、多くの人を幸福な気持ちにさせると分かります。

 

最後に、自分自身が、あるいは自分の娘が、美しい肌になるようにするにはどうするか。それは自我を薄くすること。自我を薄くするにはどうしたら良いか。それは、したいことを考えず、するべきことを考え、したいことをせず、するべきことをすることです。そうすれば、考えている時間も自我や煩悩がなく、している時も自我や煩悩がないので、一日中するべきことを考えて、していれば、自我は非常に薄くなり、美しい肌になると思います。

 

職場にいる時は、誰でも、暇な時間ができても、何かするべきこと、できることを考えるように、家にいても、自室にいても、したいことより、その時するべきことを考えれば、自我はどんどん減って行きます。極言すれば、美しい人と普通の人の違いは、自我の厚さの違いと言えると思いました。

服の模様は心の模様

補色、あるいは反対色を四色使った、非常に煩い模様の服を着た人がいたので、よく見ると、早口で喧しいほど多弁な人でした。どこの国の皇室や王室の人たちも、お召し物はほとんどは無地で、(プリント)模様の服を見たことがありません。一般人でも、上層の人、ハイレベルの人は、概して無地の物を着用し、一般庶民でも(文化的に見て)中以下の人がプリント模様を好むように観察します。

 

趣味、好みと言ってしまえばそれまでですが、それらを選ぶのは心なので、当然心の在り様が反映されています。心にサマーディがあれば、プリント模様は煩わしく感じ、無地を選びますが、心に感情(心の概念。イメージ)があれば、そのイメージに合った模様を好ましく感じます。簡単な例えは、恋愛が始まったばかりなら、楽しいそうな、美しい花模様や、明るい色彩の模様を、楽しくないことを考えていれば、暗い色彩の模様を、というように。本当はもっと複雑な影響があると思います。

 

しかしサマーディがある心は、必ず無地を好み、無地を選ぶと思います。東洋では男性は女性より地味なのは、男子は宗教の教育があり、女性よりサマーディがあるからでしょう。西洋では、服装の派手さにおいて、男女の差はないように見えます。

江戸時代の町人は派手な柄物の着物を着ましたが、武士は一見無地に見える江戸小紋をという布を着ました。僧は普段は墨染の衣ですが、儀式の時は金襴緞子の装束を使います。

 

他の国の状況は良く知らないので、タイを例にすると、タイの女性は、日本人女性より派手な模様の服を着ています。Tシャツを着ている人が多いですが、ブラウスなどを着る人は、色彩も模様も派手な物を着ています。初めてタイへ行って、派手な服装の女性を見た時、自然の動物も派手な原色が多いので、人も派手な原色を好むのだろうと考えました。

しかし、仏教の真実で見ると、サマーディのない人、つまり「自我。私」の強い人は派手な模様を好み、派手な服装を好む人が、派手な色の動物に生まれると分かります。地味な服を好む人が多い地域では、自然の動物も地味な姿のはずです。

 

人の一生を見ても、心に煩悩が少ない子供時代は服装に興味はなく、異性の獲得を目指す時代、同性との競争を意識する時代は派手になり、社会的欲望がなくなると地味になります。昔の老人は本当に地味で、男性のようでした。幼いころ祖母に「おばあちゃんは、女なの?」と質問して笑われたことがあります。煩悩があればサマーディがないので、煩悩があるのと、サマーディがないのは同じです。

 

昔の老人は地味好みでしたが、今の老人が西洋文化を受け入れて、明るい色の美しい物を好むのは、老いても、サマーディがないことの現れと見ることができます。服装が派手か地味かという問題は、好みだけの浅い問題のように見えますが、よく見ると、着る人の心の状態を表しているようです。

多くの動物が解脱する時代

プッタタートサイトの「短文」の頁にある「涅槃は人生の目標」という話で、プッタタート師が占星学を認めているような発言があるのを見つけました。師は折に触れ、占星学も含めて「占いは根拠がない」と言われているので、占星学愛好者である私にとしては、師が、そのような類の占星学しかご存知なかったことを残念に思っていました。

 

しかし「涅槃は人生の目標」という文章を読むと、単純で低レベルの、庶民の星占い、素人の占いでなく、本当の占星学をご理解いただけたと感じ、嬉しく感じました。その一部を引用します。

 

『生物学の進化の法則、特にダーウィンの論理でも、あるいは仏教の系統である二十四縁と縁起でも、世界は物質面か心の面の、どちらかのレベルが少しずつ高くなっていると、どこででも簡単に観察して見えるように、じっと止まっている物、あるいは低くなる物はありません』。中略
『揃って物質を重視する時代には、現代の科学が目覚ましく進歩しているように物質の目標を達成し、そして心を重視する時代には、過去の阿羅漢の時代のように心の面の目的に到達します。世界は物質面に頑固でも、思い切り懲りれば、自然に心の面に振り向きます。そしてその時代です。地球がこの星座に入る度に、一定数のたくさんの動物が世界から解脱するのは』。

 

占星学では、すべての惑星は十二の星座を巡っているので、十二の周期で繰り返していると見ます。分かり易いのは太陽で、春分の日から牡羊座が始まり、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、秋分の日からは天秤座で、蠍座、射手座、山羊座水瓶座魚座と一年で一周します。つまり太陽の一周を一年と規定しています。

 

星座と、惑星にはそれぞれ意味があり、牡羊座は創始で、学校や役所の年度初めにふさわしく、獅子座は遊び好きなので夏祭りはこの時期に集中し、山羊座は伝統を重んじるので、正月やクリスマスなどの行事があります。

 

占星学では、太陽の軌道である黄道自体にも周期があり、およそ二万四千年かけて12星座を一巡しているそうです。西暦紀元からの二千年間は魚座にあり、魚座は信仰を表すので、この二千年は信仰の要素が強い宗教がたくさん生まれ、その時代を支配していました。(大乗やキリスト教イスラム教などは、魚座の時代に生まれました)。

 

その前(紀元前二千年まで)の二千年は牡羊座にあり、牡羊座は戦いと創始の意味があり、規律を尊重します。この時代の世界は戦いと、幾つもの王朝の生滅に満ちていました。法と律を重んじる仏教はこの時代に生まれました。

 

紀元前二千年よりもっと前は牡牛座で、牡牛座は美しい物、美味しい物が大好きなので、この時代と思われる美しい宝飾品が発見されています。

 

西暦二千年を越えた今は水瓶座に入ったばかりです。これからの二千年は、水瓶座や、守護星である天王星の意味を解釈することで、時代を読むことができます。一般には洪水や電波などの意味があり、どちらも、ここ二十年で、非常に増えていると見えます。

 

本論に戻ると、プッタタート師が言われている「この星座に入る」というのが、何を意味しているか知りませんが、それは、三年後に来る、冥王星水瓶座に入る時代ではないかと思います。冥王星の周期は約247年なので、二十年くらい一つの星座に滞在します。

 

冥王星山羊座にあります。山羊座は伝統という意味があるので、冥王星が入ると「伝統の破壊」と読めます。この二十年間は、世界中の王族、皇族に、前代未聞の「伝統の破壊」と見られる出来事が相次ぎました。大相撲の世界でも伝統が踏みにじられ、ジェンダーなどの言葉が注目されるのも「伝統の破壊」の一つの形です。

 

音楽や芸能、文化全般にも、伝統や基礎は姿を消し、そうした物を無視した物が主流になっているように見えます。食べ物も、伝統の味でなく、悪趣味とも言えるアレンジが幅を利かせています。

 

それでは冥王星水瓶座に移動すると、どんな時代が来るのか、冥王星は発見されて百年たっていないので、まだ良く知られていません。水瓶座は理想や目的、博愛、福祉などの意味があり、それらに破壊と再生が現れると読めます。洪水も意味するので、豪雨による災害は、ますます激化するかもしれません。

 

ところで、冥王星水瓶座に入ると、上昇宮蟹座の人のホロスコープの9室に、順次冥王星が移動するので、それらの人々が宗教に関心を持ち始めます。今(までの19年間くらい)は上昇宮双子座の人が宗教に関心を持っているので、興味が上辺だけで、写経や御朱印集め、パワースポットなど、非常に軽薄な興味でした。その前の20年(1984年から2003年くらい)は上昇宮牡牛座の人が宗教に関心を持ったので、体を使う瞑想が流行りました。

 

1964年から1984年くらいの間は、上昇宮牡羊座の人が宗教に関心があったので、新宗教の勃興、あるいは宗教の改革があったと推測できます。1944年から1964年くらいまでの間は、上昇宮魚座の人が宗教に関心があったので、信仰面が強調されたと思います。プッタタート師の若い頃の説教師は、信仰面の教えを説くだけだったと言うのは、古い伝統の他に、この影響も重なっていたかもしれません。

 

2024年からの20年間は、信仰でも、信仰の物質でも、瞑想でもない、教えの実践である仏教に関心を持つ人が現れると希望的観測をします。教えの実践に関心が集まれば、プッタタート師が言われているように、「一定数のたくさんの動物が世界から解脱」するかもしれません。(冥王星がそれぞれの星座に滞在する年号は、おおよそです)。

 

私は、その時代を見ることができるかどうか分かりませんが、その後は二百五十年後を待たなければならないので、できればこの生で、この目で、世界の変化を見たいと願っています。