日記

なぜ生まれたのかを知らず、賢いという勿れ

ある方から「ターン・プッタタートのこういう内容の話はありませんか」と問い合わせをいただいて、「仕事はタンマの実践」を紹介したついでに、久しぶりに読んでみました。自分のお寺の弟子に話した菩薩日の説教(戒に関しての)です。そこで瞑想について、…

いつか恋する君のために

「花は咲く」という東北地震の復興支援曲があります。「花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君のために。花は、花は、花は咲く、私は何を残しただろう」というリフレインの最後は、「花は、花は、花は咲く。いつか恋する君のために」で終わっています。 子…

タンマサラナ

私は「帰依」という言葉があまり好きではありませんでした。「信仰すること」「信じて従うこと」というイメージが強く、キリスト教やイスラム教や大乗仏教などの信仰を基本とする宗教の、信仰誓約の言葉のように感じていたからです。 そんなわけで、「明るく…

「ブッダ最後の旅」の「不放逸」について

「ブッダ最後の旅」という本の中に『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』という言葉があります。原始仏教関連の本は少ないので、ブッダの言葉を学ぶ人たちの間でこの本は有名です。しかし、この文の中の『怠ることなく』と…

大切なのは意業

政治にあまり関心はありませんが、最近、どうしようもないほど幼稚になっているように感じます。根本的な制度を整えないで、手っ取り早く手当て(お金)を配る策が増えました。しかも、欠けている所、必要としている層にではなく、ガサツに、誰にでも配りま…

諦めは悟り

自分では解決できない不運に遭遇した時、願いが入れられない時、あるいは思った通りにならない時、傲慢な人は怒りに囚われて抵抗し、気力の弱い人は嘆きや悲しみに陥り、知恵のある人はいろんな画策をめぐらし、いずれにしてもなかなか立ち直れません。現代…

仏教という名のヒンドゥー教

タイの仏教の本を翻訳し始めてから十余年の間に、たくさんの「仏教に関心のある人」に出合いました。しかし「仏教に関心がある人」の多くは瞑想に関心がある人であり、ブッダのタンマとその実践は、瞑想の進歩を助けるものくらいに捉えているようです。だか…

信仰を捨てる

ブッダのタンマに関心のある人は、当然「信仰」を好ましく思っていないと思います。神様の存在を信じ、神様に関して誰かが規定したすべてを、ただ「信じる」信仰を、愚かしいと感じ、危険と感じます。しかし一般に信仰と捉えられているのは、神様、ホトケ様…

三相の苦=ドゥッカター

四聖諦の苦と三相の苦は違うのですかという質問があったので、「耐えがたい状態」である苦、煩悩が原因である苦、つまり四聖諦の苦と、三相の苦の違いについて説明します。 三相とは、「万物の無常・苦・無我である状態」であることはご存じだと思います。パ…

タンマの実践は三本撚りの縄(補足)

ブッダの仏教の実践には智慧学が一番重要だということを、更に良く理解していただくために、もう一度同じ話題です。ターン・プッタタートは、仏教の実践だけでなく、「何をするにも戒・サマーディ・智慧が必であり、この三つは撚り合わさっているもので、別…

タンマの実践は三本撚りの縄

ブッダの教えの目的は滅苦、すべての苦から脱すことです。何か素晴らしいものを得るのではなく、望ましくないものを捨てて本来の在り様(自然物質である体と心)に戻ることです。 「完璧な滅苦の方法」を発見したのはブッダだけなので、同じように完璧な滅苦…

英語を話すことの害

昔外国語と言えば、西洋ならラテン語、東アジアの国々では中国語、南アジアではパーリ語でした。つまり、外国語は宗教を学ぶためのものでした。交易をする商人も当然外国語を使ったでしょうが、商人は学ぶというより倣い憶えるだけで、学問的な勉強ではあり…

仏教は他の信仰を許容する?

「ブッダは仏教以外の信仰を禁じていないから、従来のいろんな信仰をそのまま維持しても良い」と言う人が時々います。そう言うのを聞く時、既に仏教に関心のある人にそう教えるのは、果たして正しいのかと疑問に思います。 なぜなら私は、「従来の信仰を捨て…

トップの勘違い

ある歌手が提唱して毎年行っていたチャリティーコンサートの収益金で、海外の貧しい地域に建てた学校に、代表者である歌手の名前がついているのを見たとき「ちょっと違うんじゃないの。なんで会の名前でなく代表者の名前なの」と思いました。 同じような違和…

興味のないこと

たとえば家族で旅行に行って、駅からホテルまで繁華街の道を歩いたとします。ホテルに着いて今歩いてきた通りについて話すと、それぞれが見ていたものが違うことが分かります。 若い人は、コンビニやゲームセンターやファッション小物店や模型店などの店を憶…

ワンプラ(菩薩日)

心には幸福(喜)と不幸(苦)とどちらでもない状態の、三つの状態があります。 ブッダは幸福も不幸も、苦は同じと言われています。世俗の幸福の裏側には不幸が隠れているので、真の幸福ではないからです。 ブッダが言う本当の幸福とは、真ん中の、幸福でも…

ある日突然、苦は消えた

タイの仏教の本を初めて読んだのは十数年前、チャヤサロー比丘の法話集でした。 特に心に残ったのは、「心と心の中にあるものは別だということ。自分の心の中にあるものを見分けること。受蘊(感覚)か、想蘊(記憶)か、行蘊(考え)か、あるいは欲望か煩悩…

善男善女

昔の仏教徒は、仏教を信仰する家に生まれて、物心が付いた時からタンマ(仏法)の教えの中で育ちました。だからタンマが心に沁みついて、おおむね教えに従った生活信条で生きていました。そういう人を仏教徒と言いいました。 現代の仏教に興味のある多くの人…

せめて預流果

人は一生のうちで、宗教など精神的なことに興味をもつ期間が何度かあります。占星学で見ると、大抵は一年から二年半くらいで終わります。だから興味をもって何かを手繰り寄せ始める頃には、その時期が終わってしまうので、何も結果はありません。 最も長い時…

読書をする習慣

私たちは子供の頃から読書は大切なことだと言われ、いつでも「本を読む習慣をつけなさい」と言われて育ちました。読書することが習慣になった読書好きな人は、月に何十冊、年間何百冊という本を読みます。そして本人も周辺の人も、それは良い習慣であり、高…