釈尊は空海の師

慧能の「壇経」を読んだ時、教祖の名前が「仏(当初は一字でブッダと読みました)」だったので、仏教がインドから中国に伝わった時、仏教の教祖は、当然ですが仏(仏陀)であったことが分かりました。それで機会を見つけて、何人かの中国と韓国の人に仏教の教祖は何という人か質問して見ると、発音は当然国によって微妙に違いますが、どちらも「仏陀」であることが分かりました。日本に入ってきた経も、「仏」となっていると分かりました。

それではなぜ日本人だけ「仏教の教祖はお釈迦様」と信じているのかを調べてみました。すると、日本で最初に「釈尊」という言葉が見られるのは、空海の「三教指帰」という書物だということが分かりました。空海はその中で「吾師釈尊」という使い方をしているそうです。空海大日経に触発され、中国で密教を学んで非常に満足し、土木や薬学など世俗の知識を持ち帰っています。どう見てもブッダの教えの外にいる人に見えます。

空海ブッダの仏教の外側の人間なので、自分が満足する教義の教祖を「仏陀」と呼ぶことを喜ばず、(四聖諦や八正道や縁起などのブッダの教えを説いた人ではない)自分が満足する教義の教祖を呼ぶ尊称として、釈迦如来からイメージした「釈尊」という名を考え出したと思われます。

初めは真言宗で使われていたものが、「仏陀」が教祖の呼び名であることを喜ばない、仏教と呼ばれるヒンドゥー教、つまり日本仏教のすべての宗派から歓迎されて、「仏(ぶっだ)」という呼び名はすべて「釈尊」に変わってしまったと推測します。その後「釈尊」という呼び名から、庶民用の「お釈迦様」という呼び名が生まれたのでしょう。その結果、日本仏教は「ホトケ様(死者)」と「お釈迦様」の宗教になりました。

そこへ明治以降、「仏陀」「ブッダ」が再上陸しました。もともと日本の仏教はいろんな教義の集合体なので、ブッダ釈尊が別人なのか、同一人物なのかも分からない状態になってしまったのだと思います。いずれにしても、「釈尊」「釈迦」という呼び名は、日本仏教にしかない呼び名で、日本仏教の特異性を表していると思います。

なので、ブッダの仏教を学ぶ人が空海をまねて本家の仏教の教祖を釈尊と呼ぶのは、どう見ても奇妙なので、本家の仏教の教祖は「ブッダ」と正確に呼び、釈尊は日本仏教の教祖と見なすのはいかがでしょうか。